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ブログって何? 日記みたいでそうでもなくて。twitterもちょこちょこやってます。

社長とやましの結婚式

2005-09-11 23:50:45 | Gon's_Diary
 おめでたい話でみんなが集まりました。社長とやましがついにご結婚。厳しい部内恋愛禁止の掟をあえてやぶり続けた結果のゴールです。なんとなく浮き足立った二人に負けないぐらい浮き足立った招待客のみんなもみものでした。次はダレの順番だ? ブーケはこの写真の中のメンバーには当たりませんでしたけど。とにもかくにもおめでとう。こうなりゃ一生添い遂げて部内恋愛禁止を破り続けて欲しいものです。
 そんな二人の結婚式にお喋りをさせてもらうチャンスを頂きました。前日まで何を話そうかなと考えていたのだけれど、ちょうど2年前に『兵庫教育』という雑誌に尼北演劇部のことを書く機会があり、そこで演出だったやましのエピソードを紹介したことを思いだし、黙って書いてたからこれ紹介しちゃえと披露宴会場で朗読しました。演出は仁志に頼んだBGM。「あのさ、古館一郎が手紙読むときにかかる曲、知ってる? そうそう、お洒落関係~」とか適当に頼んじゃいました。それで用意してくれるところが昔の仲間。どうやら喜んでもらえたようでホッとしています。(他のメンバーへ。自分の時もこう上手く行くと思うな)コメントに紹介できなかった全文を載せておきます。目が痛くならない程度のノリでご覧下さい。
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兵庫教育原稿 (ごのい)
2005-09-12 10:12:16
自らを高め、仲間とともに伸びる

演劇部指導における集団作り



1.今朝の事件

「そんなんで芝居なんかできるか! ぼけ!(神戸弁)」

 今日の私の第一声である。まだ気分が良くない。今日は劇場スタッフに初めてお芝居を観てもらえるスタッフ通しの日である。昨日のうちに今日の練習スケジュールは発表してあった。朝の9時半に集まってできていないところを急いで作る。11時からは初めての通し稽古。昼休みをはさんで劇場に移動し、14時半からがスタッフ通しである。そんな日に寝坊を理由に平気で遅刻しみんなを待たせる。しかも連絡無し。何の権利があってちゃんと来ている仲間に迷惑をかけるのだろう。これが伊丹西高校演劇部の実態である。せっかく昨年、今年と県大会で上位4校に入賞できるようになったというのに、真面目にやっているものが馬鹿を見る集団に未来はない。



2.集団作り

 とまあ真っ先に失敗談と恥をお話しした後、この文を書けなかったいい訳にしようかと思ったのだが、それではご迷惑をおかけすることになるので、何処の現場でも同じような悩みが潜在するとの予測のもとに失敗談と現実を踏み台にこの文を連ねていくことにする。出だしが刺激的だったので私がしょっちゅう生徒を怒鳴りつけていると思う方もいるだろうが、高校演劇部を11年指導してきてこんなことはこれまでに3度しかない。いずれもリハーサル日や本番前の仕込みの日など特別な日である。どれも多くの生徒が見ている前だった。もともと自由でのびのびした発想が不可欠の演劇作りの場に怒鳴り声は似合わない。

 前回そんな機会に直面したのは前任校である尼崎北高校。文化祭を控えた直前リハーサルの時だった。私たちはそれをゲネという。ゲネとはお客さんがいないだけで全てを公演通りに行う通し稽古のことだ。衣装、大道具、小道具に始まって開演の5分前から正確に時計を刻んでいく。定刻になったのに準備が終わっていないということは、公演の幕が上がるときに準備ができないということだ。私はとある1年生の男子に前日、ランニングシャツを用意するように指示した。道路工事のおじさんの衣装である。人前でシャツ姿になるのは抵抗があるのか、はたまた家になかったのか彼はゲネにランニングシャツを用意できなかった。ゲネ開始の時間が迫る中、いい訳を繰り返す彼を私は怒鳴りつけたのだった。客観的に文章で見ればなんでシャツを用意しなかっただけでとお思いだろう。でもこれで生徒は多くのことを学習する。ゲネが大切なこと。自分のつごうより舞台のつごうを優先させること。できないときは仲間に頼ること。仲間を助けること。たかがシャツと思っていたら永久に自分のつごうが優先される集団になっていくのではないだろうか。いや、むしろ人を傷つけたなどの深刻すぎる事件で怒鳴られるより新鮮で効果があるのかも知れない。次の日、彼は友人に借りたランニングシャツで舞台に現れ、公演は無事に成功した。



3.縦構造の役割

 一事が万事こんな調子で行くなら何も悩みはない。現実はそう簡単ではないのだ。おまけに今回の原稿のタイトルは『自らを高め、仲間とともに伸びる』である。怒鳴ればうまく行きますなんて結論では誰も納得しない。怒鳴るのは集団を維持するために最小限の一発にとどめるべきだ。集団が成立すれば次にこんな作用が期待できる。

 それは生徒の間に縦の構造が生まれることである。教師と生徒、先輩と後輩も縦の関係であるが、近年の高校生には縦の関係アレルギーがあると思う。横の関係では個人がそれぞれに尊重されているように見えるが、自分の意見は不正確な伝言ゲームでしか他人に伝わらない。傷ついた友人に寄り添うことはできるのだが、その先友人を励まし正しい道へと導く働きかけにまでなかなか昇華できない。これができれば集団は変わる。

 進むべき方向が見えていて、各自がお互いに認めあえる何かを持つとき、生徒間の縦構造が生まれるのではないかという仮説のもとこんな話を紹介したい。

 ランニングシャツ事件のあった世代の尼北演劇部は一学年24人と演劇部としてはもの凄い人数を抱えていた。各生徒は役者であると同時に裏方としての役割を与えられる。具体的には演出、照明、音響、大道具、小道具、衣装、舞台監督など。各係にはそれぞれの専門性があり、なじむ生徒なじまない生徒がいた。演出の係となった女の子などは、始めとてもなじまない気の優しい少女であった。ご存じ演出という仕事は映画でいえば監督に相当し作品の芸術性に責任を持つ重要な役割である。灰皿を投げるのが演出家というイメージである。彼女はずっと「うちが言っても聞いてくれない」とか「演出向いてない」など悩みを打ち明けに来ていたものだ。数多くの役者たちを一人で従わせるなど想像もつかなかったのだろう。私はそのたびに「自分は大人で、わがままな役者たちは子供だと思ってごらん。」などと言っていたものだ。役者は子供でいい。それだけ自由に振る舞えるのだから。でも演出は一緒になって感情的に振る舞っていてはいけない。違う視点から役者たちが素敵に見えるように導くのが仕事だと。そして私は稽古中、役者に指示を与えるとき、なるべく演出の彼女を通じて伝えてもらうように切り替えた。

 何本かの作品を仕上げた後、彼女は一人で演出の仕事ができるようになっていた。同時に回りも彼女を演出だと認めるようになっていた。練習の途中で彼女に文句を言う役者はいなくなり、彼女からの相談も少なくなった。心優しい彼女は灰皿を投げることではなく役者の演技を「面白い~」と笑うことでコントロールしていた。役者は彼女の笑い方を基準に自分たちの演技を組み立て始めた。私が稽古場に行けない日も練習が成立しだしたのだ。彼女だけの成長ではない。彼女を演出にさせたのは周りの私や役者たちの方だったのだ。

 生徒の間に横のつながりだけではなく、演出と役者というふうに演じる側と評価する側という縦の構造が生まれた。そのときから演劇部という集団は芝居を作るという共同プロジェクトに取り組めるようになるのだ。

 彼女が2年生の秋、総合文化祭演劇部門で尼北の演劇部は初めて全国大会に駒を進めることができた。近畿地区で1校だけの出場枠である。並み居る全国の強豪11校を目の前に役者たちは浮き足立った。どこも自分たちよりうまく見えるのだ。だが演出として一人前になった彼女だけは違った。「せんせ、うちらのほうが面白いで。」びっくりさせられた発言であったが、事実大会結果は全国3位。よく見えるようになったものだと感心させられた。彼女は舞台にこそ立たないが、見ることにかけては全国レベルに達していたんだなと嬉しく思った。大会を終えて頼もしく成長した仲間たちはやがて私のもとを巣立って行った。悦びもつかの間、私は新しいメンバーと同じようで違う戦いに戻っていた。



4.正直に告白

 自らを高め、仲間とともに伸びるというタイトルのもとまとまりのない文章を書いてしまった気がする。なにせ早く稽古場に行きたいのである。伊丹西の相棒たちはまだまだこれからなのだ。

 そんな私がいま悩んでいる問題がある。指導者として私は信頼され慕われているかということ。生徒にとって先生を好きか嫌いかは大問題である。その上話を聞く価値があるかどうかも同時に大切。正直にお話しすれば私は今この壁に当たっているのではないかと思う。20代には自然にできた生徒との遊びが歳とともにできなくなってくるのではないだろうかという問題だ。(筆者現在38歳) きっと歳をとったらとったなりにできる方法論があるはずだが、きっぱりこれといった実感はまだない。台本を書くとき、生徒の悩みを聞くとき、あらゆる場面で私は試されていると思う。加齢や仕事の責任の増加は逃れられない問題である。何せ縦構造の先頭に立つ存在だから、今のところみんなには悩んでいるなんて顔は見せないようにしているのだが…。

 今以上に成功して失敗もして皆さんに伝えられることができたら、またこうしてお話しを聞いて頂きたいものである。



5.追伸

 縦の構造化は大人たちにも不足しているように思う。若々しく恐れを知らない生徒たちに大人たちが横一線にかかっていっても敵わないことが増えてきたのではないだろうか。大人たちよ、今こそ縦になり横になり、織田信長の長篠の戦に学ぼうではないか。鉄砲隊が3列になるあれに。



03.03.24 16:27修正版

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