定年後、定着した60代の自由を謳歌!

 定年を迎え60歳代に入る。第2の人生として輝ける10年を大いに楽しんでいる。 M爺

スイス・ダヴォスとサン・モリッツのスキー・ツアー

2016-03-02 22:32:34 | スキー
 スイスのダヴォスとサン・モリッツのスキーを2016.2.20-2.28の9日間で行ってきた。
T大学スキー部OB6人と富山県在住・在勤5人の11人でのスキー・ツアーだった。
 ダヴォスといえば国際会議で有名なリゾート地だが、スキー場としても多くの客を呼ぶところである。
5個の大きなスキー場をかかえるまさに大型のリゾート地だ。毎日シャトルバスで1エリアづつ出掛けた。

  今回の11人のメンバー  






 初日はダヴォスの中でもホテルに近いヤコブション(jakobshorn)に出かけた。標高2590mのゴンドラの終点に降り立つと広がるゲレンデと山々が壮大な景観を呈していた。
  


ヤコブションのコース・プロフーイル

 


 充分に滑った後の昼食は、また格別である。
       

 2日目はパルセン(Parsenn)に向かった。Davosで一番広いゲレンデである
  ここがスタート地点の駅。


 ここからはケーブルカーでの移動で頂上のヴァイシフル・ヨッホ(2662m)まで1回の乗り継ぎで登る。
 動画により、ケーブルカーに乗った気分でダヴォスの山並みとラン・エリアを下見してみよう。
   ケーブルカー.mov



  立山・一ノ越あたりまで一気に登ったことになる。そこでの景観は素晴らしいものであった。

  

  ここからは動画によるメンバー紹介とピステの様子をたっぷりと堪能してみることにする。







  I氏の滑走



    K氏の滑り


 最終日の前日マドリーサ(madorisa)での思わぬ事故。M氏が転倒右膝損傷。
 一般客を誘導して救出を待つ




4日目はサン・モリッツへ列車で出かけた。サン・モリッツ駅
 

 降り立った雄大なゲレンデ
     



  3057mのピーク Piz Nairでのランチ。氷点下9℃で冷えたスパゲティを食する
                                



  最終日、人気のパルセン(Parsenn)に有志6人で行く。快晴の広大なゲレンデを
  縦横無尽に滑りまわった。



 以上、一人の故障者が出たが10日後には無事日本に帰還できた。ダヴォス、サン・モリッツのスキーは
終始すばらしいナビゲーターの元楽しい9日間であった。


 

スイス・フランスの旅

2014-10-05 11:19:42 | 旅行
2014.7.10~7.18の日程でスイスのグリンデルヴァルトとフランスのパリを二人で楽しんできた。
グリンデルヴァルトはアイガー(3,970)を含む4,000m級の山々が眼前に見える美しいところであった。
航空券およびホテルはWebサイトから全て購入および予約し、スイス鉄道の割引チケットとフランスTGVのチケットは
事前にJTBで購入して行った。羽田からの国際線で行くフライトにした。

      羽田国際空港にて出発前の全荷物
       

 天候には恵まれず、着いた日も雨の中をグリンデルヴァルトの街を歩いた。ホテルは駅直近の場所ゆえアクセス
には絶好の条件であった。ホテルのベランダから見たグリンデルヴァルトの村。7月の中旬だったのでお花がきれいで
いたるところ窓には花飾りがしてあった。

  窓には花の飾り 

      ホテルからの眺め

     

 初日は山を見にロープウェーでメインリッヘンに上がりアイガー(3970m)、メンヒ(4107m)、ユングフラウ(4158m)
の景観を楽しむつもりで歩き出した。ところが無情にもガスがじゃまをしてその全貌を見ることができなかった。
      
     ロープウェーからのアイガー
  

      メインリッヘン ---------> クライネシャイデック途中の草原にて
      


 Top of Europeと呼ばれる標高3,454mにあるユングフラウ・ヨッホは氷河の見えるまさに天空の鉄道の駅であった。
ユングフラウヨッホ 

      氷河とメンヒ



ユングフラウ

クライネシャイディク(2,061m)には作家「新田次郎」の母が作った碑があった。息子にいつもまでもこの風景を
眺めさせてあげたいという思いからであった。
  アルプスを愛した日本の作家 新田次郎  


 2日目、フィルストから雨の中を傘をさしながら湖を目指す。

      バッハアルプ湖 

 3日目、予備日にしていた1日をもう一度クライネシャイデックに降り立ってアイガーの勇姿を見ようと
出掛けた。チラッとではあったが3つの山は時々その頂上を見せた。

              2014.7.14
 アイガー、メンヒ、ユングフラウの動画 

 野生のキツネがスキー場をうろついていた 

  グリンデルヴァルトを発つ日の朝は快晴だった 

  ---------- スイスからフランスへ ------------

 3泊4日の滞在を終えグリンデルヴァルトからパリへ移動した。インターラーケンを経由してバーゼルからTGVに乗る
ルートであった。所がインターラーケンで乗り換えをミスして1列車遅らせてしまった。バーゼルでのTGVにはたして
乗り継げるか心配が尽きなかったが、社内での女性車掌の説明で6分ぐらいの接続時間があると知らされた。それでも
日本の新幹線のようにTGVは特別のホームになっていないかと不安だった。結果は同じホームでの接続で問題なしであった。

   エッフェル塔 

  Disneyの路上絵 

  凱旋門の3様 

  

 世界一の自転車レース「ツール・ド・フランス」のゴール地点となるシャンゼリゼー通りである。このオフロード並みの
 石畳をロード・レーサーで疾走する選手たちの姿は壮観であると容易に想像できる。
     
 マロニエ(セイヨウトチノキ)の並木道 シャンゼリゼー通り   
    

 シャンゼリゼーを突き抜けルーブルへの道を行く

ルーブルへの移動はこの自転車Taxが快適だった。 

 街の中を車と一緒に併走する自転車Tax 

  ルーブル美術館で入場を待つ人の列


 ルーブルのフェルメール 

ナポレオン一世の戴冠式

 最終日、パリ市内をゆっくり散策するつもりでまずはセーヌ川のほとりで

 セーヌ川  

 ノートルダム大聖堂 

 帰国する日の午前中訪れたリュクサンブール公園

   

 1つのホテルでの滞在型の旅行はゆっくりしていて快適であった。天候だけは怨めないので素晴らしい山を見るには再度訪れることだと思った。以上


クロスカントリー・スキーの楽しみ方

2014-02-04 14:24:28 | スキー
 2014.1.10-11で長野県白馬村のスノー・ハープでクロスカントリー・スキーと白馬岩岳スノーフィールドでアルペン・スキーを楽しんできた。日頃はランナーとして活躍している近隣の友達4人が冬のクロスカントリー・スキー(以下クロカンスキーとする)をやりたいということで白馬村に一緒に行くことにした。

 今回はクロカンスキーが初めてという人が多く、生まれて初めての体験をする喜びを感じていただいたと思っている。

  今回の参加メンバー


その最初のクロカンスキーが次の動画である。

会場のスノーハープ


最初の緩い登りNo1
 

最初の登りNo2  


 
少し慣れてきてゆるい登りでのクイック・スケーティングだがまだスキーに乗り切れていない
ゆるい登り


一日の練習の成果が見られる一コマである 
 T.M.さんの最後の滑り
  

翌日は気分を変えてアルペン・スキーをやった。一回のスキーで二種類のスキーを楽しむという贅沢をしたことになる。 
白馬岩岳スノーフィールドでアルペン・スキーを楽しむ
  

 年一回のクロカン・スキーでは上達がおぼつかない。2~3回はやりたいところだ。

オランダ・アムステルダムの旅

2013-07-11 16:33:43 | 旅行
 2013.6.26-7.1でオランダ・アムステルダムとハーグを訪れた。夫婦水入らずで航空券と4泊の宿泊のみを予約して、気ままな旅をしてきた。最初のトラブルはオランダ・スキポール空港からアムステルダム中央駅への列車の切符の買い方が分からず途方に暮れていたら、たまたま日本人でアムステルダム在住の若い女性に助けられて一緒に中央駅まで同行してくれた。

 オランダ・アムステルダム中央駅は東京駅とよく似ている。というよりは東京駅がアムステルダム中央駅をモデルにしたのである。 



今度は市内のトラム(路面電車)の切符の買い方が分からずこれも彼女に教えてもらい、1時間券を買って何とかホテルにたどり着けた。ちなみに24時間券もありこれ以外に2日~7日券がそれぞれあることが分かった。


 オランダといえばすぐに風車とチューリップの花、運河とくるが、もう一つ自転車天国であることが特色である。車道と自転車道が一緒になって街を縦横無尽に走っている。

    アムステルダム自転車の動画


 美術館の多いことでも有名で国立ミュ-ジアムの「レンブラント」「フェルメール」やゴッホ美術館など同じ場所に集中してある。さらにコンセルト・ヘボウ(コンサート・ホール)も同じ場所にあり、絵画と音楽を身近に楽しめる。
私たちはこの広場に10分で行けるところのホテルを選んだ。

  国立ミュージアム 
  
 フェルメール 

  コンセルト・ヘボウ
    

 運河の美しさは市内を歩き回ればすぐに飛び込んでくる。また北欧風の建物の形、デザインはオランダを特徴づける風景である。というよりはこのような建造物以外には見当たらない。日本のようにコンクリートや高層のビルディングなどはない。そのおかげで街全体を美しいものにしている。

  運河と建物1 

  運河と建物2


 1日だけ列車でアムステルダムを離れ列車で50分ぐらいで行くことができるハーグを訪れた。ここはオランダのいわゆる政治の中心で国会議事堂や国際司法裁判所などがあり静かな町であった。

  国際司法裁判所 

 ハーグのマドローダムにはオランダの町をミニチュアで再現したものを広い野外の敷地に展示していた。その精巧さは見事なもので多くの家族連れが来ていた。
             

  オランダ・アムステルダムの印象としては、町の道路は決して美しくはなかったが運河と建築物の美しさがそれを補って余りあるものにしていた。自転車王国の名を欲しいままにしていた。女性の背が高く足が長いのには圧倒された。ミニスカートだろうとタイトスカートだろうと長身の体でさっそうと自転車に乗って街を疾走している姿がいまだに目に焼き付いている。   以上

 

山梨県・塩山の桃、桜と南アルプス

2013-04-16 12:06:15 | 自転車
 4月4日山梨県の塩山では桃の花が満開になり、自転車で訪れた我々の目を楽しませてくれた。桜もまだ咲き残っており桃の花と桜の花のダブルで楽しむことができた。

 塩山「慈雲寺」にある樹齢300年の「イトザクラ」
    

イトザクラの動画 

 塩山からは南アルプスが良く見える 

 

  同じ山梨の釈迦堂では桃の花が咲いていた
      

 フルーツ公園では桃の花が盛りであった 

 自転車での移動中はこのような桃畑の中をくぐって走ることができた
  

自転車で移動する楽しみは運動と花見ができることであり、なんといっても風を感じながらのささやかな旅行が楽しめることである。   以上 

 

2013オーストリア・アールベルク・スキー

2013-03-02 21:32:20 | スキー
 2013.2.16-2.24の9日間の計画でオーストリア・アールベルクヘスキーに行ってきた。11名のメンバーでオーストリア・スキー発祥の地を満喫してきた。レッヒ、ツルス、シュトゥーベン、サン・クリストフ、サン・アントンと大きく5か所のエリアを含んだ広大なスキー・リゾート地帯であった。山々の美しさと、整備されたスキー斜面の美しさ及び町のたたずまいを見るにつけ来てよかったなと実感した。

   今回のメンバー  

 ホテルから見える山、 レッヒのマッター・ホルンと言われている 
標高2580m Omeshorn 写真

 今回のメンバーは富山勢8名、埼玉勢2人それに50年前オーストリア国立スキー学校に2年留学されたK澤さんの引率で実行できた。ホテルでのドレスコードも決めたいわゆる気品のあるスキーツアーであった。ホテルでは毎晩すばらしい料理とワインでたっぷり2時間のディナーを楽しんだ。

 超長いリフト  

 遠方に見える山々を見ながらロングコースをこれから滑る。ワクワクするとはこの瞬間である。
    滑り出しの案内

 今回富山勢の中には「T大スキー部OB」3名が混じり、他の仲間と優雅なスキーを楽しんできた。T大OBのベテランN選手のレール・ターンを紹介する。

  

 もう一人M選手の滑りを紹介する
    

 アール・ベルクといえば有名な人がいる。シュトゥーベンという小さな村に生まれたハンネス・シュナイダーさんである。自分であみ出したスキー技術を普及させるためオーストリアで初めてスキー学校を開設した人である。1930年に日本へも招聘されて野沢温泉スキー場と菅平スキー場などでスキー技術を披露された。日本のスキー場で「シュナイダー」と冠したゲレンデがあるので良く知られている。
 シュナイダーさんの生家 

 シュナイダーさんの銅像の前で 

 アール・ベルクでもう一人有名な人がいます。カール・シュランツさんである。すばらしい戦績を残しながら3冠王のジャン・クロード・キリーさんの陰に隠れて目立たない存在であったが、1972年札幌オリンピックの3年前に立山の雷鳥沢に来られた。全日本のスキー合宿に合わせて招待したのである。彼の太い太ももとクナイスルの板に憧れたものである。彼の生まれたサン・アントンにはカール・シュランツの名をつけたピステがあり、そこでカンダハー・レースというクラッシックレースが行われる。スタート地点の小屋である。
    Piste "Karl Schranz"

 サン・アントンの大ゲレンデ 

 日本では見られない超高い所を移動するゴンドラ。題して「空飛ぶゴンドラ」


 ツアーが終わっての感想;ホテルの部屋、気品、料理、おもてなしは申し分なく、しかも家庭的な雰囲気なのでリラックスできて大変良かった。

 スキー・ピステは他のヨーロッパのスキー場と同じでグルーミングされたハード・パックの長いコースが多かった。自分の滑りを確かめるのに斜面のことを全く考える必要がなく、なんの心配もせずに試すことができた。ロングコースを滑りながら素晴らしい眺めを見つつ滑りに没頭でき、至福の時を過ごせた。

 帰りのフライトはスイス航空のエア・バスで満席の中、適度な疲れからぐっすりと休みながら、時々窓からヨーロッパの冬山を見て12時間楽しむことができた。




イタリア自転車の旅(ザグレブ~ローマ)

2012-05-23 12:15:26 | シルクロード
 2012.4.10-2012.4.27クロアチアのザグレブからイタリアのローマまで自転車による旅をしてきた。およそ714Kmの距離を自転車で走ったことになる。4月の天候はヨーロッパでも不安定で雨による中断が何度かあった。計画では774Kmであったので、差の60Kmはバスによる移動となった。

 シルクロード、中国の西安からイタリアのローマまでの約15,000Kmを20年かけて自転車で走ろうという遠大な計画を立てた人がいて、その話に賛同した私は5年前から参加した。今回は第20次遠征ということで最終章であった。

 最終章はクロアチアからイタリアのヴェネチア経由でローマまでの走行である。以下がそのルートである。

  ルートマップ
  
  
  これはTシャツにプリントしたもので、これを着て走行していると質問責めにあっても即説明ができて非常に重宝した。なんで自転車なのかと聞かれると、昔はラクダや馬で移動したシルクロードを、現代ではもっとも近い乗り物は自転車になるという説明にしてある。

  今回の遠征メンバー全員
 

 クロアチアからスロベニアに抜けるときは小さな国境があった。現在は欧州連合(EU)ゆえ、地面にその標があるだけであった。
   
  

 スロベニアの首都リュブリャナで日本人会のみなさんに日本から持ってきた本、雑誌、CDなど87点を寄贈した。
  

 スロベニアを過ぎるとすぐにアドリア海に出た。このカオルレの町から美しい海を見てみんな興奮気味であった。
  

 ヴェネチアから持ってきたといわれる砂で作った海水浴場は避暑地となっており膨大な数のパラソルを立てる支柱で埋め尽くされていた。
  

 ここにある塔はなぜか傾いいているようにも見えた。イタリアはとにかく斜塔が多い。
   

水の都、ヴェネチアに着いた。街の中へは乗り物禁止ゆえ近くのホテルからバスに乗って一日の観光に出かけた。
 ドゥカーレ宮殿の地下牢獄へ渡る橋で「ため息の橋」と言われている。
   

 ヴェネチアから離れて自転車をフェリーに乗せて島から島へ渡る、日本の四国へ渡る「しまなみ街道」に似た旅となった。
 フェリーから見たヴェネチアの遠景
  

 アドリア海の島を走る

 イタリア本島に入りポー河の左岸を走る。
    

 ボローニャからフィレンツェへの走行はアペニン山脈越えの圧巻91Kmであった。スタート前の気合いを入れている場面である。標高差1,000m以上を一気に登る醍醐味を楽しんだ。
   
 峠のレストランにあったファーストコッピの写真。有名な自転車レーサーで自転車の神様みたいな人。レース中ボトルを受けている場面。
このコッピという人は1942年に1時間でどれだけ自転車で走れるかという「アワーレコード」で45.898Kmとい記録を残している。もっとも現在ではその記録は塗り替えられて、1972年にエディ・メルクスが出した49.432kmが公認の新記録となっている。
       

 イタリアは自転車レースが多い国であるが、我々が遠征している時もジロ・デ・イタリアの前哨戦が行われていた。100人ぐらいの大集団が怒涛のように駆け上がってきた。
                     
シエナへの途中 

 我々の走行は登りでがくんとペースダウンする。何とか峠まで登ろうとすると次のような手段をとることもある。

 人間アシスト

イタリアは丘の上の城砦都市が多い。
 
 城砦都市にある大聖堂
 狭い坂の町であり観光のみが産業となる

 いよいよローマに到着する。ローマに入る直前で全員の到着祝いの記念撮影を行った。
    

 無事全行程をクリアした後、翌日はローマの観光に出かけた。
 ローマの象徴コレッセオの前で

 コレッセオの中はローマ帝国時代の剣闘士が今にも出てきて、死闘を行いそうな感じがした。

 スペイン広場。あの「ローマの休日」でオードリヘップバーンがグレゴリーペックとアイスクリームを食べたというロケ地、最も多くの観光客が集まる場所である。
 
 近くには大道芸人がたくさん居た

 パンテオンはローマでほぼ完全に残っている最も古い建造物で紀元前27年のものである。まさにローマ帝国時代のもので、ギリシア建築を思わせる堂々とした柱が並ぶ。
    

パンテオン直径9mの天窓に注目

ヴェネチア広場、かつてムッソリーニが演説した場所で聞いた教会の鐘の音

ローマに通じる街道はみなこのような松が沿道にあった。特徴のある姿で我々を迎えてくれた。

 ローマといえば浴場である。カラカラ浴場の遺跡を見てきた。残っているのは壁の一部と床に敷き詰めてあったモザイクの一部のみであった。
 カラカラ浴場

最後にヴァチカン市国のサン・ピエトロ広場を見て終わりにする。ローマ市内にあって1929年に独立国となったヴァチカン市国はカトリックの総本山である。ローマ教皇ヴェネディクト16世が君臨する。

 サン・ピエトロ広場

 終わりに、今回はクロアチア、スロベニアさらにイタリアと自転車で走ってきたが町の中は壁という壁にスプレイで書いたいたずらが必ずあり旅行者の目を幻滅させることが多かった。世界遺産が多いイタリアをずっと守ってゆくには地元の人たちの心構えと観光客のマナーが必要だと痛感させられた。

 ローマは一日にして成らないが、一日にして破壊することもできる。美しい地球、貴重な遺産を我々が後世に残してゆくことは使命であると思った。
                                   以上
        

  

 
   

  

スイス グリンデルワルトスキー9日間

2012-03-09 22:06:49 | スキー
2012.2.18-2.26と9日間スイスのグリンデルワルトでスキーを楽しんできた。今回はT大学スキー部OB7人を含み9人のメンバーで行って来た。気心の知れたメンバーだけに自由なスキーライフを満喫できた。とくに、滑走のスタイルを力量に応じた好きなスロープを選び、長い距離をノンストップで滑ったり、休憩も好きな時に格好のレストランで取るといった具合に充実した行動が良かった。

  メンバーの紹介
  

 グリンデルワルト駅 ここから鉄道でスキー場の中腹まで移動する
  

ユングフラウ鉄道 

 グリンデルワルト駅から中腹のクライネシャイデックまで40分で移動する。
 クライネシャイデック 2016m  

 ここではアイガー3970m、メンヒ4107m、ユングフラウ4158mの3つの山が一望できる。
  左から アイガー  メンヒ   ユングフラウ
 

   動画での迫力を感じると・・・
  

 クライネシャイデックを拠点に縦横にゲレンデが広がっている。さらにここからユングフラウ鉄道で標高3454mのユングフラウヨッホまで行ける。日本の北アルプスより高い所に鉄道の駅があるとは驚きでした。そこでは巨大な氷河も展望できた。ユングフラウ鉄道は今年がちょうど全線開通100周年記念であった。   
アレッチ氷河 

ユングフラウヨッホ3454m  

 スキーワールドカップ3大クラッシックレースの一つラバホーンの滑降コースを滑ってみることにした。
 スタート地点からのスタートシーン
I.M.選手

A.K.選手が滑降コースを滑る
  

  我がメンバーと地元のスキースクールの滑走の様子


 ワールドカップで優勝した気分も味わえる  

 グリンデルワルトには3つのスキーエリアがあり、そのうちの一つシルトホーン2970mまではロープウエー4本乗り継いでやっと到達できた。ここはあの有名なジェームスボンドが活躍した映画「女王陛下の007」のロケ地であった。
    シルトホーン 2970m 

 メーンリッヒ2230mには観光用の飛行機とヘリが活躍していた
      
 スキーで下山してくるとゆったりとしたグリンデルワルトの村がたたずんでいた。
           

 スイス グリンデルワルト、チューリッヒから120Kmぐらい離れた山岳地帯にひっそりと息づいている小さな町。しかし4,000m級の山々が身近に見えるすばらしい景観の中にあり存在感は充分にある。そんな場所で好きなスキーを満喫できる喜びを味わいつつ別れを惜しんできた。            以上        

    
                
 

シルクロード第19次遠征 セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチア

2011-06-24 17:16:49 | シルクロード
 2011.6.2-2011.6.19の18日間でバルカン半島のセルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチアと旅をしてきた。総勢18名のメンバーで自転車走行による遠征であった。新緑の山々、高原は日本と同じ様な景観を見せてくれた。つまり、若草色の木々、薔薇が満開、杏やサクランボが旬の季節であった。

 昨年訪れたベオグラード大学の日本語学科の生徒達と再会を果たした。昨年同様日本から持ってきた日本語の本を100冊以上もプレゼントした。彼ら彼女らは異口同音に日本へ留学したい事を訴えていた。ただし旅費を考えるとなかなか難しいといっていた。

 プレゼントした日本語の本
  

 東日本の震災に関しては勿論話題にした。生徒達から激励の言葉とメッセージを書いた模造紙で応援してもらった。

  応援メッセージ


ベオグラードの共和国広場には大きな牛の背中に「HOPE TO JAPAN」のメッセージが書かれていた。街の中で我々が日本人である事を明かして「フクシマ」と言えばすぐに震災の事だと分かってもらえた。

  

 今回の遠征は自転車の搬送に330ユーロかかることもあって現地のレンタサイクルにすることになった。マウンティンバイクの新車でなかなか良いものであった。これだと160ユーロで済み全工程を走る事ができた。日本から持ち込むことを考えると良い選択であった。

  レンタサイクル
  

セルビアの子供達は我々日本人が公園でランチを食べていたら続々と集まってきて興味しんしんに話しかけてきた。腕に日本語の字で自分の名前を書いてくれとせがんできた。漢字が珍しいのか我も我もと腕を出してきたので、それぞれの名前を書いてあげた。例えば「ヨバーナ」には「与羽那」とか「ナターシャ」には「那田社」とか。

  ヨバーナちゃん
  

  道路に飛び出してきた羊の群れ。自転車で走るとさすがに従順な性格とあって道路の端に寄ってくれた。

  羊の群れ
   

 ボスニア・ヘルツェゴビナを走っていると、地雷原の警告に時々出くわした。

  地雷原の警告表示
  

 この国は1992-1995といわゆる民族紛争があった。ある小さな村が丸々廃墟となっている場所を自転車で通ってきた。

  屋根が吹っ飛び住む事ができなくなった家がおびただしい数ほどあった。セルビア人、クロアチア人、ムスリム(イスラム教徒)の入り乱れた戦いであった事を物語っていた。1994年にはNATOによるベオグラード市内にある軍司令部がスポットで空爆された。

  屋根が飛ばされた家(ボスニア・ヘルツェゴビナ)とNATOの空爆跡(セルビア)
 

そんな内戦の爪跡の中を走ってばかりでは広い大地を真っすぐに行き高原でのランチを楽しんだりした。

 19次遠征隊18名の集団走行
   

  高原でのランチタイム ちょうちょうを採集している人もいる


 ボスニア・ヘルツェゴビナのヴィシェグラードにある「メフメット・パシャ・ソコロヴィッチ橋」は16世紀のオスマン朝時代に建てられた世界遺産である。

 ドリナ川にひっそりとたたずむ11のアーチが美しい橋
    .mov
 クロアチアはアドリア海に面した美しい国である。その象徴としてのドブロヴニクの町はこの世のものとは思えないすばらしいものであった。城壁で囲まれた旧い町をじっくりと堪能してきた。

  ボスニアの山岳国境をこえて下ってくると、こつ然と現れるこの美しい町の強烈な印象は忘れがたい。

  ドブロヴニク
  
  多くのヨットやクルーザーが停泊している ベイクルーズを待つ人たちもいる
     

  周囲2Kmの城壁で囲われた町の風景 
  

 旧ユーゴスラビアの映画監督エミール・クリストリッツァの映画「ライフ・イズ・ミラクル」の舞台となった場所で宿泊した。ホテル、レストラン、プールや美術館もあった。

  ここがホテルになっている
  

 バルカン半島には森林が多く、ゆったりと流れる川がまさにとうとうと流れている。
 

洞窟から出てくる湧き水
    

  ボスニアの小さい町モスタルにある「スターリ・モスト」。1566年オスマン朝時代に建築された美しい橋。内戦で一度は破壊されたが2004年に復元された。飛び込みで一躍有名になったが毎い夏にダイビング祭りが行われる。この町はこのネレトヴァ川にかかるこの古い橋だけで持っていることが町を歩いてみて良くわかった。

   モスタルの町遠景とスターリ・モスト(世界遺産)
 

  道中面白い水車を見た。3~4mほど高い地点に灌がい用の揚水として利用していた。自らの水の流れで自らの水をくみ上げていた。

  揚水用の水車
       

美しい教会を3点紹介してみる。一つは東方正教系の教会としては最大の規模であるセルビアにある「聖サヴァ教会」

  聖サヴァ教会(ベオグラード市)
  

  テレビィニャの町にあった小さな教会の内部(ボスニア・ヘツェゴビナ)
       

  クロアチアのザグレブにある「聖マルコ教会」。13世紀に建てられたゴシック様式で、屋根のモザイクが印象的。左の紋章はクロアチア王国、右はザグレブ市の紋章である。これは1880年に復元されたもの。

    聖マルコ教会
       

  ボスニア・ヘツェゴビナで柔道場があったので我々と国際交流をしてきた。日本よりは大きなスペースの道場でびっくりした。

   子供から大人まで一緒に練習
   

最後に美しいクロアチアを象徴するようなすばらしい「プリトヴィッツェ国立公園」を紹介して終了とする。

    16の湖と92の滝がある(世界遺産)  
                         
                  以上  

    

 

シルクロード雑学大学自転車走行練習

2011-05-18 10:35:08 | シルクロード
 2011.5.14-15で「シルクロード雑学大学19次遠征隊」のメンバーを含む13名で自転車走行練習を行ってきました。大月ー八ヶ岳往復の山岳コースでした。新緑がまぶしいすがすがしい季節の中、笹子峠をめざしました。

   スタート前

  スタート直後.mov


 「笹一」の酒蔵で最初の休憩 11Km地点
笹一の休憩地点.mov

   大太鼓の展示

 いよいよ往路の「笹子峠」の入り口にさしかかりました。ここから6Kmの登りでした。落石が多い中ゆっくりと登り始め、無事全員登坂できました。サポートカーは落石や倒木を拾って捨てながらゆっくり進みました。峠をクリアーしたあとの下りは快適そのものでした。

   笹子の下り.mov

 全員が86Kmぐらいの行程を無事走行して、先ずは温泉へと向かいました。ゆったりと温泉につかったあと「水洋山荘」へ移動して焼肉パーティとなり至福の時を迎えました。

  翌朝水洋山荘にて

   近所のケンさん宅の前で


 翌日は風光明媚な南アルプス、八ヶ岳、富士山を見ながらの快適なダウンヒルでした。 
   南アルプス

  復路は「石和温泉」経由、笛吹川添いののどかな風景を見ながらの快適なライドでした。  いよいよ笹子峠に向かっての登りが始まります。

笹子峠まで10Km地点

 復路の笹子峠

 1泊2日の八ヶ岳ロングライドも大月駅でゴールとなりました。お疲れ様でした。この日は「なるしまフレンド」のチームが100名ほど同じ甲州街道に繰り出していましたので峠の登りは自転車でごった返していました。メンバーのみなさんも大いに刺激されたのではないでしょうか。峠のライドをまだまだ多くアタックして行きたいものです。
                             以上