福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

医療はどこまで役に立っているのか?(4)よくわからん

2009年11月23日 20時47分06秒 | 医療、医学
 私どもは今、昔に比べれば驚くほど安全で便利な日々を送っている。しかし、人々は現状に満足出来ているのだろうか。むしろ、不安とか不満が高じていないだろうか。

 すべての事象は表裏一体面であり、必ずマイナス面も伴ってくる。地球環境の問題、食糧危機、エネルギー不足、巨大事故の発生などなどがある。そのために生活の方向転換が求められている。

 医療面だって同じである。我が国の国民はこんなに発達した医学、医療の恩恵を十分に受けているはずなのに、その不満も健康不安も世界一だ、とさえ言われる。確かに医療倫理上の諸問題は未解決であり、医療事故、医事紛争の増加、患者-医療者間の人間関係の変化、国民医療費高騰の問題、医師不足問題、救急医療体制破綻、等々、医療崩壊との関連などなど枚挙に困らない。

 科学的に、論理的に解明されてきた近代医療の目覚ましい発達の反動として、生老病死に対する、生物体の一つの現象、通過点、ゴールとして謙虚で純粋な感覚を奪ってしまったことを挙げなければならない、と思う。要するに、すべてを医学的に説明出来る、説明しなければならないという方向に向かいすぎているのではないだろうか、と言うことであり、私自身もその資質を身につけていることを時に気が付いてその度毎に反省している。

 患者、家族は病気に対して医学的に、かつ明快に説明されることで安心するようである。確かに、そう説明出来る分野はあるし、病気の時期もある。病態が教科書の記述にピッタリのこともある。しかしながら、そのようなことはむしろ少ないだろう。特に、死に向かっての経過の説明は今の医学知識を持ってしても説明は困難そのものである。それなのに知識を無理矢理あてはめている自分がむなしくもなる。

 秋田と山形にまたがってそびえ立つ鳥海山。私の勤務する病院の最上階にある病棟から毎朝眺めているが、雲に隠されて見える日の方が少ない。私にとっては岩手片富士と言われる岩手山の方がやはり親しみ深いのであるが鳥海山の遠影もまた良い。地元の住民にとっては鳥海山全体がご神体なのだそうだ。それは十分に理解できる。私にとっては故郷の岩手山がそれにあたる。だから近付くのが怖い。だから、私は未だ岩手山に一度も登っていない。
 アルピニスト達が綴った岩手山についての体験記、随想集とかを目にすることも少なくないが、私にとって故郷の山は遠くから眺めるのが良いと思う。

 いのち、命、人生についてもゆったりと距離と余裕を持って考え、自然体で感じ取りたいものである。
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