福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

私はなぜ徒然日記を書くか?(1) 生きた証?

2017年06月13日 06時44分10秒 | コラム、エッセイ
 私にとって毎日の小文作成は息抜きの時間である。

 私は会話によるコミュニケーションが不得意である。なのに、会話が重要な内科医になってしまった。失敗した。話すよりも文章で表現する方が好きである。
 中高校生の頃はメモ程度の日記帳をつけていたが、内容に固有名詞も多く、血気盛んな時期でもあり、エッチなことを書いたり、友人の何人かを殺してしまいたい、などと生々しい表現を含んでいたので高校卒業の頃に焼却した。いま考えると惜しい事をした。
 次に生活記録を再会したのはほぼ30年前である。20年ほど前からは電子媒体に記録している。検索が出来るので便利である。

 ■「何故記録をつける?」
 目つきが悪いためか、私は過去に警察の職務質問を3回受けた。3回目はアリバイ調査で「10日前の2日間、夕から夜にかけて何処で何をしていた?」と厳しく尋ねられたが十分には答えられず、連行されるかもしれない、との恐怖を味わった。この時から具体的な時間を付けて生活記録を付け、2001年からはHPにアップしている。幸いその後は職質はない。だから、それ以降はほとんど意味の乏しい無駄な行為なのだが、「継続は力なり・・」、ここまでくればもう止められない。
 
 ■「何時書くか?いつ更新するか?」
 現役時代は、毎朝4:30頃に、家に持ち帰ったドック等の残業、医師会業務等を一段落させたのちに、30分ほどで書き上げ、6:00前には出勤した。予稿を数編作って置き、適宜追記して作成した。不十分な推敲しかできなかった。
 退職後は時間の余裕ができた。書きかけの予稿は数10編あるので連日パソコンで加筆し少しずつ仕上げている。そのうちの一つを選び出して加筆する。時間に余裕ができたが、力不足で満足できる文章にならない。

 ■「誰のために書くのか?」
 自分のため、次いで家族へのメッセージとしてである。私が何を考えて生きていたのかの一片を提示してある。何となれば、私は両親がどんな人間だったのか、ほとんど聞かないうちに死なれてしまい、後悔したからである。
 この徒然日記とミニ随想は「愚痴の記録」であり、「学習ノート」であり、「備忘録」でもある。序でにと言ってはなんであるが、私の随想に興味を持ってくださる方に読んでいただきたい、と思っている。

 ■「光陰矢の如し」に抗いたい。
 時間の経過は驚くほど速い。私にとって過ぎ去ったことの多くは記憶として残っていないから、私が存在しなかったのに等しくなる。この記録を呼び出すと、毎日生きていた事がわかる。そんな効能もあるから記録し続けることに意味を感じている。
 私の記憶保持力は驚くほど退化している。私の過去は、私の脳の代わりにハードディスクがしっかりと記憶してくれている。
 私はネットサーフィンなどしないが、10余年分の徒然日記サーフィンは時々して過去を確認している。
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