福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

本:「怖い絵 - 死と乙女篇」 中野京子著   角川文庫  2012 (2)

2015年10月28日 17時44分22秒 | 書評
 この著作は幅広い知識に裏付けられた深い記述が展開される。当時の時代背景や風俗と巧みに絡め、厳しい観察眼を発揮し綴られていく文章は読み易いし、深い。
 絵画そのものの迫力もさることながら、その絵が描かれるに至った背景を知る事によって、人間性の深淵をもえぐり出す。

 各絵画のそれぞれ時代背景なんかも詳しい。画家の生い立ちとか画家の事についても教えてくれる。

 怖い、という感情は万人に共通の感覚である。この怖いという共通の感情に訴えた絵で著作をまとめた着眼点は評価されるべきである。

 しかしながら、この本の中で「怖い絵」として取り上げられている22種類の絵は決して決してグロテスクな、猟奇的作品が選ばれているわけではない。むしろ、
作品そのものが怖いのではない。その時代背景が怖い。

 作品1として紹介されているレーピン作の「皇女ソフィア」はこの本の表紙にも使われている。この作品は「皇女ソフィア」の表情はちょっと怖い。堂々たる王者の風格を備えているが、髪はざんばら、目は血走り、奥には恐怖におののく侍女、窓には親衛隊長の死体も。



 この絵には見た目の怖さもあるが、著者の解説を読むと絵が持つ怖さは軽減され、むしろ、真の怖さは怖さ「皇女ソフィア」が生きた時代そのもの、彼女の権力闘争で右往左往させられた国民が感じたであろう恐怖感あることがわかる。
 
 作品2として紹介されているのはボッティチェリ「ヴィーナスの誕生」である。見る者に春の訪れのような明るい幸せ感をもたらすこの作品はなんで「怖い絵」の中に収められているのか??私はその理由を記述を見るまではわからなかった。「ヴィーナスの誕生」秘話は、おぞましい愛欲をめぐる戦いの中、海に投げ捨てられた男性の血液が海水と混じり合い、その泡から類い稀な美と愛の化身が生まれた。だから、このヴィーナスの顔には幸せを享受するような笑顔はない。あるのは迷いの表情である。この絵にもおぞましい事件が隠されていた。

 私どもは怖い、という感情を抱くのは相手の素性を怖さ知らないことから生じてくる。相手を知れば知るほど怖さは軽減されていく。絵画の場合は逆と言っていいようだ。知れば知るほどその怖さを知ることができる。
 歴史画の背景には権力者の末路としての精神が崩壊していく怖さなどが表現されている。だから、絵を素直な感覚で見るということは正しくなく、その絵が描かれた時代背景、歴史を知った方がはるかに良いと気がついた。その歴史の中にこそ怖さがあぶり出されてくる。

 例えば、ドガの作品「踊り子」であるが、踊り子の表情には笑いがない。当時、オペラやバレエのメンバーは娼婦的な扱いしか受けていなかったためであろう。当時の天と地ほどの身分差、差別意識があったことを知らないで絵を見ることは罪深いことだと私は納得した。そのため、最近は画集の購入は控え、観賞用の文献を集めている。

 私はルーブル美術館を訪れた際、ヴェルサイユ宮殿を含め見事な絵画群に度肝を抜かれた。個々の作品は素晴らしいものであった。今でも心からそう思う。
 しかし、壮大な、美術館、宮殿を去る頃には私は深く落ち込んでしまった。王家の搾取におののく貧しい農民、市民とかの生活状況の方が濃厚に私の頭を占拠したからであった。

 中野氏の著作を通じて私が得たことは、何も知らないで見る絵はつまらないだけでなく、真価、本質を理解することができない、ということである。


コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 本:「怖い絵 - 死と乙女篇」... | トップ | 医療の時代と死生観2015(21)... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

書評」カテゴリの最新記事