福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

トイレを詰まらせた 兼好法師「その道を知れる者は、やんごとなきものなり」

2016年11月30日 17時40分57秒 | 近況・報告
 私は家事分担として調理以外を受け持っている。ゴミ出しも担う。台所からは生ゴミは出さない。全てコンポスト処理する。早朝にコンポストに廃棄し、バケツは外の水道でざっと水洗いし台所に戻す。

 先週末外の蛇口が凍結した。風呂の残り湯でざっとバケツをすすぎ、その汚水を1Fの水洗トイレに流した。固形のものはほとんど入っていなかったはずだが、その時からトイレの流れが悪くなった。完全な詰まりではなく弱々しく流れる状態であった。やはり何かが引っかかったのであろう。
 これならば何日か水だけ流していると通過するだろうと考え、2Fのトイレのみ使用することとし、連日時間を見ては水を流した。しかし、状況は全く改善しなかった。
 昨日、日用品店でトイレ詰まり専用通水用具パッコンバーを購入、本日朝から30分ほど試みるも改善しなかった。

 諦めて、我が家の水回りを全てお願いして来た「S水道会社」に電話したところすぐに来てくれるとのこと。20分ほどで来てくれた。
 専門家は全ての行程での詰まりを想定するらしい。屋外のルートには異常なさそうとのことで、持参のパッコンバーでパコパコと便器に加圧してしていたが、ものの1分もかからずに通過した。ずっと見ていたが、私と大差ないことをしていただけである。これが見よう見まねの素人対処法とプロが自信を持って対応する違いかと感心した。

 ここで、兼好法師の徒然草第51段「亀山殿の御池に・・・」が思いだされる。
 「亀山殿の御池に、大井川の水をまかせられんとて、大井の土民におほせて、水車をつくらせられけり。多くの銭を給ひて、数日に営み出してかけたりけるに、大方めぐらざりければ、とかくなほしけれども、終にまはらで、いたづらに立てりけり。

 さて、宇治の里人を召して、こしらへさせられければ、やすらかに結ひて参らせたりけるが、思ふやうにめぐりて、水を汲み入るる事、めでたかりけり。万にその道を知れる者は、やんごとなきものなり。」

 法師の論点は、「プロの技術は素人のそれと比較して段違いの差があるものだ」、と言うことである。

 私はなんでも自分で処理しようとする傾向があるが、今回は技術差を見せつけられ、反省した。
 ただ、今回、水洗トイレの構造や水が流れる仕組みについて十分勉強できた。今まで、水洗トイレの水がレバーを押すだけで強く吸われていくパワーは何に由来するのか理解できていなかったが、便器の近くに細い部分があり、その部分を通過した水の重さでサイフォンの原理で便器内の水が吸われるように流れる構造になっていることを初めて理解した。

 要するに、水洗トイレは水に溶けない物質は一切受け付けない構造であることを理解した。反省しきりである。
 同時に長年疑問に思っていたことが解けた喜びもあった。

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