福田の雑記帖

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医療の時代と死生観(3) 医療の歴史を振り返る(1) 出産を例に考える

2015年08月24日 17時41分49秒 | 医療、医学
 現代人にとって誰もが健康への関心か一段と高まっている。健やかに、長生きをすることを望み、そして、最後はポックリ死ぬことかできればと思っている。医学や医療は、誰にとっても多かれ少なかれ関心のある話題である。
 しかし、ことはそう都合よく進まない。これが現実である。
 
 最近のメディアには私の目から見てほとんど効果が期待できないような健康食品、健康法などが頻繁に取り上げられ、TVの健康番組はいずれも高視聴率を記録している。それだけ国民が求めているからとも言えるだろうが、メディアは売らんがために視聴率を上げんがために番組で取り上げる。まるで、これらのアドバイスに沿ってお金をかけていれば、なんら努力をせずともいつまでも若さを維持できて、長生きできるような錯覚に陥る。健康維持には王道はない。楽をして得られる健康法などない。無責任だ、と思う。

 医療・医学の歴史を振り返ると、医療の発展の素晴らしさにひたすら感嘆するだけである。しかし、表裏一体のほころびも見えてくる。また、自然界の生物達の生き様を見る時に、私ども人間も本来彼らと同様に素晴らしい自然治癒力をもっているはずだ、と教えてくれる。しかしながら、人間の場合はもはや科学的と言われる人工的な医療環境の中で自然治癒力は宛にされなくなった。実際には、超近代的医療の中においても医療の最後の拠り所は自然治癒力、生命力である。

 昔は人間は胎内にいるときから危険にさらされ、生まれたあとも、さまざまな危険が待ち受けていて、健やかに生きることは容易ではかった。
 生まれること自体、産むこと自体危険を伴っており、実に大変であった。

 歴史中の人物で、お産で命を落とした例の記録は枚挙に暇がない。宮廷貴族社会の生活史の記録でもある『栄花物語』は平安時代後期の古典で女性の手になる物語風史書で,全40巻、1092年までの2世紀にわたる時代についての記述があるとされている。
 この中に、村上天皇中宮安子から白川天皇女御道子まで47名の妊娠・出産が記述され、中宮安子を筆頭に後朱雀中宮まで11名が妊娠・出産に伴い死亡しているとの記載がある。死亡率は実に23.4%にもなる(佐藤千春 お産の民俗 日本図書刊行会 1996)。

 この当時の医療はどのようなものであったかは想像も出来ない。身分の高い高貴とされる方々の環境だから記述として残っており、状況を類推できるが、一般庶民の出産はもっともっと危険で、悲惨であったと思われる。

 この歴史から間接的に知ることが出来るのは人間の妊娠出産が基本的にいかに危険なものなのか,ということである。妊娠中の各種の合併症、出産困難、出血だけでなく,出産後の感染症に対しても当時はなすすべは無かったはずである。
 当時、若い人たちの死も珍しくはなかったと思われるが,妊娠出産に関連して死亡した産婦は成仏できずにこの世をさ迷うと言った民話や言い伝えは多数もある。特に出血死した産婦の死は悲惨だったと思われ、下半身血まみれの状態の亡霊として現れ、「私の赤子を抱いて欲しい・・」と赤子を差し出すと言う話は民話、怪談として各地に伝わっている。そして、成仏し得なかったそれら亡霊は次の妊産婦にとりつき妊娠出産の邪魔をするとされ、死亡した妊産婦については特別丁寧に弔ったとのことである。

 医療の歴史を振り返ってみれながら、私は今の世に生を受けていることに無上の喜びを感じる。私は当時なら絶対に生きながらえることはできなかった。
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