福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

こころの赴くままに(1) 誰からも必要とされない存在になる


2013年07月14日 12時17分04秒 | コラム、エッセイ
 現役を退いて2年が経過した。家族以外の誰からも必要とされない存在になる事が私の目標の一つであり、これに向かって着々と進んでいる。

 1971年大学を卒業して病院組織の中で40年働いて来た。これが自分にとってベストではないまでも適正な道の一つだと思ってきたが、還暦を迎える年齢になって急に疑問がわいてきた。如何に自分にとって無理を重ねた人生なんだろうか、本音を吐き難い環境が嫌になってきた。
 私は一度も迷いも疑問も抱かずに医師になったものの、今から考えるとそれほど適正がないのでは?とも思っていた。

 還暦の頃、退職し別の生き方を求めようかと真剣に考えていた。大体方向性が固まってきて退職願を出そうかと考えていたときに、思いがけず、というか、運が悪くというか、院長のポストが回ってきた。院長職など、私にとって最もふさわしくない職種であることは自明の理であった。辞退したがしきれなかった。

 最終的にはお引き受けしたが、法人との雇用関係が切れる65歳までの間、私の道は一時棚上げとした。カウントダウンしながらその日を待っていたが、職務は誠心誠意つとめてた。

 その日、2011年6月1日を迎えたときには実に大きな開放感を味わった。もし、還暦前後に、道をかえるために退職していたならむしろ迷いや後悔の方が強かったのではないか、と思われる。在任中に迎えた困難な日々が私の人生を、結果的に豊かにしてくれた。その果実をたくさん得たからこそ、多くの事を学ばせてもらったからこそ、私の満足感はとてつもなく大きかったのだ、と思う。

 何が嬉しかったのかと言えば、一言で言えば人間関係と義務からの解放であった。
 本来人間嫌いであったが、なんとか努力して破綻なく維持してきた。もう無理して会話する事もない。家族間の会話、業務上の会話をのぞけばほぼゼロである。

 義務から解放という事は、社会的にはもう必要とされなくなった、とみていい。勿論、世の中の一般的な義務、納税とかを負うのは当然である。この年代の男性が書いた随想などを読むと開放感以上に疎外感を抱く人も居るようである。しかし、私は違う。誰に気を使う事もなく、自由に生きられる喜びで一杯である。
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