福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

イヌ・ネコはペットにあらず?(4) 仲よかった3匹の子猫、一匹が冬を越せなかった

2015年04月26日 04時56分24秒 | コラム、エッセイ
 我が家には何か知らないがネコが集まってくる。
 昨年春、栄養状態の悪い雌のトラネコが庭に出没。家人は見兼ねて時折餌などやっていた。一時不明になっていたが、9月頃3匹の子ネコを伴って戻って来た。子猫は順調に成長した。

 不思議な現象があった。3匹の子ネコが共同して母親を拒否した。
 母ネコを威嚇し、母はその剣幕に恐れをなしたのか最近は全くみる機会はない。母ネコと青年期の子ネコの世代間の確執か。

 11月、子ネコたちが勝手口で互いに身体を密着させ寒さに震えていた。見かねて風雨雪、寒冷を防ぐために防寒シェルターを作った。

 新年になっても、子ネコが3匹家の周りをたむろしていた。仲たがいせずに寄り添って生きている。
 2月下旬頃、そのうちの一匹、トラ猫のクリ坊が元気が無くなって食欲も減退してきた。呼吸系に問題を抱えているようで、時折咳をしていた。他の元気な2匹は、これも私の目では驚くべき行動であったが、弱ってきたクリ坊にぴったり寄り添って体を温めているようであったし、時々顔や体をなめていた。立派な介護行為であった。

 私はクリ坊は冬を越せないだろうと予測していた。そのうち、クリ坊が見えなくなった。


(元気であった頃のクリ坊。仲の良かった三兄弟。並ぶ場所もほぼ決まっていた)

 4月11日、その日の午後は晴れて暖かくなった。春を迎えるためにガレージの2Fを掃除した。私はずっとクリ坊がここで死んでいる可能性が高いと読んでいたが、やはりそうであった。家具の隙間にクリ坊の遺骸があった。いつ死んだかわからないが、気温のせいなのだろう、腐乱状態にはなかった。前例にならって庭先に葬った。これで私のネコに関する懸案事項の一つが解決した。

 私は最近のペット事情は行き過ぎているように思っている。
 私はネコとは距離を置いて付き合っているつもりである。私と共に生きている生命体として慈しみ、最小限の世話をしているだけである。この兄弟ネコの行動にも感心し、学ぶことも少なくない。
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