福田の雑記帖

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いじめ2016(4)学校におけるいじめ対策(1) 当たり前の現象であることの認知から

2016年02月01日 01時38分15秒 | 時事問題 社会問題
 私は小中学校における「いじめ」対策は、まず学校が「いじめ」の場になる可能性の周知・徹底だと思う。
 「いじめ」は減らすことは出来ても無くすることは出来ない。その上で、「いじめ」対策の究極の目標は、子供達が自死に至らないように防御する環境を社会をあげて作ることである。

 それには、@生徒教育、@学校・教員対策、@PTAを介した保護者対策、@教育委員会、@社会への対策、が重要であり、それぞれを有機的にやらなければならない、と思う。

 私は1995年以来、職場や学校を中心とした「いじめ」問題に注目し種々の文献を集めてきた。あまりにも膨大な量となって読んでも読んでも体系的に考えられない状況にあるが、現時点でいじめ対策の中で最も大事なのは「いじめ」の渦中に巻き込まれる可能性がある生徒たちへの「いじめ教育」だと思う。

 果たして、このような教育が子供達に対して実際に、体系的に行われているのだろうか?現時点で私はその動きを見つけることはできない。

 学校における「いじめ」問題は私どもの祖父母時代からあったようである。寺子屋のレベルにもあったかもしれない。作家の伝記や自伝にも自分が「いじめ」を受けていた、と告白している方は少なくない。要するに、「いじめ」は学校では当たり前に起こっている事件・現象である。
 それが、社会構造の変化から一層陰鬱になり、教育環境の密室化、教関係者の管理能力不足から、被害者が死を選ぶ機会が増え、社会問題化したということである。

 人間は二本足で立つことで備わった身体的構造から、社会を形成することなく存在できないが、社会を作る基本は各人の持つ個性の抑制と、その一方で求められる共同・協調性である。その不自然さが歪みとなって原始的な反抗意識を目覚めさせるものと思われる。
 
 「いじめ」は個対個の問題ではない。それは喧嘩である。「いじめ」が発生する条件として集団性、閉鎖性をあげることができる。義務教育の世界はまさしく閉鎖社会である。この条件が揃えば大人の世界でも生じる。実際には海上自衛隊の「いじめ」事件もあった。力士の事件もあった。
 「いじめ」は決して子供達の問題ではない。
 ただ、学校という「いじめ」が起こりうる閉鎖環境に子供達を送り込んでいる、との自覚は大人たちに必要であろう。

コメント
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