福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

転倒(4) 約50cmの段差があったから無傷で済んだ  

2012年05月13日 03時57分39秒 | コラム、エッセイ
 本日は快晴だったので夕方裏の畑に先日植えた苗に水撒きをしようとした。

 畑は近所の方から借用しているが、わが家の敷地に1.5mほどの小径を介して隣接しているから何かと便利である。水撒きも庭のホースを伸ばせば十分届く。敷地と小径には50cmほどの段差があり、ブロックで土止めしてある、ブロックは10cmほどが露出している。

 ホースを畑まで引き、水道の蛇口をひねりに戻り、その段差の所に来たとき、ホースに足を取られて足がもつれ前の方につんのめった。ちょうど境目で下半身が敷地内に、上半身が段差の向こう側にあった。ブロックに腹部を打ちそう、一瞬「大ごとになる!! 」と思ったが、無意識のうちに強く足で前方に蹴り出したらしく段差の下の小径に転げ落ちた。しかも、うまく身体を丸めたらしく半回転して背中から落ちた。殆ど痛みを感じるところはなかった。小径は草ぼうぼうで、幸い石なども転がっていなかったことも幸いした。

 一応、文章にすればこんな状態であったが、ホントに一瞬で何が何だか分からない経過であった。
 普通に立ち上がることが出来、どこも何ともなかったから、予定通りに苗に水撒きした。家に戻りスポーツウエアを脱いでみたところ背が草で汚れ、左膝に1cmほどの擦過傷があり若干血がにじんでいた。それだけで済んだ。幸運であった。

 第一の要因は、歩きなれたところでの私の不注意である。長さに余裕があったホースを弛ませていたから足を引っかけた。さらに、両方の足に1Kgのアンクルウエイトをつけていたことも倒れかかった因の一つである。これは運動不足を補うために数年前から利用しているので身体の一部のようなものであるが、階段を下りる時などには足の微妙な動きを妨げる。これが足の動きを若干阻害した、と思う。

 もし段差がなかったら、小径に草が生えていなかったら、石でも転がっていたら、多分、顔面を地面に、胸部または腹部をブロックに強打していたかも知れない。背中も打撲したかも知れない。そう考えるとぞっとするが、大きな幸運を一人喜んだ。家族にはなかなか言えない小事件である。

 折しも、いま大相撲の本場所が行われている。時にTVで見るが土俵が何で50cmほど高くなっているのか、やっと理解出来た。
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筆記用具(5)鉛筆(5)最近「B」「H」「HB」「F」の語源と意味を知った

2012年05月12日 13時29分38秒 | コラム、エッセイ
 私にとって日常的に頻用している小道具と言えば大工道具と文房具である。

 文書書きにもっとも利用しているのは公私共にコンピューターであるが、文房具とは到底思えない。
 文房具にもいろいろあるが、代表は筆記用具で、自宅、病院の机上あるいは引き出しには、万年筆、鉛筆、シャープペンシル、毛筆、サインペン、マジックインクなどがある。私は鉛筆も用いるので消しゴムも含めよう。手を伸ばせば届く範囲にこれだけの用具があってそれぞれを使い分けている。インクをつけて用いる使い捨ての金属ペン、ガラス製のペンは何という名前か分からないが、短期間使っただけで、所持してもいない。

 使用頻度から見れば、ボールペン>万年筆>毛筆>鉛筆>>その他、となる。愛着から言えば、万年筆>毛筆>鉛筆>ポールペン>>その他、である。その他に分類されるのは シャープペンシル、マジックペンなどであるが、滅多に使うことはない。

 鉛筆は今後どうなるのであろうか。安価だし、消すことが出来るのは鉛筆の優れた点だから、よもや鉛筆自体が消えることはないだろう。多田、現実は厳しいようである。日本鉛筆工業協同組合によると国内生産量は1966年の13億8千万本をピークに2007年には3億千300万本と1/4まで減少した。この背景には少子化があると考えられているが子供の数の減り具合より鉛筆の減少率が大きい。学生の大部分は鉛筆でなくシャープペンシルを用いているのだそうだ。
 小学校低学年には適正な筆圧を覚えさせる面、正しい握り方を習得させるために教材として鉛筆を用いている。

 鉛筆について若干調べてみた。
 鉛筆の前身は14世紀頃の発明とされているが、近代鉛筆の祖はあのナポレオンである。日本に入ってきたのは1609年オランダ人が家康への献上品の一つであった。当時は毛筆の時代でありそれほど注目されなかったようである。明治になってドイツ製の鉛筆が輸入され、郵便関連業界から徐々に使われるようになったらしい。

 さて黒鉛筆には「B」と「H」の表示がある。「H」は硬く「B」は柔らかい。「H」は「Hard」の頭文字であることは容易に予想つく。硬度別にHから10Hまで、「B」はBから10Bまである。「B」は軟らかと言うイメージがあって最近までの語源が分からなかったが、「Black」の「B」であることを知った。ならば「F」は? これは軟らかからず硬からずと言う事で語源は「Firm」とのことである。長い間疑問であった点が解けて一つ肩の荷が下りた。

 私は鉛筆を買った記憶はない。引き出しにはいろんな長さの鉛筆が100本近くある。家や職場で放置されているのを貰ってくる。短いのは2-3cmのもある。これらにホルダーをつけたり、互いに接合したり、いろいろ工夫しながら再生する。私は削り器は用いず、カッターで丁寧に削る。原則的に芯は削らない。だからとても長持ちする。木の部分を丁寧に削っていると心がとても落ち着く。
 やはり鉛筆は良い、愛おしくてとても捨てられない。
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外来患者を分類してみれば(2) 私の視点で分けてみた

2012年05月11日 14時13分43秒 | 医療、医学
 昨年6月以前は緊急の出張など外来に出れない日も頻回にあった。
 その度に総合内科の中堅、若手医師を中心に代診して頂いた。私も希ながら他の医師の外来の代診をすることもあったが、とにかく代診は患者の質が全く異なっているだけに大変で、出来れば避けたい業務である。今は外来の代診をお願いすることは殆どなくなったので私自身も気が楽になった。

 「私が担当している外来」の代診は極めて評判が悪かった。「福田先生はどうなっても良いが、あの外来だけはやりたくないなァ・・・」が若手医師の一致した意見であった。

 なぜ、そんな評価になっているかというと、殆どの患者が「私が担当する外来」だけに集中して受診しているからである。患者には「一人の医師のみに受診するのは良くない。10回の診察のうち2−3回は他の医師に診てもらう方が良い。その方が安全だよ・・」と説明してきたが実際にはそうなっていなかった。その真の理由は知るよしもないが、「話しやすいから・・」、「癒されるから・・」で、全然医療の中身ではなさそうであった。だから、心身のどちらが問題なのか、病態がよく分からない患者が多数混じっていたからである。

 3年ほど前から外来が予約制になった。たまたま「私が担当している外来」に受診した患者のうち疾患の領域によっては専門外来に紹介するが、総合内科で診療しても良い病状の患者を他の医師の外来に勝手に振り分けるわけにいかず、自分で抱えることになる。だから、患者は徐々に増えてくる。

 私が常に「私の外来」と称さずに「私が担当している外来」とわざわざ表現するのは、患者は中通総合病院に通院しているのであって、私はそのうちの一部を分担して診療しているに過ぎない。そんな風に考えてきたから、私の立場から患者を分類してみて、どうしても私でなければならない患者は、実は一人もいない。

 その立場に立って患者を分類すれば、

(1)標準から乖離した治療をしたので、責任を負わねばならない患者
(2)やや責任を負わねばならない患者
(3) 特異な性格、受診行動をもつ患者で他の医師に回し難い患者
(4)外来担当医が私である理由が見つからない患者

 (1)(2)は主に血液疾患の患者である。この群の差は相対的でそうクリアではない。
 (3)は10数名と少ないが、気を遣うし、時間もかかるし、治療効果も上がら無い。対応は実にむなしいが、これも年の功か、と諦めている。
 (4)は8割以上を占める。是非私より相応しい、若手の医師に替わって欲しい患者群である。

 この、連休前後の混雑する外来、混雑が予想された外来の担当日にこのままトンズら出来たらどんなに気が晴れるだろうか、と思う。しかし、代診医が見つかるだろうか、代診医はさぞや頭に来るだろうな・・と思うと実行できず、力なく、いつもの如く外来の椅子に座る日々がまだしばらく続きそうである。
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外来患者を分類してみれば(1) 患者の状態

2012年05月10日 03時40分16秒 | 医療、医学
 GW連休の前週、ど真ん中の5月1日、2日,及び連休明けの週は外来は患者が多くて,外来診療をあまり好まない私にとってはとても辛い。外来のコンピューターで来院予定患者数を見てガックリし、後半には時に軽度の吐き気、発汗を伴うこともある。

 多くは病状が安定し、症状もない慢性疾患患者なのであるが、何でこんなに来るのだ・・と思いながら診療している。とは言っても,この間に受診した患者の大部分は前回診療時にこの日を相談して予約した患者達である。予約した時には、とにかく早く終わって欲しい一心で先のことなどを考えないで次々と予約を入れていく。その結果、患者が集中する日が出来る。
 更に、予約外の患者が数名加わる。時に手のかかる新患が訪れる。他の科から回ってくる患者は概して対応が困難である。「こんな忙しい日に予約外で受診するなんて!!!・・」、 本音ではそう思うのだが、40年も培ってきた、「快く迎える振りをする」技術を発揮するが、実に空しい。

 私が担当している外来は週4-5回であるが。そのうち金曜日は大仙市にある大曲中通病院の外来応援である。4月以降始まったばかりでまだ様子がよく分からない。月~木曜の外来は患者が多すぎ、間もなく導入される電子カルテ下では到底診療不可能だから患者を大幅に減らさなければならない。

 患者を他の医療機関に積極的に紹介しようとしているのであるが,患者がなかなか離れない。次善の策として病状が安定している患者の受診回数を減らすため、従来からの方針を変更して通院間隔を4週から8週に延長した。だから、一昨年頃の外来に比較すると一日辺りの患者数は確実に減っている。それでも外来日はストレスから逃れられない。

 今後のこともあるので患者を分類してみた。患者の病状の面から、多い順に見れば以下のごとくかな,と思う。
(1)無症状で主に投薬と検査で経過を見ている慢性疾患患者
(2)自然経過で増悪していく、あるいは再発を繰り返す患者
(3)医療の恩恵で改善し,経過観察中
(4)自然経過で改善が見込まれる、あるいは回復した患者
(5)医療はほぼ不要なるも「健康追求病」に罹患している患者
(6)医療で悪化した、あるいはしている患者
(7)内容はいろいろだが、特異な性格、受診行動をもつ患者

 そうクリアには行かない。互いにオーバーラップしていたり、経過と共に移行していくが、とりあえずこんな分類にしてみた。(1)は8割方占める。(6)に属する患者は時には生じる。よかれと思って始めた治療が時には逆効果になることもある。細心の注意をはらって治療している群である。
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書籍・本・文献の電子化(6)かつて製本した文献をばらして電子化

2012年05月09日 12時09分02秒 | コラム、エッセイ
 私は製本が好きである。興味を感じた文献、将来役立ちそうな文献は集めてきれいに製本していた。
 医学雑誌はザッと目を通したあと適宜ばらして必要な文献のみにした。かつて製本業者に依頼したこともあったが高額で、コストベネフィットの面では不利で続けなかった。それで30年ほど前からは自己流で製本し始めた。薄手の本は数冊まとめ一冊にした。

 製本の方法にはいろいろあるが、私は綴じ側に電動ドリルで4ヶ所穴を空け、U字型に切り揃えた針金で綴じる単純な方法である。それに厚手の紙で表紙を作り糊で接着、最後に別に用意したタイトルを貼った。 インデックスはパソコンで整理し、検索し取り出すことが出来るようにした。
 各々の過程に一寸したコツがあって大変だったが、作業する度に適宜読み返し、楽しみながら製本した。穴を空ける際にずれないようにする、表紙をつけた際には凹凸にならないよう10Kgほどの重しをかけてプレスすると上手く行った。

 製本化文献が等身大のスチール書架2ヶ以上を占拠するようなって来たのでそれ以上増えないように新旧を置き換え古い方は処分していた。15年ほど前からヒュレット・パッカード社のScanJet4Sで重要書類、文献は電子化し、その他を製本にしていた。5年ほど前からは富士通社のScanSnapS300Mに替えて作業能率が改善したので、殆ど全ての書類文献を電子化にした。だから、この5年ほどは製本はしておらず、書籍の電子化で捨てるに惜しい本の再生、古くなって乱丁した本の修理するだけになった。

 ここ一年は製本化した文献の一部を電子化し始めた。古い文献なので殆どが廃棄することになるが、針金を切断し製本を解き、かつて興味を持った文献を最終チェックして廃棄している。

 考えてみれば、製本にもかなりの労力と時間を費やしたが、今度はそれを解き電子化するのに時間を使っている。一見無駄な作業のであるが、この作業で蓄積した文献、記憶から消えた文献を見直す最後の機会が得られ、私は満足している。
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まあいいか(5)不快な表現「吐き捨てるように言った」

2012年05月08日 06時03分19秒 | コラム、エッセイ
 最近、乗用車が歩行者の列に突っ込んだり、バス事故、クマ牧場の事故とかが頻発している。何か事故が起こるとマスコミは臨場感を増すためか関係者や特に被災、被害者のインタビューを利用する。

 TVでは肉声そのまま、時には音声を変換し、画像をマスキングしたりするが、内容的には分かり切った、差し障りのない答えだけを取り上げる。その際に口調とか表情から感情などをくみ取ることが出来る。私はニュースなどは事実を淡々と伝えればいいのでドキュメンタリー調に局側が校正を加えていくのを好まないが、特にNHKはその傾向が強くなっていて不快な気分になる。

 新聞等では、インタビューされた側が語った内容の一部のみ、ホンの数行程度掲載されるだけであるが、その際にインタビューした側が発言者の感情とかを一言付け加える。
 その際によく使われるのが「・・・と吐き捨てるように語った」、「・・・と吐き捨てた」と言う表現である。「・・・と切り捨てた」もある。今回のクマ牧場の被災者の関係者の声の掲載時にも「・・・と吐き捨てた」が用いられた。これは、とても大きな不満とかを持った方の言葉の調子を表すのに用いられる一つの常套句である。

 私はこの言葉が使われると気分が悪くなる。「吐き捨てる」から受けるイメージは「不潔」と言うことである。よく路上や時にはトイレで唾やたんを吐き出す人を見ることがあるし、はき出されたものを見ることがあるが、目を覆いたくなる。
 だから、私は不快になる。大体、自分の体液、分泌物をそのままはき出すと言うことは許し難い非常識な行為であり、単に不潔だけでなく時に感染の源にもなり得る。最低限、ティッシュペーパーにとって処理する、更に人前では、私の前では避けて欲しい。二度と顔も見たくない・・が、病院のスタッフにも何人かいる。

 で、紙上にこの表現を見た時に同じような不快な気分になる。記載する側の表現力が低レベルと言わざるを得ないが、そう言う表現と共に意見を掲載された側にも私は同様の感情を抱いてしまう。その方が悪いのではなく、記載した側の巻き添えであって、気の毒である。
「・・・と不満を述べた」「・・・と強い口調で抗議した」とか、その場に相応しい表現法はいろいろあるだろう。

 私は、身体から発する音は『排ガス』を除けば耐え難い。身の毛がよだつ。咳払い、痰のゴロゴロ音、食事時のクチャクチャ音などである。演奏会、レストラン、新幹線等で近くにいると耐え難い。可能であれば逃げる。病気ならばやむを得ないが、それでも他人への配慮が欲しい。

 「吐き捨てるように言った」に過剰に反応する私の方が異常な人間ということなのだろうか。どちらにせよ、汚らしい表現である。新聞社はもっと表現法を考えて欲しい。これに関しては、まあいいかとは言いたくない。

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わが家のゴールデンウイーク2012 車に接触、不注意にガックリ

2012年05月07日 10時18分36秒 | コラム、エッセイ
 今年のゴールデンウイーク(GW)は第一線を退いて初GWである。
 
 4月28日から6日までであったが、重症入院患者がいて連日対応した。出勤日2日、近隣の飯川病院の当直2回、日直1回、その他わが家の行事等もあり、時間的にはとても窮屈であった。

■4/28(土)家族で市内観桜 重症患者対応 飯川病院当直
■4/29(日)重症患者対応 観桜ポタリング 映画「運命の子」
■4/30(月)重症患者対応 飯川病院日直
■5/1  (火) 外来 家庭菜園植え付け
■5/2 (水)外来 宗教関連本購入、読む
■5/3 (木)映画「テルマエ・ロマエ」 重症患者対応 
■5/4 (金)自宅書籍書類破棄 家庭菜園植え付け  法要+会食
■5/5 (土)鉄道模型展示会 重症者対応、飯川病院当直
■5/6 (日)重症患者対応 映画「永遠と一日」 家庭菜園植え付け トイレ修理 プリウス修理

 3日から長女夫婦、4日には息子夫婦と孫二人、犬も来て家族が全員揃った。これに通いの賄いのおばさんを加え総勢10人と犬一匹、ネコ2匹である。我が家は一時9人家族であったが、短期間ながらそれを凌いだ。

 4日からの二日間は2歳半と6ヶ月の孫中心の生活。2歳半にもなると意思疎通が幾分出来るが聴き取り難くて大変であった。孫達は共に一層可愛くなったが対応は大変。昼寝すると家中がホッと安堵する感じ。子育ては実に大変である。

 5日娘夫婦を駅に送り、私は重症患者対応と飯川病院当直に就いたが、その直前、プリウスの斜め後ろに停めてあった息子の車に接触した。車があるのを見ていながら失念し、不用意にバックしたためである。乗り込む直前に病棟から患者不調の電話があったがその所為には出来ない。いつも見るバックモニターも見ていなかった。

 かなりの音だったらしい。家から息子が飛び出してきた。大きく凹んだのは私の車の方で、降りて見なかったが息子のは軽く擦り傷程度とのこと。力のかかり具合による差だろう。

 最近、この様な不注意が増えつつある。何か別なことを始めると直前までやっていたことをすっかり失念してしまう。一つ一つを意識して確認しなければならなくなった。孫もいるし危ない。

 プリウスのキズは翌日自分で内側から叩いて修理した。鈍的に圧迫された凹みだったから戻る力が残っていたらしい。凹みは簡単に戻った。ちょっと見ただけでは分からない。凹みの割りには音が大きかったと思うが、衝突のエネルギーがうまく音として分散したのだろう。

 昨年あたりまでのGWと比較すれば、時間を自分のために使えたと思う。
 それでも車をつぶしたのでシルバーウイークとしたい。
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映画(44)「永遠と一日」 テンポが合わず寝てしまった

2012年05月06日 04時13分34秒 | 映画評


 5月6日に観ようとした作品で、監督はテオ・アンゲロプロス、1999年の作。

 テオ・アンゲロプロスはギリシャ・アテネ出身の映画監督。場面の長回し、曇天下での撮影の徹底などで独自のスタイルを確立している。 本年1月24日、アテネ郊外のトンネル内で撮影中にオートバイに跳ねられ死亡した。享年76歳であった。

 行きつけのシアタープレイタウンでは「追悼特集 テオ・アンゲロプロス作品集」と称して一日に二本づつ、3週にわたり6作を上演している。それの第一週目で「霧の中の風景」と共に上演されていた。この監督の作品は概して長い。今回の6作を見ても最短が2時間5分、際長が3時間52分である。とても一日に2本は続けて観れない。私はこの監督についても、作品についても知らなかったので、とりあえず「永遠と一日」を選んだ。

 ギリシアの港町テッサロニキを舞台に、ある詩人の入院前の最期の一日と難民の子供との出会いを描いた作品・・・。あとは寝てしまって書けない。
 
 導入部から映像のテンポがとてもゆったりしていて私のテンポに全く合致せず、私は10分ほどで微睡み始めた。時折目を醒ましてスクリーンの映像を見たものの作品としての流れは全く分からなかった。

 確かに画面はくすんだセピアカラーの場面が多かった様な気がする。折角の作品を味わえず実に勿体ないことをした、と反省した。
 次の作品に改めて挑戦してみたい。
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映画(43)「運命の子」 若い母親の自害のシーンが絶品であった

2012年05月05日 04時08分42秒 | 映画評
 

4月29日に観た中国映画。観客は私の他一人だけ。最低の人数であった。

 約2,600年前、中国の春秋時代に実際に起こった事件を背景に、司馬遷の「史記」にも記される「趙氏孤児」の物語によっている。多くの中国人にとってはお馴染みの話しだとのことで、京劇などで繰り返し舞台化されてきた人気のストーリー。日本で言えば「忠臣蔵」にあたるのだろう。
 その物語を、「北京ヴァイオリン』などの有名な作品を生み出しているチェン・カイコー監督が映画化したもの。この監督の作と言うだけで観に行くファンがいるほど評価は高い、と言う。「北京ヴァイオリン』はどこかで最初の10分くらい見て感心したことがあり、監督についても記憶の隅に残っていた。機会があれば全編観たい、と思っている。

 「運命の子」のストーリーは、春秋時代は下克上の時代でもあった様で、栄華を誇っていた一族が謀反で皆殺しになった。いつものパターンである。その最中、王の息子の妻は男子を出産。だが、自らの運命を悟った母は、出産に立ち会った医師に生まれた子を託し、自害する。
 反乱軍は王の孫を捜しだすのであるがその過程で、医師の子供が代わりに殺害され、医師の手には王の孫が残る。医師は強く復讐を誓い、王の孫を大切に育て復讐させる、というもの。

 ストーリーそのものには興味は殆ど無かったが、歴史を学ぶ過程で参考になるような、当時の文化などを推測できる見事な画像が見れたことで、私としてはとても参考になった。

 中国映画は人海戦術という意味ではとてもスケールが大きい。この作品も戦闘場面が多いが、人馬の数の多さ、人馬一体で転げ落ちるシーンなどは驚くばかりである。馬が何頭か骨折とかで犠牲になったのではないか、と心配した。

 それに加えて、母となり、程なく自害して果てた王の息子の妻の表情、自害の場面は女優ファン・ビン・ビンが、見事に演じ、まとった衣装の美しさも相まって、忘れがたいほど見事な情景、場面であった。
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イオンモールのTOHOシネマズ秋田に初めて行った 秋田市街地の活力低下の因ここに

2012年05月04日 13時51分43秒 | コラム、エッセイ
 私は大勢の人が集まる所を好まないが、今回は映画を観に郊外の大型商業施設に行ってみた。
 何かと話題になっている施設であるが、私はまだ入ったことはなかった。ここだけではなく、私がまだ行ったことのない商業施設、あるいは1−2回しか行っていない施設は県内に何カ所もある。

 秋田県最大のショッピングセンター「イオンモール」は1993年に秋田市郊外の御所野ニュータウンに、秋田新都心開発整備事業の中核商業施設として誘致された。これに2001年に映画館「TOHOシネマズ秋田」が併設した。秋田市周辺のみならず全県から客があり、休日は大変な賑わいだという。駐車場は3.800台分あるというが、これが休日とかにはほぼ満車に近くなるらしい。

 5月3日の憲法記念日、家庭菜園の植え付けなどを予定していたが雨降りでダメになった。先に観た方々の勧めもあって、映画「テルマエロマエ」を観ることにした。ネットを通じて指定席を確保し、この施設に詳しい方から駐車場の選び方などのアドバイスを聞いて、1時間の余裕をもって向かった。周辺まではスムーズであったが、駐車場の空きがなく、家内を先に降ろして探し回った。結果的に最上階に何とか駐車出来、20分ほどの余裕を持てた。私が入った駐車場は一部らしいが、こんな大きい立体駐車場は初めてである。TOHOシネマズ入り口前は大混雑で心配したが、館内は8館からなっていて合計1,661席、適当に分散して私共が入ったNo1館は7割方の入りであった。

 先に入った家内は売店にて小型バケツほどの容器に山盛りのポップコーン、その他を購入していた。私は映画館は飲食できないものと思っていたが、多くの観客はトレイに何らかの飲食物をもって入場していた。これも驚きであった。

 私にとってはいろいろ驚き体験であった。
 感じたことは、市街地が休日というのに閑散としていたがここは別世界で、老若男女で大賑わいで、秋田市内が寂れていく大きな原因の一つになっていると思われた。これが県の開発整備事業の一環として誘致されたとすれば、行政としては市街地の過疎化に荷担した事になり、正しかったのか?と考えてしまう。 

 秋田市内の長期の過疎化が問題となって、いま旧婦人会館跡に新しい商業施設を建設中で、間もなく完成する。新県立美術館とかもあるが、広い年代に魅力的な施設をは思えないし、駐車場スペースも十分とれないだろう。私の印象ではオープン当初こそ若干賑わうかもしれないが、内容的には「イオンモール」と太刀打ちできない様に思われた。そうなると次の賑わい創世計画が必要になってくるが、手詰まり観は否めない。
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悲惨な交通事故多発(3)  高速バス事故 一日670Km、9時間まで運転可能とは!!!

2012年05月03日 13時02分18秒 | コラム、エッセイ
 4月29日群馬県藤岡市の関越自動車道で高速バスが防音壁に衝突、男女7人が死亡、39人が負傷し、うち3人が重体となっている。運転手のいねむりが原因らしい。次々と報道される高速ツアーバスの運行の現状に驚くばかりである。


 小泉政権時代の規制緩和によって、国内の貸し切りバス会社の数はこの10年で2倍弱の4300社余りに急増。旅行会社がツアーバス事業への参入出来ることのなったことで料金も低廉化し、2005年に約21万人だった利用者が2010年には約600万人に激増している。確かに便利になった,と思うが私は利用しようと一度も思ったことはない。怖いからである。

 秋田市と仙台市、首都圏を結ぶ便は空路や新幹線より安いこともあって若い世代を中心に利用されているようである。早朝出勤時、秋田駅付近には首都圏から着いた定期高速バスから大きな荷物を持った乗客が降りてくる。それを見る度に、全国的に見れば毎日軟00便もの夜間バスが運行されているだろうが、その割には事故が少ないことに驚きの念を懐いていた。

 安全対策は交通機関として最重要課題であって、規制緩和と相反するのだから、安全確保は徹底されていて、長距離の夜間便は運転手二人制だと思っていた。

 高速バスの安全基準は一体どうなっていたのだろうか。 また業界に対する国の指導や規制が適切だったのだろうか。このようなことは事故でもなければ滅多に公表されることもない。だからユーザーは綱渡り状態のバスの状況を知らずに、信用して利用している事になる。

 今回は■運転手は一人体制で、■金沢から運転、■「疲れていた」「居眠りをしていた」と説明している、というが、この3点は重要である。

 国交省の基準では、ツアーバスなどの貸し切りバスは1日に9時間、670Kmを1人の運転手に運転させていい、としていた。新幹線で言えばほぼ秋田・東京間にあたる距離であり、休憩なしで連続4時間運転して良いことになっている、という。私は自分ならあり得ない実態を知り驚いた。

 一方、総務省の調査によると、運転手の9割が、運転中に居眠りや睡魔を経験していて、原因に長距離運転や夜間運行、休み不足をあげている事が判明している。こんな状況なら事故が起きても不思議ではない。こんな調査結果を持っていながら国は何も対策してこなかったと言うことも驚きである。国交省は2年前に総務省から改善を求められていたが、業者への徹底が先と後回しにしていたらしい。
 今回も第一義として運転手の過失、次いで運行会社の責任が問われているが、実際には国の無策が起こした事故で運転手も被害者だと思う。

 私は車はとても便利だと思うが運転嫌いで、5-6Kmの通勤ですら嫌である。自分の安全運転に自信を持てないからで、自分に自信がないことは不特定多数の他人の運転も信用していない、ということ。空路や鉄道はヒューマンファクターによる事故を未然に防ぐための安全装置を各レベルで備えているが、バスを含む自動車にはまだ殆ど適応されておらずほぼ100%運転手の技量,心身の状態,健康状態に依存している。だから、安全上運転一人体制はあり得ない、と思う。

 今回の事故で明らかになって来つつある実態を見てますます怖くなってきた。国の早急な対応が必要である。
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悲惨な交通事故多発(2)  歩行者、自転車をハード面からも護って欲しい

2012年05月02日 03時00分14秒 | コラム、エッセイ
 私はここ数年は歩行と自転車中心であるが、昨年まで大型バイクにも乗っていた。車との関連ではいずれも交通弱者で、危険な思いをすることも少なくないので、交通行政からは目が離せない。
 新聞の交通事故報道は気がつく度に切り抜きしファイリングしている。多すぎてとても全部集めきれない。車が保育園児や高校生のに突っ込んだ事故を私のファイルの検索では以下が挙がってきた。

■2005年5月多賀城市RV車、高校生3人死亡、15人重軽傷
■2006年9月川口市乗用車、保育園児4人死亡、17人重軽傷
■2007年9月南陽市乗用車、児童1人死亡、1人重症
■2008年12月所沢市乗用車、児童1人死亡、4人重軽傷
■2011年1月仙台市ワゴン車、高校生1人死亡、1人負傷
■2011年4月鹿沼市クレーン車、児童6人死亡
■2011年9月仙台市乗用車、1人死亡、1人重症

 悲惨な事故が並んでいるが、これらの事故を受けて道路行政上で対策に乗り出したか否かは検索の範囲から出てこなかった。そのようなことが成された、という報道があったという記憶もない。

 昨年からは自転車は原則として車道通行になったが、その後車と自転車との接触事故や死亡事故が増えてはいないようである。ただ、自転車と車への指導は不徹底で、秋田では車道を走る自転車はまだ殆どない。私は原則的に左側の車道走行であるが、時折こころないドライバーがいて冷や汗をかくことがある。

 ところで、交通量が比較的多い交差点には歩行者がわたる時間をなくするために歩道から降りていく地下道が設置され、歩行者や自転車はここを通るようになっているが、基本的には歩道の設備だし、嫌な「ちょっと待て、車は急には止まれない」と同質の「お車様優先、弱者抑制による理不尽な安全対策」である。私が知っているのは茨島交差点、城東交差点であるが、昨年秋に後者がある横山金足線で車道走行していたら警察官に警笛を鳴らされ、歩道を走る様に、交差点は地下道を通るよう注意を受けた。その時はその指導に従ったが、自転車は車道を、と言う原則に矛盾しており腑に落ちない指導であった。

 後に、この交差点近くの派出所に電話で自転車の車道走行についての考え方を確かめたが、最初は自転車は「歩道走行、地下道を通るべき」との意見であったが、後に訂正の電話があって「自転車が歩道走行すべきであること、地下道を通るべきと指導する根拠はありません。交差点を通過しても結構です。しかし、当方としては自転車の安全を守るために地下道を通ってほしい、と指導しています」とのことであった。私は今でも地下道を通らずに交差点をそのまま走っている。ちなみに、旧産業会館前のT字路にも歩行者用の地下道があるが、車道には自転車レーンが設置されている。

 交通弱者保護にはドライバーへのマナーの徹底が重要であることは論を待たないが、ハード面での対策が必要である。歩道がない生活道路への車の乗り入れ制限、歩道へのガードレール設置、自転車走行レーン確保などは喫緊の課題である。
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悲惨な交通事故多発(1)  交通弱者保護をもっと前面に

2012年05月01日 07時24分36秒 | コラム、エッセイ
 4月は悲惨な交通事故が多発した。

■4月12日京都市の繁華街祇圃の交差点近くで軽ワゴン車が暴走、7人死亡12人が負傷した。不可解な暴走で運転の男性も死亡したが、てんかんの持病を持っていたと言う。
■4月23日京都の亀岡市で、集団登校中の小学生の列に無免許軽自動車が突っ込み妊婦を含む3人死亡。いねむりが直接の原因とされている。
■4月27日にも千葉や愛知で、登校中の児載の列に乗用車が突っ込む事故。よそ見らしい。
■4月29日群馬県藤岡市の関越自動車道で高速バスが防音壁に衝突、男女7人が死亡、39人が負傷し、うち3人が重体となっている。運転手のいねむりが原因らしい。

 4月12日の翌日から私は3日間京都にいたので地元の新聞を詳しく読むことが出来た。 
 車の走行状態から見て、病気か、故意なのか不可解な事故であったが、基本的には歩行者を守る道路行政の問題に突き当たっていくと思った。

 京都府亀岡市の現場は、府道で幅約6.5mで近くに国道9号が並行、渋滞のために抜け道としても使われ、交通量が多くなっていたという。この府道は07年に側溝を埋めて道幅を50cm拡幅。約1m幅の歩道を作ったがガードレールは設置しなかった。今回の事故後、現場の府道を登校時間帯に通行止めにしてほしいとの要望が出されたという。当然である。

 千葉や愛知の例は詳細は分からないが、前2者はドライバーと歩行者の良識におんぶした、わが国の道路行政の問題点にあると思う。白線だけで、あるいは低いブロックだけで歩行者と車を分けていても殆どなきに等しい。歩行者のすれすれに車が飛ばしていく状況を当たり前として容認している文化はおかしい。

 多少不便になっても、幅の狭い生活道路は基本的に登録車のみ、より幅の広い、今回の亀岡市の道路程度の幅があるところであれば最小限ガードレール設置が必要と思う。

 私は1992年に「車よ驕るなかれ」を書いたことがある。「車の対人事故の大部分は道路の構造的欠陥に由来するので、事故を防ぐ手立ては幾らでもある」、というのが本稿の結論である。時代が変わっても内容的には今も十分通用する文と思っている。
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嫌音権(4) 車の警笛でめまい これが Tullio現象 3回目の経験

2012年04月30日 06時12分31秒 | コラム、エッセイ
 本日は午後快晴、桜も満開、風もそれほどでない。よいポタリング日和であった。病院の帰路、千秋公園、旭川、草生津川と観桜ポタリングした。こんなに桜を求めて見たことは今までなかった。

 草生津川べりの公園の側の路上で停車中の軽自動車の脇をすり抜けた途端、車のクラクションが突然鳴った。びっくりした。その瞬間、一瞬めまいを感じた。何ら必要のない状況でのクラクションであったから注意しようと戻って運転席を見たら子供が運転席で悪戯していた。助手席の母親らしき女性がドアを開け「すみません・・」としっかりとした口調で誤ったので、私は黙ってその場を去った。

 私は車のクラクションは必要な装置とは思うが、音が大きすぎると思う。常にあれほどの音量が必要なわけではない。ワイパーに段階があるようにクラクションにも段階をつけるべきだと思う。ちなみに、私はクラクションを鳴らすことは年に一度もない。40数年の運転歴の中全てをトータルしても1分に満たないだろう。

 世の中騒さ過ぎる。私は機会ある毎に嫌音権を主張している。

  強烈な音刺激によってめまい、平衡障害を起こすことが知られており、Tullio現象といわれてる。イタリアの耳鼻科学者のPietro Tullioは1929年に名著とされる「Das Ohr」を出版したが、彼の業績の一つである。車のクラクションのほか、高速電車の通過、聴力検査の音でめまいを訴える患者もいる。
 音刺激がでめまいが生じる機序については、強烈な音が平衡感覚を司る前庭部を刺激するからと言われている。
 
 私はTullio現象と思われる経験これで3回目である。
 3度目は本日、2度目は2004年3月新横浜駅で「こだま」をホームで待つ間に「のぞみ」が通過した。すさまじい轟音と共に一瞬で通り抜けた。この時もめまいを感じ恐怖感も覚えた。引き込まれそうになる。駅にはホームドアが必要である。

 1回目は中学生の時。自転車パンク修理が終わって空気を入れているときに突然、轟音と共に白煙があり、タイヤがバーストし、10cmほど裂けた。テューブを戻すときにタイヤとの間にテューブが挟まったためと考えられる。この時は何が起こったか直ちには理解出来ず、頭の中が一瞬真っ白になった。このあと2−3時間、吐き気とめまいがしてまっすぐ歩けなかった。このことは私の記憶から消えることがない。

 最近、クロスバイクを用いているが、4ヶ月間の路上走行の間に8回ほどパンクした。実に頻繁で安心して乗れない。今は路上でテューブを交換し、自宅でパンク修理している。この時最も注意するのがテューブをタイヤを戻すときで、細心の注意で行っている。クロスバイクのタイヤ空気圧は通常より高く6気圧も入れるから、バースとしたらあのとき以上に大変になるだろう。
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宗教とは何だろうか(2)経や仏教用語は難解だ

2012年04月29日 05時44分28秒 | コラム、エッセイ
 最近、私は少しだけであるが宗教についても勉強し始めている。人間のありようを知るにも、世界史を学ぶ際にも必要だし、難解なパレスチナ問題を少しでも知ろうとするとどうしても宗教についての知識が必要となる。そうはいってもまだ手をつけたばかりで混沌としている。

 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の関係について少しずつ分かってきた。互いに相容れない関係にあるように見えるが、実際には殆ど共通した宗教である。同じ神が話したことを基にした宗教だから当然と言えば当然である。ただ、人種や民俗の問題、ユダヤ人迫害や流浪の歴史を同時に理解していかなければならず、その関係を知るのはなかなか難解である。

 この三つの宗教は互いの違いを強調している。特に、キリスト教徒は自分たちの、世界の救世主たるキリストをユダヤ人が殺した、と宣伝したことなどでユダヤ人を憎み、排斥する様になった。イスラム教は好戦的なイメージであるが、コーランの教えにあるのではなく、貧困が背景になっているようである。食事や礼拝等に関する戒律とかは厳しいがその他の所では結構融通性がありそうに見える。

 一方、仏教に手をつけてみると、言葉の難解さが壁になる。「南無阿弥陀仏、如来、涅槃、菩薩・・」と、古来の外来語だから仕方がないのかもしれないが、漢字に弱い私には難解である。

 先日、岩手県大槌町の方が岩手日報に「名は娑婆訶」と言うエッセイを投稿していたが、この題名を読めなかった。調べてみると読みは「ソワカ」である。「娑婆訶」とは「幸あれ」という言葉のようでもあるが、般若心経では駄目押しの言葉として使われている。遠野地方の民話には最後に「どんとはれ」、秋田では「とっぴんぱらりのぷう」と結ぶが、これ似たような言葉だと理解している。

 私は年に一回盆に墓参りをしている。その度ごとに住職から有り難い読経を戴くのであるが、挿入される私共家族の安全を願う様な一節以外殆ど理解出来ていない。それでも心が清む気持ちを得ていたのであるが、最近これではいかんと思うようになってきた。
 ブッダの教えをまともに知る機会を得ないまま生を終えることは実にもったいない。だからといって仏典を直接読み解くのは私にとって無理である。解説書はいろいろ出ているが、仏典を現代日本語訳にした文献を探しているところである。

 生命科学者で自ら生死の淵をさまよった柳澤桂子氏の「生きて死ぬ智慧」、詩人の伊藤比呂美氏の「読み解き般若心経」あたりから手をつけてみたい。

 エッセイの「名は娑婆訶 (ソワカ)」はネコの名前であった。ちょっとガックリ来たが、2年前の5月に死んだわが家のネコ、通称「ナンナン」に対して私がつけた正式名は「マルスランナ・ランドスト・福田」で、特別の意味はないが、似たようなものか。
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