北山・京の鄙の里・田舎暮らし

北山、京の北に拡がる山々、その山里での生活を楽しんでいます。

北桑田にあったスキー場・洞スキー場など

2008-02-12 00:25:52 | 自然・風景
このブログでいつも楽しいコメントを頂いている道草様がご自身のブログ、「ぶらり道草」で1月26日に「木馬(きんま)滑り」という記事を書いておられました。

>京都府には以前は4個所のスキー場があった。その内の、越畑と花背のスキー場
>は既に廃業している。越畑は愛宕山の麓になり、花背は鞍馬山の奥になる。私の
>記憶によれば、昭和30年代は京都でも積雪が多く、4個所ともかなり賑わってい
>た。それが今では、残っているのは大江山と広河原の2個所になった。 、、、

と書かれていましたので、北桑には鶴ヶ岡にもスキー場があった旨のコメントを投稿しました。
http://blog.livedoor.jp/syoukaibu/archives/51882178.html#comments

私自身このことを知ったのは確か昨年だったと思います。そこで少し調べましたところ、平成2年10月5日に鶴ヶ岡自治会によって刊行された「ふるさと鶴ヶ岡」に「洞スキー場と北桑スキー連盟」という記述を発見しました。美山町誌にも「スキー教育」と題しての記が述があります。

「ふるさと鶴ヶ岡」p438には、「洞スキー場と北桑スキー連盟」と題し;
>大正11年、洞にスキー場ができた。これには洞区と平屋小学校長、伊藤民蔵の
>協力に負うところが大であると聞いている。この地は洞の共有茅山で山岳スキーの
>練習地としては格好の地なりと折り紙付きであったが、何分にも交通機関に難点
>があり、大いなる発展はみられなかった。しかし北桑山岳連名が発足し、昭和9年
>2月には北桑スキー連名の発足をみることになり、暫く脚光を浴びてきた。その中心
>はなんといっても鶴ヶ岡スキー倶楽部の面々であった。尊重を始め郵便局長、小学
>校長、洞区長などを顧問に推載し、賛助会員三名を含む42名の会員を擁してい
>た。
そして、知井や平屋など他の地区のスキー連盟も北桑スキー連盟に加盟し、「銀盤」という機関誌が昭和11年1月に創刊されたこと、大丸百貨店や毎日新聞が肩入れしていたようだ、、、などなど盛んなスキー活動の様子や思い出などが6ページわたって書かれています。トップの写真は「ふるさと鶴ヶ岡」のp438に載せられているものです。

昭和11年頃が最盛期でその後は戦争や交通の不便さから自然消滅の道を辿った様です。

この洞スキー場があったのは地図上では;
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&grp=all&nl=35/20/19.841&el=135/30/44.973&scl=250000&bid=Mlink
のあたりだと思われます。

この近くには中風寺で有名な成願寺があり、また洞という地名は水上勉の小説にも時々登場します。更に西へ行くと洞峠。この峠道は京に都が移される以前の奈良時代から開かれ舞鶴街道の重要な峠であったそうです。この峠を越えて綾部市に入った古屋には往時には60軒ものあったそうな。

なお、上記地図で少し東に移動していただくと八ガ峰(はちがみね)・知井坂というところがありますが、ここにもスキー場があっと聞きます。

さらに佐々里にもスキー場がありました。佐々里は今は雪遊びの場やキャンプ地として利用されていますし、釣り場としても有名です。

同じ美山町でも知井地区はやはり雪が深く、知見などは1メートル以上積もっているそうです。この冬の初めは暖かい日が続き、美山へ行ったとき雪灯廊や雪祭りのパンフを預かったとき「雪が心配ですね」と声を掛けてしまいましたが、こういったお祭りも無事開催されたそうです。

雪がよく降った一昔は北桑に拘わらずあちこちにスキー場があったのではないでしょうか?
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5 コメント

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昔のスキー場! (道草)
2008-02-12 07:09:45
昔の北桑田郡には何箇所もスキー場があったのですねぇ。勉強不足でした。反省と共に、とても興味深く読ませて戴きました。やはり、当時の美山地区(北桑北部)は、それだけ雪が多かったのでしょう。
佐々里へは行ったことはありませんが、懐かしい地名です。周山中学の同級生(中坂経子さん)が、小学校の教諭になって初めて就任したのが、佐々里分校でした。
丁度その年に私は松下電器(摂津富田)へアルバイトに行っていて、同社の景品で真空管型の万年筆が沢山残っているのを発見しました。会社の人にお願いして、それを佐々里分校の生徒達へと、彼女を通じて贈りました。後日、全員からお礼の可愛らしい手紙が届きました。今でも残してありますが・・・。
そんな経緯があって、佐々里の地名を覚えています。もう、半世紀近くも昔のことです。余談で申し訳ありませんでした。
佐々里 (mfujino)
2008-02-12 19:24:15
道草様は良いことをされたのですね。同級生の中坂先生に会いにはいかれなかったのですか。でもそれもそうでしょう。佐々里まで行くのは昔は一日仕事でしたでしょう。今は道も良くなり車で簡単に行けますが。佐々里は良いところです。スキー場跡から更に奥に入ると、布引の滝、馬場の滝などがあります。私が大好きなのは新緑の頃の全山笑う風景、紅葉の時期も素晴らしい。帰りにはスペースウッドでコーヒーを飲んで帰ります。
佐々里はまた鯖街道の途中でもありましたし、また甲賀三郎源兼家の大鹿退治の伝説の地でもあります。その家来の一部はこの地に残り永住し知井之庄開拓の先人(智伊十苗)と伝えられているそうです。また馬場の滝には都から落ちのびたお姫様の哀しい物語もあります。
櫻の苗床山として (硯水亭 Ⅱ)
2008-02-14 17:09:52
    Mfujinoさま

 暮れからお正月に掛けて海外でダウンして以来、こちらに新年のご挨拶もないままに今まで過ごして参りました。敷居がすっかり高くなっておりました。ズボラで本当に申し訳御座いませぬ。時時覗かせて戴き、幽妙なる山里にただただ想いを馳せるばかりでありました。未だ具体的には申し上げづらいのですが、この辺りに櫻の苗床山を計画しております。既にコア採集も終わって、価格も何とか妥協点がありそうです。周山・京北・美山と、何処かに必ず櫻の苗床が出来るでしょう。或いは櫻山かも知れません。京都以外の人間が余計なことをするなとお叱りを受けるのではないかと想われ、前の財団の時に一緒だった佐野籐右衛門さんの「植籐」を入れるかどうか、まだまだ論議を尽くす必要がありますが、スキー場と伺い、矢も楯も堪らずカキコに及びましたこと、どうぞお許し下さりらく存じ上げます。これからはもっと積極的にカキコに傘下させて戴きたい思いでいっぱいです。どうかよろしく御願い申し上げます!
正誤 済みません! (硯水亭)
2008-02-14 17:13:22
下さりらく×→下さりたく○
傘下×→参加

 そそっかしくて済みません!
櫻・自然・情報、、 (mfujino)
2008-02-15 01:44:50
硯水亭様、貴ブログを読ませていただきご消息を知りながらもお見舞いもせず申し訳ございませんでした。櫻山のご計画着々と進んでいるようですね。我が京北の住人といたしましては是非京北の地に実現していただきたい気持ち大なるものがありますが、主役は桜という生き物であり、桜が一番活き活きとする場を選んでいただきたい気持ちです。しかも桜が他の木々と仲良く生きているすがたでありますように。
今日、義兄とばったり遭い立ち話で林業の現状を憂い合ったりしておりました。当地は林業の地、山が寂れれば里も寂れているという山と共にある地です。しかし従来の林業だけの枠に囚われることなく、しかし「山」をキーワードに未来を考えるべきではないかなとも考えます。姿は変われども自然と共に生きる生活が見直される日は必ず来ると信じています。ただ情報技術の導入は不可欠と考えています。昔は峠道と川が情報のパイプでした。我が祖先は奈良の都に、京の都に密接に関わってきました。我々が学ぶべき視点は世界の中心とコミュニケーションをとる視点ではないかと考えています。豊かな自然に囲まれながら世界を見据えた生活が出来る場が我が故郷であって欲しいと願っています。暫くご無沙汰している峠歩きの機会を増やし、峠から光ファイバーや衛星の事を思い、木々や草花と会話できるのが夢です。
ここで硯水亭様のお考えを読ませていただけるのはこの上ない幸せです。こちらこそどうぞよろしくお願いします。

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