北山・京の鄙の里・田舎暮らし

北山、京の北に拡がる山々、その山里での生活を楽しんでいます。

「西の鯖街道」創刊号・シンポジウムなど

2008-07-18 01:14:42 | 山・峠・街道
まずトップの写真はこの7月に西の鯖街道事業委員会から発行された創刊号の表紙です。その内容は;
p1-2 トップバッターは高浜町の館太(タチタ)正さんの巻頭インタビューがp1-2をかざり、館太さの熱いメッセージが伝えられています。
p3 (街道のまち・むら紀行1)高浜から奈良の都へ「塩の道」と題して高浜の塩の話と高浜の地図
p4 (街道のまち・むら紀行2)中継の宿、美山・鶴ヶ岡の「きぐすりや」さんが登場
p5 美山の観光地図
p6 (街道のまち・むら紀行3)京北、禁裏御料地「山国」が常照皇寺と山国神社を中心に紹介されています
p7 京北の観光地図
p8 (街道のまち・むら紀行4)鷹峯、御土居、「そして京見峠」
p9 洛北鷹峯の地図と四条大宮の地図
p10 いくつもある西の鯖街道と題して、鯖街道のルート地図
p11 セミナールハウスの歴史街道・西の鯖街道の講座案内
という内容になっています。発行部数は当初300,000部と聞いていたが、新聞報道によると20,000部となっていた。

もう一つは去る11日に四条大宮のアークホテルで開かれたシンポジウム。
京都新聞で報道されましたので興味ある方は http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2008071100235&genre=O1&area=K00 を読んでみてください。

上賀茂神社の権禰宜、藤木保誠氏の講演のあと、坂上英彦、京都嵯峨芸術大学観光デザイン科教授がコーディネーターとなり、小畑實先生・館太正さん・石浦紀京北商工会会長・中島三夫南丹市参与(前美山町長)・石田哲雄四条大宮商店街振興組合理事長の5名がパネラーとしてそれぞれの意見を発表された。
私は小畑實先生の発表をパワポで制作してのお手伝いであった。

12・13日はゼミナールハウスの西の鯖街道歩きの講座。知見の里と知井坂を歩いた。この際、ゼミでは4枚の道標を作成し設置した。京都新聞の井上記者が取材にこられ16日の朝刊にその様子が報道されました。http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2008071600046&genre=K1&area=K1H
30名を越える参加者に気持ちよく歩いていただく為にいろいろ準備をしましたが、それはそれなりに大変でしたが楽しいものでもありました。

祇園祭の宵々宮の15日は四条大宮で「西の鯖街道市」が開かれた。正午から開始されたのであるが梅雨明け間近の猛暑で昼間は人出は少なかった。おまけに夕方にはすごい夕立でみんなテントに入って中断。私は7時半頃にお役後免で帰宅したが、もう一度夕立があったあとジャズやサンバで賑わったようである。この催しは四条大宮商店街が毎年開かれていたが今年は西の鯖街道市と名前を変え、高浜・美山・京北がそれぞれテントを張って特産品を販売した。

シンポジウムではパネラーの発言時間には制限時間があるが、小畑先生や館太さん、話し出したら止まらない。シンポの前に館太さんに15分しか時間がないそうですね、と話しかけると、そうなのよ、もっと時間をくれというとるんやけど、、と残念がっておられた。小畑先生も途中でパワポの画面を出していたら、はいこれはパス、と次に進められたりして、用意したもの全てをプリゼンできなかった。

以上、上滑りの報告ですが、今後様々な事業が企画されていますのでその都度報告をしたいと思います。しかしそれだけに留まらず、この街道に横たわる歴史・文化・自然について発信し、今後を考えていきたいと思っています。
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2 コメント

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素晴らしい! (硯水亭 Ⅱ)
2008-07-18 12:05:46
     Mfujinoさま

 素晴らしいことをおやりになられているのですね。この本を是非読んでみたいと思います。一般の書店でも購入可能でしょうか。興味尽きない情報がたくさん盛り込まれているような期待感でいっぱいです。あの日夕立の時は、私たち専用の離れで親子三人ベタベタしていました。久し振りに逢う娘の成長は早いこと早いこと。益々可愛く(親馬鹿チャンリン)なってくるようです。

 北前船の往来は京都と地方を考える上で至極重要なことです。例えば紅花のことですが、山形県西村山郡の河北町を中心に、紅花の殆どが栽培されていますが、紅の花びらを朝露の出る寸前(その瞬間の一時間だけは棘が痛くない)に摘み取り、紅餅にし、駄といいまして、俵二表を馬の背に両方さげることを一駄と数えるのですが、何百駄もの紅餅を、船に乗せ最上川を下って、酒田港で荷揚げをされるのです。そうして琵琶湖経由が多かったようですが、次々に都へ運ばれ、そこで消費されます。一方北前船は京都からの文物を船に乗せ、地方地方に帰って行きます。京都の古着や書物や何でもかんでも乗せたようですが、河北町に今でも京都製の「享保雛」が現存しています。それは東北だけではなく、九州や果ては北海道まで行き渡っていました。京都の平野屋さんの「いもぼう」が御座いますが、北前船の経由地では「いもぼう」とよく似たお料理が浦日本全体に多く分布してあります。中でも最上川沿いに発展したと思われる山形名物・秋の芋煮会は現在でも大変盛んに行われているのですが、北前船の終着点の、その先の大河の傍で行われた「直会(なおらい)」はその原型ではなかろうかと想像しています。山形は牛肉生産が盛んであったので、海老芋に変って里芋が使われ、棒鱈に変って牛肉が使われたのでした。京都を中心に、北前船や鯖街道の果たした役割の大きさは凄いものがあります。是非日本全国の範疇でお考えられたらいいのではないかと考えています。まさしく藤野さんがおっしゃる通り、街道とは文化の伝達の街道に他なりません。

 尚京都産の「享保雛」は大分県日田林の豆田町にある人形館にも大切の保管されています。他にも研究材料はやたらと多く、今深刻に顕彰しておかなければ、危うい存在になってしまうでしょう。文化交流史の大切さは日本人の素型を考える上で物凄く大切なことでして、日本文化は世界中に全くない最高の文化水準を誇っていると思われてなりません。

 350年も平和が続いた平安時代や250年も平穏な時代が続いた江戸時代は、武力のみによる平和ではなかったはずです。世界中一国だけでそんな平和が永く続いた国はどこにもないのです。日本人は先の大戦で、永い深い悔恨や禍根を残しました。でも手をこまねいている場合ではないでしょう。戦後の民主主義は横並び平等主義のもとに、今日本人の心は完全に痴呆化し、過去の残すべき素晴らしい価値観が崩壊しつつあります。あの日露戦争は危ういところで首の皮一枚で勝利したものでしたが、あれからですよ、神国と吹聴され、軍部の独走が始まり、原爆が投下され敗戦してしまうまで、たったの、実にたったの40年間でしたから!!!!驚愕すべき短時間でありました。

 今この痴呆化に対する処方箋は、日本人の歩んで来た今までのすべて価値を検証し直して、新しい道徳を構築することに尽きるのではないでしょうか、そして新しく再チャレンジすべき時なのでしょう。日米安保条約は現在必要なものかも知れませんが、江戸後期に結んだ日米和親条約(不平等条約)と少しも変っていないのではないかと疑ってかかってもいいのではないかと。だって世界中探したって、ここまで広範囲にアメリカ一国だけに基地を提供している国はないのです。白洲次郎が考えた本当の独立国家はこれからが本番ではないかと考えられます。それには一つ一つ地道な研究の積み重ねが絶対に必要なことでしょう。

 櫻は日本人の美徳の象徴として、営々と築いて行きたいと考えます。永くなって御免なさい!
街道を語ること (mfujino)
2008-07-19 18:19:33
硯水亭さま、 いつも詳しいコメントありがとうございます。大変参考になり、また新発見の連続であります。我が大好きな「芋煮」もこんな背景があったとは驚きです。芋煮といえば山形を思い出しますが、愛媛県などでもよく似た風習があると聞きますが、これも北前船が残したものなのでしょうか。
鯖街道を語るとき、単なる鯖が運ばれた街道というのではなくやはり世界的な視点でというと大袈裟ですが、少なくとも街道を語るわけですから外国との交流まで視野を広げていたいと思っています。これからもご教授よろしくお願いします。
広報誌「西の鯖街道」ですが、これは書店にはありません。硯水亭さまの為に何冊かキープしておきます。でもあくまで広報誌ですので内容についてはあまり期待しないでください。

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