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父が他界しました

2016年12月26日 | ひとり言
12月26日(月)
2016年12月26日、父が他界しました。
いつものように仕事後、父の入院する病院に向かう途中で仕事中にできないスマホチェックしてたら妹からLINEが入ってて…着信は16時前だったけど、父の具合が良くないと病院から母に電話があったって。
とりあえず、妹に電話してみたら…もう亡くなっていました。
どうやら病院から母に電話があって間もなく息を引き取ってしまったらしいです…
だからその瞬間には母も立ち会えてなかったんだけど、俺が18時前に着いてからもまだモニターや酸素補助が付けられててさ。
モニターなんて「ピー」という0表示でアラームが鳴ったままだったんだけど、俺が到着してから少しして担当医が来て最期の状況の説明がされ…そこで改めて脈、心臓、瞳孔なんかが確認されて死亡と診断されました。
昨日は日曜だったから午後12時半ごろから1時間ほど居て…「今週は休みが今日だけだからもう帰るよ、また明日仕事後来るから」と言って帰ったんだよ。
11月初めの危機を乗り越えて…それ以降は良くないながらも安定はしてたんだけどなぁ、急と言うか呆気無さ過ぎて実感が湧かないんだわ。
11月のときは危ないと言われてから2~3日のヤマがあって会社早退したり、ちょうど週末だったんで俺も病院に2日続けて泊り込んだりしてて…あまりの緊張感?に胃をヤラれたからね。
それが今回は病院から呼び出しが来た直後には亡くなってしまったんだから…「え」って感じだよ。
11月に予行練習というか心の準備をさせておいて、少しほとぼりが冷めたころ突然逝っちゃうんだもんな…もちろん悲しいけど、父の奮闘を称えてあげたい気持ちの方が強かったよ。
37週と2日…計261日よく頑張ったよぉ、12月16日ごろさぁ4人部屋で同室だった2人が立て続けに亡くなられてさ。
まさかウチまで続くとは思ってもみなかったよ…病院の医師や看護師さんたちにもお世話になりました。

4月10日の17時ごろ、下にいた母から「ちょっと降りて来て」と言われて居間に行ってみるとコタツに入って座った状態で意識が朦朧としている父がいました。
呼び掛けにも反応せず、目も虚ろで一点しか見ておらず、身体も動かさない…「コレはヤバいぞ」と急いで救急車を呼び、18時すぎに共済病院に収容されました。
診断は「脳梗塞」でした…処置がされるもほぼ左脳が壊滅した状態で…一命は取り留めましたが、何もできない身体になってしまいました。
父はそのとき74歳、その後入院中に75歳になったんだけど、目はメガネやコンタクト使っていないし、耳も遠くない、足腰も丈夫で週2回プールに行って泳いでたし、食欲もあったし…何も不自由が無かったんだよ。
それが脳梗塞になって一転、真逆の人間になってしまったんだもん…こんなことが無けりゃあと最低10年はそれまでと同じ生活ができていたはずなのに。
たった一瞬のできごとだったんだと思うんだ…あの日、俺は16時ごろ下の居間に行ったとき、父が立っててさ。
立て替えてもらってた着払い荷物のお金を居間に置いておいたんで「お金、受け取ったよ」みたいな声を掛けられて「あ、うん」みたいに俺が返したのが最後に交わした言葉になったよ。
それから母が買い物から帰って来る17時くらいまでの1時間の間に脳梗塞になっちゃったんだよ…コタツに座ってたんで倒れたとかなく、いつもコタツに入って本を読んだりテレビを観ているのと同じ状態だったんだわ。

共済病院では脳外科で脳の腫れが治まるまで入院し、その後5月30日に久里浜のパシフィックホスピタルに転院することになりました。
この病院に入院することで、もう治る見込みは薄いのは分かったよ…だって主治医も脳外科医じゃないからさ。
あとは長期的に療養…悪い言い方をしてしまえば、ココで死を待つという感じなんだよね。
それでも症状は変わらずも安定はしていたんで…もう何も分からなくても生きていてくれるだけでイイと、俺も共済病院(家から徒歩で行ける)から引き続き仕事帰り(家から見れば会社と同方向)も週末もだからほぼ毎日、居られるのは30分~1時間くらいでも様子を看に行き続けました。
もうそれが日課となり…それがまだ父が生きているという証だったので…でももう年明けから仕事後はまっすぐ家に帰ることになるんだなぁ。
今日、約8ヶ月半ぶりに父が家に帰って来ました…あの病院に入院した時点で生きて退院することはないだろう、家に帰って来るときは遺体だろうな…と思ってたとおりになったよね。
でも、まだ2、3年でもイイから毎日会いに行きたかった…一緒に住んでたってもう小さな子でもないし、そんなに会話することも無かったからさ。
それが父の入院期間中は毎日会いに行って…目は開けてるけど何も反応が無い父と向き合える機会ができたんだけどさ、きっと心では来てくれた親族・友人の姿が見えて声も聞こえていたと思います。

この家に家族で住み始めて約35年かな…父が購入して完済し、この家で俺ら兄妹も育ててもらいました。
最近は電車通勤で下りに乗ることが増えたんでさ…その前に住んでたアパートが京急線路沿いにあるんで、そこを通るたびに生まれてから10歳ごろまでのことを思い出すんだよ。
父もまだ若くて…狭い部屋で妹と家族4人で暮らしてた、日曜なんか10時すぎまで川の字じゃないけど皆で寝ててさ。
元々旅行好きな父にはいろいろ連れて行ってもらったよ…運転免許持ってなかったから大体電車やバスで出掛けるんだけど、俺は小さい頃は乗り物酔いがヒドくてさ、よく吐いて迷惑掛けたよ。
そして下の妹が生まれて3年くらい経ってから今の家に引越しました…父が購入してから祖母が住んでたんで前から遊びに行ったりしてて知ってた家だったけどね。
増築して部屋も増やして両親、祖母、妹2人と6人でしばらく住んでいたけど…17年前に祖母が亡くなり、妹2人も結婚して12年くらい前から両親と俺の3人暮らしになりました。
その後俺は2006年~2009年まで中国に住んでいて離れてはいたけど、帰国後また実家でお世話になっていたからさ。
妹2人は結婚して孫を抱かせてあげて立派に親孝行できたのに…俺は未だ結婚もせず、商売も失敗、授業料の高い私立大学に入って無駄な投資もさせてしまったよ。
何も親孝行できなかったせめてもの罪滅ぼし?が毎日のお見舞いだったんだけどね…だからこそ、この先もずっと続けさせて欲しかったのにさ…早いよ。
年賀状も20日ごろには投函しちゃってたからさ…年越しは間違いなくできると思ってたのに突然だったもんな~
時々、心拍が急激に下がって呼吸が乱れ…でも一時的で少しずつ戻り…一度は上がりすぎちゃうんだけど、また安定することがあってさ。
それが戻るからイイけど、落ちたまま戻らないと危険とは言われてたけど…今までは1分以内に戻ってたから、心配ではあったけどどのタイミングでそうなるのか?は予知はできないからね。
今週、100円ショップで正月飾りでも買ってベッド周りを装飾してあげよう…って思ってたんだよ。

小さい頃はいつもは怖くないけど怒らすと怖くてさ…口答えなんてできなかったもんね。
だけど俺のヤルことに一切口出ししなかったよ…信頼してくれてたのかな?
20年くらい前からかな…元々穏やかではあったけど、かなり丸くなった感じがしてさ。
60歳で定年後は好きな旅行や読書、運動などしながら15年経ち…父はイイ歳の取り方をしてるって思ってたんだよ。
孫たちにも優しかったしさ…ホント、家族を大事にする人だったね。
父は自分の父(俺の祖父)を戦争で亡くしているんだわ…生まれは広島県呉市、母(俺の祖母:17年前没)は横須賀の人だったのかねぇ?
海軍軍人だった祖父は結婚後、夫婦で呉に異動して父が生まれた…それから約1年半後、横浜で叔父(父の弟)が生まれたと思われます。
その5ヵ月半後に潜水艦に乗艦していた祖父はニューギニア方面で戦没したと見られています。
それから昭和19年に祖母が息子2人と?横須賀に戻って編入されていました。
だから父は母子家庭だったから「父親像」って分からなかったかも知れない…でも自分が父親にしてもらえなかったことを自分の子供にしてあげたいと思っていたでしょう。
几帳面で堅実、真面目な父だったよ…自分の趣味や個人のことで散財するような人ではなかったもん。
昔のアパートに住んでたころは時々、残業なんてあったけど…大体いつも同じ時間に帰って来て家族で夕飯を食べてたね。
俺は野菜がキライで…よく母に怒られながら食ってたけどさ。
近くの中央公園で自転車乗りの特訓?をしてもらったり、キャッチボールしたり…麻雀や将棋なども教えてもらったなぁ。
パソコン(当時あったMSX)というモノを30年以上前から買ってくれて…ゲーム中心だったけど、そういう新しいモノにも触れさせてもらってたよね。
バカで算数が苦手な俺の特訓も泣かされながらやったよな…俺も父みたいな父になれるかな?(もう遅い?)

父が亡くなったと聞いてから喪失感と今まで毎日病院に通っていた緊張感?が無くなったせいか?胃が痛くなって…翌日(27日)は発熱(38.5℃)とゲリもですわ。
今まで何があるか分からないから倒れられないという使命感があったのかな…それから解放(俺は解放なんてされたくなかった)されてドッと疲れが出たのかも知れないね。
通夜は29日、告別式が30日…今日は27日なんだけど、明日1日ゆっくり休んで身体治しておかないとね。
喪主は母だけど名ばかり?で、俺ら兄妹がいろいろ決めるトコ決めてサポートしてあげなきゃいけないからさ。
俺は29日まで出勤で正月休みは30日~4日だったけど、27日から休んでいるから…少し長い正月休みをもらうことになっちゃったな~
忌引きって連続で5日とか7日となると…ちゃんと1月5日から出勤しなきゃならんのかね。
なんかもう何もヤル気起きないな…人の子でしかない俺はいつまでも父の子なんだよ。
妹2人は結婚式とかで父(両親)に感謝の言葉を伝えているけど…結局俺はそういう機会が無いまま別れてしまったな…
告別式で挨拶することになると思うけど…天にいる父に届くとイイなぁ、ホント生きてるうちに伝えたかったよね。
この空虚感…どうなっちゃうかな…何か打ち込めそうなこと探そうかなぁ?


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お悔やみ申し上げます (ディーノ)
2016-12-31 20:55:00
ブログを読んでいて、お父様が、いつか回復する記事が出ていたらいいなぁ・・・と思ってましたが・・・。
 お父様のご冥福をお祈りいたします。
Unknown (Hanako)
2017-03-06 20:58:03
初めまして。
衣笠病院の歴史を検索していて
主様のブログが目に止まり、
こちらの日記を拝見させて頂きました。
お父様、心よりお悔やみ申し上げます。
うちの母も脳梗塞で今年の1月に
共済病院へ入院、現在は衣笠病院でリハビリ
していますが重度障害者になってしまい、
立つことも歩くことも出来ません。
病気らしい病気もしたことがなかった母ですが
顔つきまですっかり変わってしまった母。
やっぱりショックですね。
私も嫁ぎ先から実家に戻ってきて今は毎日母の
歯を磨きに1日2回病院に行っています。
病気になると本人も家族も辛いですよね。
、、つい、親近感を感じて書き込みしてすみません
(ほぼ同世代ということもあり。)うちの実家は17年前に横須賀に引っ越してきて、知らないことも多く
ブログを拝見させて頂き大変興味深かったです。
ありがとうございました。

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