metch Happy days

クリスチャンで、韓国で神学を学んでいるめっちの毎日の成長をつづるブログ

片付けてます

2009-07-28 12:54:13 | 韓国ライフ
引越しがいよいよあさってです!
わくわくします。

引越しが決まりそうなとき、夫婦二人で祈りながら、御心のところに
導いてくださいと神様に話しました。
話しながら、今の家が与えられたときの感謝も思い出し、不便は色々
あったけど、神様に感謝しつつ、「この後引っ越すときまで、決して
Gokiburiを見ないようにしてください」と祈りました。

その後、九州に行き、夫が先に帰ったときには床で孤独死している「G」が
いたそうなんですが、見事、本日に至るまで私と「G」とは遭遇していません。

途中で、教会の修練会もあったので、三日ほど家を空けてましたが、以前
ならば、空けている間に彼らに家が乗っ取られる勢いだったのですが、
今回は本当に成虫の「G」を見ません。(赤ちゃんは時々出てます)

祈りってすばらしい!

このまま後、二晩をお目見え無しに引っ越せることを改めて祈っております。

家は今引越しの片づけで物があちこちに散らかっています。
今日、早天祈祷会5時半、ソウルでもっとも金持ちが住むカンナムにある所属教会
の祈祷会に行って来ました。
帰り道、近くのスーパーに、素敵なダンボール発見!

朝っぱらから、金持ち街でダンボール二個ずつ拾って歩いている堀江夫婦。
自分たちに笑えます。

韓国には、引越しセンターと、ただの「運び屋」の二種類があるようです。
前回引っ越したときには、「運び屋」に依頼して、男性一人が来て、
トラックに物を積み、私たちも同乗し、夫は冷蔵庫の運搬を手伝わされ、
体が痛くなってました。
そのときのお値段、7000円程度。安い!

今回は引越しセンターにお願いしました。
つめる、乗せる、荷を解く、全部やってくれるそうなのですが、夫は、
どうせ乱雑にされるから僕たちで箱に入れて、解くのも自分たち、
と言っています。

まー夫の言う通りなのでしょうが、ダンボール集めだけでも結構大変ですよね。
センターにお任せして後で自分たちで片付けても、と思いましたが、
従っています。

今日も楽しい我が家です。

九州

2009-07-21 20:15:47 | 家族の話
先週月曜から、今週の月曜まで、夫の実家のある九州に行ってきました。

夫を外国でであった日本人で、身近な人として認識してましたが、九州に行くと
舅の話すことばは、博多弁、夫までもが、ソウルでは標準語だったのに
実家に帰ったら方言ということで、完全私だけガイジン状態です。

お義母さんがなくなって一年になりましたので、実家で記念会を催すという
ことがメインの目的で帰省したのですが、予定が二転三転しました。

当初の予定は、ソウルからKTX(新幹線みたいなもの)に乗り、プサンで
船に乗り換えて福岡行きという予定でした。
それというのも、10年前に横浜の母教会にきてくれた短期宣教チームと
そのとき以来で連絡が取れ、会う約束をしていたから、わざわざ船での
帰省を計画していたのでした。

10年前教会に来てくれたそのチームのうち、女の子二人が家にホームステイを
しましたが、そのとき、母はもちろん、私も韓国語を習ったこともなく、
その二人との会話はとんでもない英語と手振り身振りでした。

韓国に来て3年になり、あるサイトを通じて名前を検索して彼女たちに連絡を
取ることができました^^

会うことを大変楽しみにしていたのですが、結局…韓国で協力関係を持っている
ドキュメンタリー監督が日本の福岡で私たちの滞在と日程がかぶって
集会をするということになり、一緒に韓国で行動することになってしまい、
飛行機での往復になりました。

いつも横浜の実家に帰るときには、成田に着けばそこから2時間近くバスや
電車を乗り継がなければいけないので、韓国と日本が近いと言えども、まぁまぁ
大変ですが、福岡は、というか、夫の実家は空港からも車で20分程度、飛行時間
はきっかり1時間なので、大変大変近いです。

来るなり翌日から、鹿児島へ~
お義父さんのお姉さんが鹿児島に嫁いでおり、毎日毎日一人暮らしのお義父さんは、
私たちが来るとうれしいのと、嫁に九州を見せたい熱意でアチコチ行きたがります。

私も鹿児島は小学校3年くらいのときに行ったきり、一度も行ってないので、
期待感がありましたが海に浮かぶ桜島を見て、うわぁー本当に来たーと
思いました。

関東は人口が多いせいか・・・いい景色の道路は常に大渋滞ですが、九州は
走っても走っても混むことがないですね。
鹿児島ではますます訳のわからない鹿児島弁で、昔の話をしているので、
私はついつい眠くなってしまい、暑いしだるいしでうとうとしてましたが、
お義父さんが満足そうだったので、ヨカッタヨカッタ。

翌日は鹿児島でちょこっと観光して高速道路で福岡に戻ってきましたぁ。

次の日からはお義父さんの確定申告(遅れすぎ)や何やかやで飛ぶように時間が
過ぎて行き、記念会をこなし、週末になったら夫は先に韓国帰り、
そして監督が来て、飛ぶようにスケジュールをこなし、韓国に戻ってきました。。

こっちはこっちで引越しの準備でございます。
毎晩夜遅く、地域徘徊してダンボール収集に励みます。
来週木曜お引越しです。

きんきょー~

2009-07-11 19:42:11 | 波乱万丈めっちの人生
忙しいですねー。
全然更新できてないのですが・・・、
見に来てくださる方がいらっしゃるようで、ありがとうございます!

さてさて、最近は本当にあわただしく過ごしています。
ちょっと前に予期せず実家に用事があって10日間横浜に帰り、その後、韓国に来てからは、日本からの牧師先生をお迎えしたり、一緒に働いてきた韓国リバイバルミッションの大切な仲間が日本に帰って行ったりと、わちゃわちゃした後、更に新しい本の翻訳がとても急がれていることが発覚し、(韓国ではいつものことだが)焦りに焦って、夫婦一緒作業。
二人一緒に時間が取れたことが幸いし、二人して訳、音読、赤入れ、仮印刷、音読、見直し、手直し、、、の繰り返しでようやくデザインまで完成し、印刷屋へ入っていった模様です。

デザインをしてくれる方が、これまた水曜の夜にネパールに行くということで、それもあって焦り、本自体も焦り、三日間は朝から晩まで、その出版社の事務所におりました。

やっと終わったと思ったら、お引越しにむけて活動に動きがありました。

実は新しい家に移りたいと思い、日本人だけで不動産やに行くのも難しいので、前々から信頼できる友達に頼んではいたのですが、実際に見なければ埒が明かないというところもあり、金曜の午後、友達の時間ができて、急に不動産屋にいくことになりました。

そこで、見つけた家に行こうと決定しましたが、となると、今の家の引き払い、引越しの日程、今の家を不動産屋さんに出すなどの付随したあれこれ用事が生じてきて、しっちゃかめっちゃかです。

福岡の主人の実家に月曜から帰りますが、本の翻訳を手伝った出版社の人たちがこれまた福岡で、私たちの滞在の日程ダブって集会するっていうことで、「めぐみだけでも残れよ!」と言われ、さらに日程変更。船での往復のはずが飛行機に変わり更に滞在日数が三日増えました。主人は用事があって先に韓国戻りですが、私は日本に少しとどまります。

来週明けから九州行くのに、荷物は全然だし、締め切り間近の仕事も山積みでございます。


あははー

だけど、新しい家に引っ越せる希望があるので、がんばります。

さらば・我が家の「G」!・・・←これ何か分かりますか?
今のお家、「G」が多くて私本当に苦労しました。
でも後の日には、新婚の家の、ある意味良い思い出になるでしょう。
私の母も新婚のときや、子供が小さかったときにはNで苦労したと言ってました。
Nとは家にでるナメクジちゃんたちです。

引っ越してくるときには冬で、半地下のこの家のイメージで「タヌキハウス」とかいってかわいく思ってましたが、春からはタヌキどころか「Gの館」でした。


うちのGは、コンバットを置いても置いても、性懲りもなく、私らと同居しようとどこからか入ってきます。
今日の朝、本当に、切にイエス様の御名で祈っちゃいました。

今後引越しするまで二度とGを見ませんように!アーメン。

というわけで、また次の近況報告はいつになるかは分かりませんが、Gと私が二度と会わないようにと、様々な事項をお祈りお願いいたしまふ!


あっそれから夫の、牧師試験の前の段階の試験に合格しました!
本当に感謝です!

不思議な脳

2009-06-16 11:35:15 | 波乱万丈めっちの人生
アドレス変更の連絡をしたら、色々な方から、安否のお返事が返ってきました。
中でもびっくりしたのが、昔地域で日本語を教えるボランティアをしていた方からのメッセージでした。

本当に久しぶりの連絡だったのですが、その方はボランティアの会でも一番私と親しく、親切にしてくださった印象深い方でした。

その後、ご主人が私の通う教会でやっていた韓国語教室に通っていたというつながりまで分かり、距離が縮まりました。その頃私はぜんぜん韓国語に興味がなかったのですが。。。

その後韓国に行くことになり、そのことをこのご夫婦に連絡していたかもわからないままに、今回アドレス変更のメールを差し上げてみました。

すると、大変なことになっていました。
ご主人が一年前に脳梗塞で倒れ、今では車椅子生活、体の障害と失語の障害があることを教えてくださいました。
奥様は以前から明るい楽しい性格の方だったのですが、それはまったく変わることなく、愉快にそれを報告してくださったのですが、心中どれほど大変で辛く心配な毎日を過ごされたかを想像しました。

そして、その脳のことなのですが、ご主人は、言語をつかさどる部分の脳が、脳梗塞の結果ダメージを受けてしまい、日本語を話すことが出来ないそうなのですが、記憶をつかさどる脳の部分は大丈夫で、発話は韓国語でなさるということを奥様が書いて送ってこられたのです・・・。

といっても、それも完全ではないし、語学以外の「思い出」的な記憶も、ここ10年~20年くらいの「最近」にあたる記憶部分は忘れてしまい、「古い」記憶が残っているとおっしゃっているので、韓国語もおそらく勉強されたほどには発話が難しいのかもしれません。

ご主人はソウルの語学学院にも何度も短期で留学されたし、お仕事の関係で韓国には滞在、出張何度もされたようでした。プサンの大学で語学を勉強されたこともあったようですし…

しかし、こんな脳の不測の事態が起きるとき、私たちの「言語」としてのことばではなく、おそらく12歳以降に「記憶」として習得したことばが役に立つこともあるんですね。
日本語というキーしかなければ、話したいことをどのように声にして発すればいいのかが分からないところを、ご主人は「記憶」エリアに存在していた韓国語で話しているということなのでしょうか。

本当にびっくりしました。

奥様の明るい姿勢にも感服でした。
人生の逆境にも立ち向かえる肯定的エネルギーが感じられる方です。

で、次に帰国したら、多分5年ぶり以上になるかと思いますが、韓国語の素敵な歌のCDでも持ってお訪ねする事を約束しました。

ご夫婦にとってはほんとに大変なことだったと思いますが、
また会えるその日も、楽しみです。

アドレスの引越し

2009-06-15 09:53:10 | Weblog
最近メールアドレスを変えました。
余りにも迷惑メールが多いためです。
一日に100件以上のわけの分からない英文字のメールが届きます。
すべて迷惑指定をしているので、自動に振り分けられて、迷惑メール箱に
入っていきますので、いいといえばいいのですが、先日、出してもいない
相手から、「恵さんから空メール(文章が何も書いてないメール)が来た」
といわれました。「内容が何だったのか教えてほしいんですけど」と
その方に言われましたが、私はその方にメールを出したことがないんですね。。

迷惑メールがどういうシステムなのか分かりません。
ウイルスには感染していないのに(メールを開いたりもしないので)…。
大切な方に勝手にメールが私のアドレスから(私のアドレスを装って?)
配信されるとは…
その内容がまだ空(カラ)だから良かったものの、おかしな内容でも
つけられていたら、私の信用問題にかかわります。

自分のアドレスから自分に迷惑メールが来たこともあるので、これを契機に
変えなくちゃと思い、長年親しんだメールアドレスにおさらばいたしました。

アドレスを変えるのも、楽じゃない。
記録してあったアドレス帖を一件一件確認して、次のメールソフトのアドレス帖
に移動しました。
そして変わりましたの報告案内メールをしました。

すると必ず一回一回、読みにくい数字とアルファベットを確認して打ち込む
こちらもまた、迷惑防止対策なんですけど、確認作業が入る。
これをいちいち打ち込まないと送信が出来ないのですね。

そしてさらには、一回に送る事の出来る件数が限界があって、一度には配信
出来ないようになっている。

一苦労でした。

迷惑メールに苦しめられて、アドレスお引越しですが、更に、ありがたい
迷惑対策に今度はこちらが苦しめられちゃったとさ。

でも無事にお引越しが完了したところで、「アドレス変更のお知らせメール」
に対して、懐かしいかたがたから安否のメールがお返事として届いたり、
韓国に来て3年半ですが韓国にいることすらお知らせしていなかった方から
お返事が来たりしました。

(次回に続く)

2009-06-10 00:48:56 | 料理
一人暮らしのときと圧倒的に違うのが、米の消費量。

以前住んでいたとき、その家に備え付けの電気釜があり、それで米を炊いていましたが、なぜかすべてお米が割れてしまう…
韓国とはお米を良く食べるが、あまりおいしくないところだなと思っていました。
圧倒的に日本がお米はおいしいと思いました。

結婚するときに主人が

圧力で炊ける釜にしてほしい!どうしても!

というので、お友達が協力してプレゼントしてくれました。

ぴかぴかの素敵な電気釜が我が家にやってきましたぁ~。

お米がとってもおいしく炊けるだけでなく、色々な機能があります。
お米がまずいと思ったのは、多分古いお釜のせいであり、韓国のお米が悪いんじゃないんですね。反省反省

メニューの選択で、雑穀、お芋蒸し機能、おこわ機能、豚のカルビ蒸しなどさまざまな調理が可能であり、中でも優れているのはサムゲタン機能です。

鶏を買ってきて、おなかの中に必要なものを詰めて、韓方の薬草?セットや、にんにく、栗などを入れてただ、スイッチを入れるだけで立派なサムゲタンが出来ます。以前にも記事にしてましたが^^


さて、今日、期末試験が終わりました。
うきうきして家に帰ってきて、冷蔵庫を開けると、昨日炊いておいて残ったお米を入れたタッパーが目に入りました。

いっぱい残っていたから夫が食べても一人前はゆうに残っているはず♪
透明のタッパーから見えるご飯の量に納得をして、試験が終わった解放感に満たされて、インターネットをあけてしばらく遊びました。

さて、ご飯を食べようかーとおもって、先ほどのタッパーをあけてみると、なんと冷蔵庫のドアのほうに向かって「寄り弁」の状態で、ご飯が一口しか残っていない。

あぁー…
こんなことならむしろ、ご飯の寄っていない方をこっちに向けてほしかった。

そこで米を洗い始めましたが、こんなにお米の消費が激しいとはおもわなかったなーという思いがしました。

韓国ではお米に豆を混ぜたり、雑穀にしたりするのが結構一般的です。なので、私は今日、お米が残っていなかった悔しさに、お豆を握って一握り分入れました。
そうすれば、お米の消費量がいくらか抑制できます。

そのお豆も最初は一緒に炊いてやわらかくなるかが不安で、なべでちょっと煮てから入れてましたがいつしか、米と一緒に洗って、一気にスイッチポンするようになりました。

圧力の力によるものなのか、非常によく炊けて、ご飯はもちもち、お豆はぽりぽりでおいしいです。

圧力のお釜は夫の要望によって買ったものでしたが、大正解。

炊き初めにも、炊き上がりにも音声(韓国語ですが)で、
「白米炊飯をはじめまーす」
とか、
「白米が炊き上がりましたークック~(メーカー名)♪」と
歌を歌ったりします。

日本に持って行きたいけど電圧が違うから大丈夫なのかなぁ?
その辺詳しい方、教えてください。

試験終わってすっきりしました。
意味のあまりないお米のお話でした。

親子丼のはずが。

2009-06-07 00:24:56 | 料理
今日は一日中、夫は翻訳の仕事、私も手伝いながら、来週の期末試験の準備をしていました。一日も家から出ませんでした。

リバイバルミッション前後ずっとこんな様子で、台所に立つ事も以前の気合がなくなってきました。
ミッションの前は、ほとんど夕ご飯を主人は家で食べられなかったので、私も忙しさにかまけて、適当にやってきました。

今週の水曜くらいからだんだん主人も家にいるようになってきて、また、爆睡することもなくなってきたので、食事の心配が出てきたんですけど・・・。

木曜学校帰りに、今日は何にしようと悩みながら、「親子丼」を思い立ちました。
家にいる夫に「たまねぎあるか」の電話をしたら、「いいから早く帰ってきて。お仕事待ってるよ」と言われてしまいました。ミッションに間に合わなかった本の日本語訳を、来週までに仕上げるのだという。おくさん手伝って!というわけですね。

その日は「僕がお仕えします」といって、主人が炊いてくれたご飯に、お湯であっためたレトルトカレーを出され、二人してひたすら作業でした。

金曜、早天に行って帰ってきて、二人とも一日中更に作業。
お米を食べつくしてあったので、お米を買いに行って、ついでに思い立っていた親子丼を作ろうと、鶏肉購入。
しかし、昼に卵を食べたため、考えていた親子丼はまた延期に。
晩御飯は炊き込みご飯と味噌汁にしました。

土曜、今日も一歩も家を出ませんでした。
夕ご飯前にお風呂屋さんに気分転換に行った夫の帰宅時間にあわせ、7時ごろからようやく木曜から温めておいたアイディアの親子丼を作ろうと立ち上がりました。

フライパンにだし汁100CC
鶏肉をいれ、沸かして、たまねぎとしょうゆと砂糖とみりんを入れて、

蓋を閉める

うちのフライパンは蓋がないので、スープパンの蓋を代用しました。

そしたら・・・

そろそろどうかなぁ~いいにおいがしてきたぞ。

と思い蓋を持ち上げようとしたらすっかり嵌ってしまってぜんぜん取れない!

あぁ~~~~浩ちゃんたすけて!

しかし、浩がやっても恵がやっても、豆腐に釘、のれんに腕押し、なしのつぶて。

「中のものだめになってもいいなら、石鹸をつけて・・・」
だめだめ!なんとなくだめ。

結局格闘してもぜんぜん動かないので、8時近くに白米と味噌汁だけを食べる羽目になりました。

私があせってにんにくつぶし器でフライパンのヘリを捻じ曲げようとしたので傷がついてしまいました。傷ついただけで、何も効果なし。

「おかあさんに電話してみたら、『何とかの知恵』で」
「何とかの知恵?」

というので電話をしてみました。
そしたら、蓋だけを冷やすとか、本体だけを冷やすとかすると真空状態が解除されて抜けるんではという意見でしたが、それ、すごく難しい。

ぼそぼそ白米を食べて、インターネットの知恵袋に聞いてみましたら
もう一度加熱して中の空気を膨らませれば取れると書いてありました。

ほうほう。。

やってみたら、温かくなってきたところで蓋がぐるっと回り、難なく取れました。

8時50分の出来事でした。

非常に残念ながら、親子丼は明日へ持ち越し。
溶き卵まで、冷蔵庫に保管されています。

私が思うに、たまねぎを入れてすぐに蓋を閉めたから、一時的になべの中の温度が下がり、蓋が吸いつけられてしまったのかもしれません。もうちょっと加熱してたら、こんなにあわてることも無かったのかもしれません。
何はともあれ・・・私の機嫌が悪くなりましたが、(主人は私がフライパンを傷つけてるのを見て、「捨てるの!?」ってあきれてました)代価を払って学んだいい経験でした。

白米だけですまん。

ウンジオンニ

2009-06-05 09:01:20 | 韓国ライフ
ウンジさんというおねえさんがいる。
といっても年は一つしか変わらないので、まーほとんど友達に近いのですが。
はじめてあった時には、私のほうが上かなと思うくらい、若く見えました。
カワイイ釜山出身の女性です。

こないだリバイバルミッションがインチョンであったときに、近くのバス停から
ソウル駅に行くバスがあるということで、一緒に帰ろうと言って、二人で
会場を出ました。

ところが、ウンジさんの記憶ミスで、待っていたバス停にお望みのバスは来ず、
目の前で乗るべきバスが行ってしまった…。

正しいバス停に改めて行き、待ったのだけれどバスが来ない。
すでに11時になってしまっていたので、やばいかなーと思ってましたが、一応
ソウル市内に行くのが来たのでそれに乗りました。

一緒に帰る道々、いろいろと話すことができました。
釜山からソウルに出てきて住んでいる家のことや、ビジョンのことなど。

ウンジさんとは、あるドキュメンタリー監督の祈祷会で出会いました。
その監督さんは、私たち夫婦とも仲良く、また、預言的な働きというか、
今の時代を把握して神様のご計画を悟ろうとする祈りの働きとあわせて、
映像による宣教などもされている素晴らしい方です。

ウンジさんがなぜその祈祷会にくるようになったのかを私は知りませんでした。
もともと、ウンジさんも、私の夫も通っている教会が会場になって祈り会が
もたれていたので、それだけの理由でつながったのかなーと思ってましたが、
違いました。

ウンジさんには数年前までおねえさんがいました。
CCCというキリスト教団体の幹事として働いておられたそのおねえさんは、
日本を愛し、日本にもたびたび行き、働きをされていたそうです。
しかし、ある日、腰が痛いなどのさまざまな体調不良を訴えられ、病院に行って
みたところ、肺結核と診断されました。
そして治療の甲斐なく、熱が高くなったある日、ウイルスが肺を攻撃し、穴だらけ
になった肺に膿が溜まり呼吸ができなくなり、あっという間に亡くなったそうです。

かつて、ウンジさんの家から日本宣教に働く人が出るというふうに、祈りの人が
話したそうです。そのときは誰もが、ウンジさんのお姉さんがその祈りの答えと
信じて疑わなかったそうです。

お姉さんが亡くなり、ウンジさんが事情がありソウルに上ってきたところ、監督
さんの祈祷会に偶然出くわし、参加してみたところ、だんだんと監督さんが
日本への愛と重荷を口にし始め、あれよあれよといううちに、こうなってきて
しまったのよぉ オホホホ というかんじでウンジさんが話してくれました。

監督さんの祈祷会は最初は日本宣教とか日本への愛ということとはそんなに
関係がありませんでした。私が参加し始めた時だけでも、そこそこでしたが、
今は中心の働きが日本に焦点を合わせていると言っても過言ではありません。

ウンジさんの話を聞いて、おねえさんを失った悲しみも心に迫りました。
私も姉がいますけど、小さいころから、無意識に年をとっても長く一緒に
いられる存在と勝手に信じきっています。まさか、先に死ぬとか思ったことも
ありません。

兄弟を失うということを考えただけでも胸が痛いです。

ウンジさんはめっちゃめちゃ明るい釜山ガールですがそんな心の悲しさを
乗り越えていたんだと思うと、なんか深さを感じてしまいました。

生きてるだけでうれしいというのが兄弟や姉妹であると言っても良いです。
生きてるだけでうれしいというのが、家族ですね…。

最近ノムヒョン元大統領も自殺しましたけど、自分で死ぬとか、本当に
ちょっと考えて欲しいです。
世論はものすごい燃えていますけど、韓国の儒教の精神によるものなのか
死んだ人は聖人扱いって雰囲気もあります。
死者や、国の統治者に対する礼儀を守るのはいいですが、汚職や、嘘などが
明らかになっても死ねば聖人のようなのは、どうだろうか?
そして逆に現職大統領へのバッシングの火種になっています。

心痛いことですけど、現職大統領を選んだのも国民ですから、死者を聖人に
するよりも、今の人に頑張ってもらうようにするしかないんじゃないでしょうか。

国のリーダーだった人が自殺をするというのは、この国の子供たち全員に対して
とても悪い影響だと思います。。

生きてるだけでいい、感謝と思ってくれる人がいる以上、それを力にして
最善を尽くして励んでいけるのではと思います。それが生きてる間には
聞こえる声として聞けないことが多く、死んでから惜しまれて、愛されて
追慕されると言う形になりがちなのですが、聞こえようと聞こえまいと、
大統領であろうと誰であろうと、すべての人は大切ないのちを保持している
人なのですから…今日も勇気を出して生きましょう!

リバイバルミッション IN 韓国

2009-06-01 16:32:14 | 韓国ライフ
『全日本リバイバルミッション』による、リバイバルミッションという集会が1993年から日本各地で行なわれてきました。初めは甲子園、そしてその後、東京では日本武道館など、全国各地で持たれました。
二年前にはハワイ、そして今年とうとう韓国において行なわれることになりました。

先週の金曜から昨日の日曜までの三日間で行なわれ、終了しました。

実行委員だったうちの主人は、二週間くらい前からほとんど寝顔も見られないという状態になり、超多忙な日々を送りましたが、私は私で当日出版する本の校正をしたり、なんやかやとお仕事が与えられて楽しく仕えさせていただきました。

韓国側の時間と日本側の時間でプログラムが分かれていましたが、協力して一つになって行なうということで、無事に終了することが出来ました。

この集会の意図は、日本が韓国に対して行なってきた歴史的な罪について悔い改めることとともに、その意味を聖書的に研究し、今後どのような視点でこの両国の間にある壁を打ち壊して、一致するかにありました
私にとっても非常に勉強になるひと時でした。

私は、他の日本人に比較して特別に、日本嫌いの人たちの中に置かれている、と感じる環境にいるからです。
私が余りに順応しているからなのか、または私が日本人でありその場にいるということを知らないのか、韓国人の口から出る言葉の多くにショックを受けました。

しかし、その事実を直視して、なぜ私がこの環境で神学を勉強し、聖書を学んでいるのかを改めて考えました。
その意味は、やはりすべてのクリスチャンがそうであるように、和解の通路として一人一人が召されているように、私が確かにそうなのです。私は、「それでもあなたはその召しを受け取りますか」という声の中に置かれていると感じました。

実際、憎まれていることを感じないところで「愛します」というのは、ある意味簡単ですね。自分の罪を認識するまでで、いいのです。しかし、赦しを語りつつも、その真ん中で堂々と日本を憎む発言がなされる環境では、私の心を維持することが難しい、ということを、痛いほど感じています。

しかし、神の愛、十字架の血潮によって私たちは出来る、と叫んだのは、集会の中で終わりではありません。ここから始まるのです。
時につかれて、傷ついて、もうだめだと思いたくなることもありますが、自分が、ある瞬間だけはそう召しを受けたと叫び、実際の生活の中ではその召しに答えないという人間にならないように、気を確かに持とうと思います。

集会では本当にすばらしい日本の福音伝道者にもお会いできましたし、世界で働く主のしもべに会うことも出来ました。

また、初めての舞台通訳、お祈りのお願いもいろいろな人にさせてもらいましたが、短い時間ではありましたが、無事におえることができました。

今回の集会でスゴイ通訳者も見ました。
私もいつか、あんなふうに説教者の情熱まですべてを伝えることの出来る通訳者になりたいです。
ついては、早く学校を卒業して、他のことも習いたいです。

私たちは集会のための働きをしたのではなく、集会を持って始まる祈りを準備したんだと実感しています。
また、本当にすばらしい視点で世界の和解と一致、キリストの弟子らしく生きることを教えてくださる先生方がいらっしゃいますので、このことをもっと多くの人に知ってもらい祈りの友を今後も増やして行きたいと思っています。

それから、ミクシーを通じて親交のある方が、ちょうど韓国に来る予定があり、リバイバルミッション会場でお会いすることが出来ました。
いつもブログを通じて神様を伝えるそれこそ「エバンジェリスト=福音宣教者」ですが、お会いできて光栄でした!感謝です☆

なつかしすぎ~る!!

2009-05-23 00:52:23 | 波乱万丈めっちの人生
なつかしすぎーる!

私が3歳の頃から9歳まで通っていた教会の牧師先生が韓国に来られました。
そして連絡してくださったので、会いに行きました~。

なつかしすぎる~~~~☆☆☆

その教会には姉が小学校の前でチラシをもらってきたことがきっかけで通い始めました。
同い年の娘さんがいて、仲良くしました。
そして毎週、献金にコイン一個を母がくれて、鉛筆の形の小銭いれに入れて毎週毎週姉と通いました。

名古屋市緑区有松町

絞りの町で有名です。

教会の会堂の前には、絞りで作成された十字架の布がかかっていて、そこで行なわれる教会学校に通いました。

讃美歌や、お兄さんのような若い先生が弾くギター
幼稚科を優しく教えてくれた素敵なお姉さん先生・・・

楽しい思い出がいっぱいです。

そこの先生が韓国にご用で来られるということで、もー取るものも取りあえずと言う感じで行って来ました~。

ご一緒にいらした方もびみょーに教会生活かぶっているかいないかという感じで、直接の面識はありませんでしたが、いろいろと懐かしい話に弾み、もう一人ご一緒するはずだった女性の方、急用でキャンセルされたんですが、私がお世話になった幼稚科のお姉さん先生の娘さんだと。。。
その娘さんが、いま大学生というので、年月のたったことをしみじみ感じました。

その先生は私の先生だった頃はまだおそらく独身で、その先生から頂いた手作りのビーズのヘアピンとお手紙を私は今も取っているんです。
綺麗な字で書かれて、小学校に行ってもがんばってね、という内容で、何度も何度も読んで、こんな字を書ける人になりたーい と思ってました。

会いたいなー先生!

という懐かしい教会のかたがたのお話を聞いたり、近況をお話したりすることで時間はあっという間に経ってしまいました。

もう一回、訪ねてみたい。。
幼い記憶の始まりの地、有松。

ピアノに通った坂道や、
高く建つマンションの4階の窓からはるかに見えた名鉄の特急やその警笛、
小学校の前の石の橋
練り消しをねだったりした文房具やさん


あぁ~~~~~
懐かしい!

ミクシーでつながっている、その牧師先生の娘さんからもプレゼントのことづけを頂きました。
二人とも今や人妻!

お会いしたいです~。