LODO GLOBE *ろどぐろーぶ*

皆様ありがとうございます。

背負う十字架

2017年01月13日 | 
ある人がイエスさまに文句を言った。
「私の背負ってる十字架は重すぎる。他の人みたいに軽そうできれいな十字架にしてください」。

イエスさまはたくさんある十字架を示して言った。
「いいよ。好きなの選びな」

その人は喜んで一番軽そうで、自分に似合いそうな良い十字架を選んで行った。
「ありがとうイエスさま」

嬉しそうに去っていく男の後ろ姿を見てイエスさまは独りごちた。
「あの人、結局同じやつ選んで行ったな」。







年明けに新しい教会のお知り合いをうちに招いてお茶をした。
親兄弟を遠ざけてる代わりに年末年始は誰かに会いたかった。
写真は主人お手製の芋入り水羊羹。

こんな時しかゆっくりお話しできないし、お互い親戚に会うでもないというところで、ちょうど良かった。
その人は独身で実のお母さんと二人暮らし。
日々の仕事の辛さや、諦めた夢や選択しきれなかった色々なことについてちょっと話が合った。

「同窓生に会うと色々と惨めな気持ちになる事がありました。でもその時ちょっとした強がりもあってこんなことを言ったんです。

「私は神さまからは全て頂いています」

そしたら後から同じように独身でずっと仕事だけに生きてきた女性から、

「ありがとう。あなたの言葉にすごく救われたわ」
と言われました。

その時自分でも初めて気付いたんです。
「自分は自分でいい」という事」。




彼女は私と子どもたちを指して言った。

「私の目にあなたは高価で尊い。私はあなたを愛している〈聖書〉」


その時私は、かつて奪われたエネルギーや選び取れなかった道を悔やんだり後悔したりしては
不安になったり焦ったりしていたのだ。

結局何も手につかなかったり、
目の前の子どもにかける愛情がおろそかになったりしてしまう。
そんな中では即座に自分に価値があるなんて思えないものだ。

けど、彼女の言葉には説得力があって、意味がすごくよくわかった。


貧しさ

寂しさ



老い


この中で自分の尊さを承認するものなのか。







時々、うずらの友達にイラつくことがある。

以前にも寂しそうな子から無理やりひつこくされて困ったって事があったけど、
保育園でもやっぱり年上の寂しそうな子にタゲられている様子だった。

うずらが一度だけ「ずっとクミちゃんとばっか遊んでる…」と、元気がなさそうに言ったので、担任の先生に相談に行った。
それからうずらはその子とだけしか遊べないってことはなくなったようだけど、
それでも、園庭でみんなが鬼ごっこしている横で、うずらがクミちゃんと石や木の実を拾って遊んでいるのを見ると、帰り道はどうしてもうずらを問いただしてしまう。

するとうずらは「でもわたち クミちゃんちゅきだもん…」と、寂しそうに言うのだ。


また逆にある時は、親子ともに仲良くしてくれるお友達におもちゃ(人形)を貸していると、うずらは強くなって
「そうじゃないの!こうやって遊ぶの!」と、自由に遊ばせようとしない時がある。

私は思わず「そうやってお友達を言いなりにさせる遊び方ってクミちゃんと一緒でしょ!?」と叱ってしまう。

うずらは結構傷ついたと思う。




なぜそんな叱り方になってしまったか。

うずらに同じようにだけはなって欲しくないからだ。



そう、自分と。






私だって保育園のママ集団の中を浮遊してる存在なのに。




そんな自分を惨めに思ったり、そうなのかな?と思ったり…







それが自分らしい。


自分に似ているところがうずららしい。







うずらには私とは少し違う未来を見せてあげられるようにしたい。



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妄想癖

2017年01月04日 | 
今更気づいた事だけど、



私はすごい妄想癖だ。

この2ヶ月間も何だか心の変動が大きかった気がする。

牧師の行動にすっかり動揺して、したくもないのに母に当たり散らした。

人に会っては、なんかやり過ぎてしまう感じに後悔を繰り返す。


うずらと凧を上げながら、自分が糸の切れた凧のように感じた。



私が人に対して頑張り過ぎてしまうのは、

慕って止まなかったあの老牧師に人として認めてもらいたかったからだと思う。

美術、科学、歴史、哲学、音楽、教育…

様々な知識を自在に用いて聖書を読み解く


そんな事を例えば折り紙1つで子どもに分からせる事ができるのだから、やっぱりあの牧師はただ者ではなかった。


私は老牧師が開いた聖書の世界に夢中になった。


母に連れられて熱心に教会に通い、毎月家に大勢の子どもを呼んで集会を開いた。
手伝いをしているうちに
私は母と牧師と教会のニーズを知り尽くし


中学生の頃には子どもの礼拝の教師をするようになっていた。

年齢の違う4〜5人の子どもを1人で毎週休むことなく教える。
途方にくれたり、気が狂いそうになったり、壊れそうになっていても、私がこの役目を牧師の代わりに担うのが当たり前だった。
嫌いではなかったけれど、さみしかった。

最大の理解者の母は…今思えばステージママのようなものだった。


周りからはどんな風に見られていたのだろうか。

このことに対して誰も私に声をかける人はいなかったからよくわからない。

ふと思い出したけど、一度教会を見学に来た大人が、私1人が教師をしているのを見て「いつも1人でこれだけの子を見てるの?大変じゃない?この子たちの親御さんもいらっしゃらないの?」と何度も質問された事がある。
その人はうちの教会には来なくなったと思う。

本当に無理をしていた。
好きなことではあったけど、孤独な思い出でしかない。

大学でキリスト教教育主事という資格を取るために、大学が指定したよその教団ので教会実習をした事があった。

1年間、母教会を離れることになる。

母教会の教会学校はその間奉仕者なしで凍結ということになった。
(短時間でも牧師がやりゃあいいのに)

無事、実習を終えた1年後。
戻ってきてみると教会学校は廃止されていた。

その時は教会には2、3人子どもがいたんだけど。
牧師はポッと出の私と同年代の女子にちやほやして彼女に教会学校をやらせようとしていた。
結局その子はうちの教会には縁がなくほどなくして関東に引っ越した。

「じゃぁりんごちゃんで良いんじゃないの?」
という信徒の声に老牧師は目をそらして答えなかった。


私の思いは、認められたい…というのもあったけれど、何より牧師の愛情や労いを求めたのだ。




私はいつも1人でいるときは空想状態でいる。

誰かがいればスイッチを切り替えられてるつもりだが、多分地面から10センチ浮いている状態ではないかと思う。



数日前、

2日ほど全く妄想していない日があった。


新鮮な感覚にちょっと驚いた。
そして焦った。


自分の存在意義がなくなると思った。

これが苦しい中で自分を安定させていた生きるすべだったから。

何度か練習して妄想状態を取り戻してしまった。


実際にはこの妄想癖が対人関係を難しくしている要因の1つだったんじゃないかと思うけど、心の安定の避難場所がなくなるのは不安だ。

自分と子どもたちのためにも、人との繋がりの持ち方を変えたいと思ってはいる。



けど、その両方を得られるスペックは今の私にはなかった。


妄想状態がなかった2日間はまるで思考の種類が違っていた。


これまで工芸品を形作るような丁寧な作業をしてきたのに、全くそれに取り組まないまま忘れ去ってしまう感じがする。
その必要を感じないってあり得ないのだ。


残念ながら、また普通の大人になりそびれた。




何の不思議もない普通のおばさんになりたいのに。





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お正月休み

2017年01月03日 | 


あけましておめでとうございます。



お正月休みは家族水入らず。

うずらにとっては良いのか悪いのか。

優しい主人につまらない事でいら立ち当たり散らす事が多い。

私も子どもの頃、優しかった祖父に当たり散らしていたから気持ちはよくわかる。

家族6人。

神経質な父とパワーの強すぎる母。
すごく見下してくる兄。
多分ちょっと障害があった祖母と
優しく穏やかだったおじいちゃん。
母は「バカ」と言っていた。

母にとっての常識が通じず苛立つことがあったのだろう。


戦地での生活が悪かったのか、爪白癬とかがひどかったけど、母とは違って整理整頓がとても上手な人だった。
朴訥で働き者。
運送業で趣味は畑仕事や盆栽。
いつも整った農具小屋はとても気持ち良い居場所だった。
私たち兄妹をお風呂に入れるのが主におじいちゃんの仕事。
おじいちゃんの腕には銃弾の貫通した跡やお腹にはなんかものすごいひきつれた跡があった。

でもうちの家族の誰よりも穏やかだった。

色んなところが主人に似ていると思う。
(片付け以外)



そんなおじいちゃんに意味のないいら立ちをぶつけていた。

うずらがいら立って主人といつもケンカして泣いている。

私の染み付いたいら立ちがうずらに影響しているのがわかる。



「とーちゃんとかーちゃんと一緒に遊びたいけどかーちゃんが怒ってるのが辛い」

うずらのイライラはうずらが悪いのでも主人が悪いのでもない。

うずらは主人を傷つけて自分も傷ついてしまう。



うずらを抱き締めて自分に向かう日々。








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クリスマス中

2016年12月22日 | 


教会クリスマスが終わって役者は全部揃いました。
追加で25までやってるけど、包みの中にアイテムが入ってないとだいぶテンション下がり気味。

手書きネイティビティをこんなに気に入ってくれるとは。

教会学校の先生をしてた時、子どもたちが手作り教材で目を輝かせていたことを思い出す。

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久々の感覚

2016年11月30日 | 
今年はシュトーレンは焼けそうにない。

結婚後毎年欠かさなかったからちと物足りない。

代わりに作ったのがアドベントカレンダー。
本当はスパイスと洋酒でむせ返るような焼き菓子をしのばせたかったけど、そんな余裕はとてもないのでしぶしぶカントリーマァムで妥協した。

お菓子と一緒にネイティビティを1つづつ入れるのは、ネットサーフィンで見つけたアイデアを取り入れたんだけど、うずらはお菓子よりも「今日は誰が出てくるか」に目を輝かせていた。
なかなか良かった。


クリスマスツリーもドイツが発祥。


あれもこれもクリスマスの伝統はルターが作った。

全部、文字も神学論も分からない子どもたちのキリスト教教育のためだ。

前に行ってた教会の牧師夫人はルーテル教団(ルター派)出身。
まぁとんでもなくこだわる。



私も嫌いではない。


っていうか、それが専門だった。




およそ生後100日のお祝いに教会では「献児式」というのがある。

牧師先生に子どもと家庭の祝福のお祈りをしていただくというやつで、当然今回は今行っている教会でしてもらうことにした。

ちょうど七五三シーズンなので、うずらなど他の子供たちも幼児祝福式をしてもらった。

今回の出産はこの教会に本当にお世話になった。

牧師夫妻に婦人会の人たち。

うずらの保育園のお迎えや晩ご飯の差し入れ。

入院中はうずらを預かってくれたりもした。

本当に余計なストレスはなく純粋に産後を過ごすことができた。




4年前。
うずらの献児式の時は、顔が痛かった。

実家の両親と主人の実家の両親、嫉妬深い義理の妹、教会全体の重圧。
結婚式や子どもの行事に異様なほどのこだわりを尽くす牧師夫人。
うちの家庭を自分の作品かのように威信をかける老牧師。(何のためだ?)

この教会での献児式は ほぼ、小さな結婚式の様相を呈する。

この人たちが顔をあわせ、自分の夢(良い夢も悪い夢も)を一斉に私とうずらに託そうとする。
自分たちの思い通りのポジションからはみ出すことを許さないように…
そしてそれに屈することを許さない実家。

身がちぎれるようだった。




その牧師が、献児式3日前に突然電話をかけてきた。
留守電だった。
老牧師夫人だった。
この日曜日の午後に訪問するから都合を聞きたいという。


すぐ断りたかったけど電話する勇気がない。

動悸がして身体がこわばる。



言葉は優しいが、私には分かる。
この人が2〜3日前に突然予定を言ってくるのは相手の都合は聞かずゴリ押しを決めている時だ。









この老牧師は私たちの仲人だったけれど、実際には夫の事はなにも知らない。

15年前、主人の弟は事故で全介助の身体になった。
呼吸のために喉に穴を開けているし胃ろうもしている。意識もかなり低い。
教会の子どもたちのヒーローだったのに。

主人はお酒を飲んで、夕礼拝に現れ札束を講壇の献金箱に叩き込んだ。

「何でアイツがこんな事になるねん!!」






あの老牧師にとって、夫は札束だった。




信徒が引っ越したり家を購入すると、必ずお披露目させる。
病気の信徒への訪問よりも新居や羽振りのいい信徒宅への訪問の方がはるかに多い。


講壇の上から「信徒の方が牧師より良い家に住んでいる。韓国ではあり得ないと言われた」などと言ってしまうのだから。
(以前、何のイベントがあったのか忘れたが韓国のクリスチャンの学生がたくさん来た事があって、うちの実家でおもてなしした事がある。ちなみに今の牧師の住まい兼会堂は主にうちの実家が出資した物件である)





うちへの訪問も赤ちゃんと家を見に来るのが目的だ。





案の定、一通り赤ちゃんを褒めた後家のスペックを聞き出そうとしてきた。

「前のとこより広いんでしょ?」

「そうでもないですよ」
などと言っている後ろから

「家の話は良いよ!」と私がキレたのは聞こえただろうか。

…しっかり聞こえたことを願う。




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アドベントカレンダー

2016年11月30日 | 日常



今年はすでにアドベントが始まっていた。
教会のクリスマスが18日。
サンタが来るまでに1週間早い。

前からやってみたかったアドベントカレンダー。
市販のお菓子と手書きのネィティビティをひとつずつ包んだ。

クリスマスまでにちょっとづつ登場人物がそろっていく仕様。

うずらが楽しんでくれたら良いな。

19〜25日はまた追加する。
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幼い兄を拾う

2016年09月27日 | 


生まれた赤子の名前は「くっきー」。

うずらは忙しい時に私や旦那を困らせたり、くっきーを全然可愛がらない時もあるかと思えば、ものすごく聞き分けが良い時やすごくかわいがる時もある。

私が何気なく「くっきーをお風呂に入れなきゃな…」と呟いてると、うずらがくっきーのお風呂の準備をしてくれてたりする。

くっきーが泣いて私が困っていると
「お腹すいたって言ってるんだよ」
「ちゃんと抱っこしてあげなよ」
「寒いんだよ」
など、通訳する。

弟への愛情と嫉妬を行ったり来たりしながら、時に親を超えていく。


そんな姿が兄と重なる。
兄もこんな気持ちだったんだろうと思うと何か痛むものがある。




父の趣味の1つが写真。
物心ついた頃の兄妹の写真は仲よさそうにしろと指示を出されていたけれども、
私が生まれた日の写真には、私が見た事のない兄の顔が記録されている。
母子同室だったのか、産院の病室の新生児ベッドに寝ている私と幸せそうに覗き込んでいた兄。
最初は普通の兄だったのだ。

兄も私もそんな普通の何か失いながら兄妹をやってきた。


うちの親も兄の葛藤は見ていたと思う。
そして、そんな中での兄の聞き分けの良さに相当感動したに違いない。

「タツヤはよその子とは違う!」
と、極端な評価を下していたのだろう。






兄はその評価にプレッシャーを感じいろんな形にそれを歪め、私はコンプレックスを持った。

私は末っ子だから物理的に姉になんかなれない。
「自分にも弟か妹ができたら兄みたいになる」
とか言うと、「お前がなれるわけがない」といった事を言われてたものだ。

加速する極端な評価の中で家族の誰もが幼かった兄妹の何かを見失っていた。





私はうずらが気を利かせてくっきーの世話を手伝ってくれた時… いや、姉になったうずらの存在そのものに対してどう接して良いのかわからなかった。

「ありがとう」?
「助かるわ」?
「賢いね」?

どれもうずらの理想の姉らしさを増長させる言葉だと思うけど。
うずらに姉という仮面を押し付けるようで怖い。
ただでさえうずらは私の歯車にどこまでも合わせてくれているのに。

そうしてる間に、くっきーにギャンギャン泣かれると余裕がなくなりうずらに冷たくなってしまって、結果うずらにちっとも目をかけられなくなる。
時をずらして今度はうずらがわがままをこじらせて泣き出すと。
私はあやすどころか、余計に追い詰めてしまう。
旦那には相当呆れられた。

何が「うずらはうずららしく」だ。


そんなある日、くっきーがギャン泣きして私がイライラしている時、舌ったらずなうずらがひつこく言い出した事がある。

「くっきーくん、おねぇちゃんだーいちゅきだって」。

ギャン泣きには全然当てはまらない言葉なんだけど、
それを呪文のように繰り返されると不思議と私はうずらに何も言えなくなった。




ごちゃごちゃの出来事の中で1つの答えが繋がって見えた。



そうだ。

本当に評価されるべきだったのは、
聞き分けの良いとてもよくできた子。
というのではなくて。


妹(弟)(兄)(姉)をとても大切に思っているって事だったんじゃないだろうか…

多分。
よその家庭には当たり前にあって、うちには無かった価値観。

あったとしても歪んで異質なものになっていた。

今 実家の家族にこの事を提示しても絶対に共通理解は得られない。
よその人以上のものを強く強く信じている人々だから。



置き去りにされていた幼い兄を
私はとりあえず、自分とうずらのために大切にしようと思う。




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2人目出産

2016年08月06日 | 


今朝5:10。
2400gの男の子出産しました。
生産期に入ってすぐの出産。
小さめだけど時期も大きさも問題なしとのこと。
元気な赤ちゃんです。

実は先週から妊娠糖尿病が発覚しまして、昨日まで3日ほど入院してました。
で、赤ちゃんが大きめでもう2700近くあるんだと思ってたから(私は小柄だからこのぐらいの普通サイズだとそろそろしんどいし)さっさと産んじゃえって事で、内診で誘発グリグリをしてもらって一時退院。

その晩にもののけ姫を見てたらちょっと陣痛らしきものが始まりました。

でもまだあんまりにも余裕があるのでウトウトしてたらだいぶ痛くなってきて明け方4時頃病院到着。

わずか1時間で「でるぅうぅぅ!!!!!助産師さぁぁぁぁぁあぁぁん!!!!!!」って叫んで産みました。

もうほとんど出ようとしてる赤ちゃんを抑えられるほど苦しいもんはこの世にないわ。

朝到着した主治医(産科)に「結構騒いだらしいな」ってニヤニヤされたけど知るかっつうの。

うずらを旦那に預けてお一人様出産なんだからちょっとぐらい甘えさせていただくぜ。

この病院は出産直後に写真撮るんで眉毛ぐらい描いとこうと思ってたのに描けなかったのが残念だ。

写真は眉毛がないシミだらけのBBAとかわいい赤ちゃんが写っていた。
お婆ちゃんと孫か?




それはそうと、今回は赤ちゃんへの気持ちが全然違う。
自然にかわいいと思える感情が湧く。
琳子が自分になったんだな〜と実感する。

幸せだと感じる気持ちを封印していたなんて不思議だ。

赤ちゃんとうずらをこれから琳子と愛していこうと思う。
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無題

2016年07月31日 | 
「きょうだいは親や周囲の愛情を奪い合う敵同士」

これが兄の信条。


小学低学年の息子と2つ年下の娘がいる。


仲の良い3人姉妹で育った奥さんは、悲しいような複雑な顔で夫である兄を見つめた。


兄は奥さんの親きょうだいの前でも、突然子ども達に対して粗暴になる。
奥さんはそんな兄をかばい続ける事を家庭円満の秘訣として覚えた。
そしてさらに、きょうだいについてのこんな暴論も庇わなければならないのかという思いを飲み込んだに違いない。


でもそれは、兄自身が親に対して自分が感じている事を伝えたかったり、葛藤を導いて欲しかったという思いであって、

嫁や子どもや妹の私には関係ない事だ。



兄が向き合えずに、勝手にこじらせているだけなのだ。








兄は大きな精神科の病院でアルコール依存の患者と家族のサポートをしている。

「俺は患者と同じ。あの人たちの気持ちが分かる。人の事は分かるけど自分の事は分からん」


就職したばかりの頃にそんな事を言っていた。

多分これは、兄の仕事の上での強みであり、自分の人生の上での弱みだ。

職場は本当の核心が避けられる安全圏でもある。


そんな弱さをかばってもらいながら自分の家庭を持っている。



掘り返したくないものは私の中にあるのだろう。




あの人に私を直視する事はできない。



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清太と節子

2016年07月31日 | 
ジブリアニメ「火垂るの墓」。


節子を死なせたのは意地悪なおばさんか、
否、世間知らずだった清太か。

一般的には大人になって観たら印象が大きく変わる作品だというけれど、個人的にはそういうのは割とどうだって良い。



私は妹思いの清太の姿をずっと自分の兄に置き換えていた。

2つのシーンが特に脳内に張り付いている。


空襲で焼き出された時、節子は恐怖で必死に「お兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃぁぁぁん!」となりふり構わず叫んで助けを求めた。
節子役の声優の名演技に心臓がえぐれた。
あの助けの求め方には覚えがある。
何があったってわけではなくても、自分の思いに通じるものがあったからだと思う。

私の中で、兄は間違いなくすぐに助けてくれる存在だった。
清太=タツヤ。
事実とは違っていても。
感謝の気持ちを踏みにじられても。
兄は清太のようだと確信していた。


「お兄ちゃん、ごはんどうぞ。おから炊いたんもあげましょうね」
どんどん衰弱していく中で、節子は土の塊がごはんに見えている様子。
驚く清太に
「どうしたん?食べへんの?」
と本気で尋ねる節子を清太は抱きしめて声を殺して泣く。
そんな事、自分はされた事がないはずなのに、その姿を兄だと思った。





節子の兄への全幅の信頼感と思いやりは、私自身の兄への思いとまるで同じだった。
兄を助けたい、役立ちたいという思いは、描かれている節子よりも遥かに強かったかも知れない。


そして、幼いながらも自分に報いようとしてくれる節子の思いをかけがえないものとして受け止める清太の姿。


私は自分の思いもあんな風に受け止めてもらいたかった。

そうしてもらいたくて、自分の中では「同じように受け止めてもらっている」という事にしていた…のだろうか。





実際の兄は「仕方がないから関わってやるけど、俺はお前を蔑んでいるんだ。お前は蔑まれて当たり前なんだ」と、言外に叩き込み続けた。
「おまえはそうされるための存在なんだ」と。


なのに、私はのそんなメッセージすらも、清太と同じ思いで自分を見てくれていると信じていた。


すごいポジティブだった。



兄の中では「りんごには絶対そういう態度をしてはいけない」というルールがあるようだった。

一番厳しく辛い思いをさせなければいけない…と思っているような…



私が「兄を守りたい」「役に立ちたい」と思えば思うほど、その気持ちを無視されたり傷つけられた。

私はそれでも、兄の中に何か響いているものがあると信じて、この気持ちを発し続けていた。



余計に嫌われるのかも知れないと思って、自粛するようにはなってもずっと信じ続けていた。



結構最近までそうだったかも知れない。




兄はなぜ私を絶望させなければいられないのか。


それは分からない。



いくら考えても分からないけど、私が今まで信じてきたのは、

どんなに傷つけられても、

あの清太がまぎれもなく本来の兄の本質の中にある事を「信じている」じゃなくて、「知っている」からなのだ。




そこにある事を知っているから
傷つけられてでも、たとえ演技や嘘や打算で塗り固められていることが見えていても、兄の本質的な優しさを渇望し続けていたのだ。





そのかすかな光で

兄は私を活かしたのだろうか?

それともやはり、殺したのだろうか?




その両方だという事が苦しくてたまらない。




やはりあなたの言う通り、私たち兄妹は互いにいない方が良かったのだろうか?







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