柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

国柄

2016-09-18 09:57:54 | Weblog
ここでパラリンピックの国別獲得メダル数の較差に驚くと書きました。それはつまり競技数の数の多さ、パラリンピック特有のクラス別(障害の別、それぞれの重症度の別)が細かくなるという結果です。こちらにも感心すること、関係者諸子の御苦労や如何にと思い遣ることですが。そのメダル数です、何日か前に中国がダントツで金が75個だと驚いたことでしたが、今朝見ると94個!ちなみに銀は74個、銅は49個です。ええ?二位の英国は順に58、33、35。メダルラッシュと新聞が書きたてる日本はと見れば金0銀8銅11です。どこがラッシュなんだよ?と突っ込み難い所がこの大会の特殊さでもありますが。新聞にありました、中国のこの「メダルラッシュ」はもちろん国の施策だと。一億人近くの分母から優れモノをセレクトして鍛えるのだそうです。これはどの国もやっていることですが、分母が大きいですよねやはり。13億の人口には敵いません。と、ここで停まると進歩がない、諦めるな!なんてスポ根オヤジに怒られましょうが。英国は普通のオリンピックでもアメリカに次いで多いですよね。英仏は特にそうですが欧州諸国にはアメリカ同様黒人選手が多いです、運動能力に優れるのは黒人です、こういう必然ではありますが。こう書くとすぐに「パブロフ反応」して殆どオウム返しに白人褐色黄色にも優れた者はいる!と噛みつく筋がおられましょうが、そういう定型欺瞞はここでは措いて。言いたいのはそのことではありません、記事はこう続くのです。手厚い支援を受けられる障害者は選ばれた者に限られる、多くの障害者は社会の底辺で生活している、健常者から遠ざけられ軽蔑されている、多くは道端や地下鉄駅で物乞いして同情に縋って生きている、と。さらに国営テレビはこの大会を殆ど中継しないんだそうです。つまり国民に知らさない。世の障害者達にこの優遇さを知らせたくないのでしょうね。記事はこうも言います、パラリンピックは対外的な宣伝材料にすぎないと。日本との差です。私がここで言い難いことを言ってるように、これでもかと平等公平博愛を強要するのが日本です。差別、蔑視、排除疎外を絶対悪と置く。これが人間の共通の性サガですから、強く抑制するという理屈なのかもしれませんが、偽善欺瞞の強要ほど不全感、不満を高めるもののないことも確かなことでしょう。中国ほどに対外的な国威発揚の道具としてのみ使うという態度の方がかえって潔いようにも思うほど、日本は好対照のドロドロです。どっちがいいかと問われれば中国はまずいでしょう。昔の日本も強烈な差別・格差社会でしたから、ヒトの持つ秩序の本質は自分ではどうにも変えられない身分の差、出自の差なのです。能力の差でのし上がれる社会、昔にアメリカンドリームと称して憧れていた社会とて、あれだけの差別格差が根底でした。だから中国も欧米(日)並みの民主主義国になるためには通らねばならぬ道なのかもしれませんが、この考え方はマルキシズムのような気もします。歴史は繰り返すと歴史は社会主義共産主義に進歩すると、ゴールは違うけれど結局同じこと言ってる。いえ、民主主義に基づく共通の価値観が絶対善ではないことです。日本が今こっちに居るから、他の体制に変わるなんて考えたこともないだけです。親の世代の話しぶりから彼らが昔過ごしてきた歴然とした差別社会に感心したことはありませんか。民主主義が爛熟すると人権至上の本末転倒、安直に流れ行きます。共存共栄はきっとできます。でも形だけでいいことです。互いにそう理解しておけばいい、それに従って行動すればいいのです。こう思いなさい、こう考えなさいと強要されることがいやなのですね結局。憲法に言う内心の自由ですか。手を叩く人がいる、本気で支援する人がいる、一方でそばに寄らぬ人もいる、嫌がる人もいる。それが社会です。でもこういう時にはこうしなさいねというコンセンサスが国民の隅々まで行き亘っている、そして皆そう行動する。これこそが成熟した国の文化文明ですよね。私のトンガリ発言を自己弁護しているのでもないのですが。
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