RuN RiOt -marukoのお菓子な美術室-

お菓子好き。F1好き。
美術館行くの大好き。
買い物も大好き。
休日に全力で生きるOLの日記(笑)

描かれたチャイナドレス −藤島武二から梅原龍三郎まで

2014-07-25 23:30:00 | 美術
見てきました

ブリヂストン美術館

会期は2014年4月26日から2014年7月21日。

中国は古代から近世にいたるまで、アジアの先進国であり、様々なものが日本へもたらされました。
明治維新以降、日本の人々はヨーロッパへ目を向け始めますが、大正時代に日本で中国趣味が沸き起こりました。
芥川龍之介や谷崎潤一郎らが中国をテーマにした小説を次々に発表。
同じように、美術でも中国趣味が。
油彩画の世界では、藤島武二が中国服を着た女性像を描き始めました。
実際に中国を訪れた画家、日本にいて日本女性に中国服を着せて描いた画家。
1910年代から40年代にかけて日本人画家が描いた約30点で構成された展示です。

藤島武二「匂い」
油彩で描かれた中国服を着た女性像としてはもっとも早い時期の作品。
女性がテーブルに肘をついています。
目の前には嗅ぎタバコの小さな瓶。
藤島は中国服を50〜60着近く集めていたのだそう。
確かに、複雑な模様や色彩、異国情緒を感じる服は描きたくなるのかもしれません。

藤島武二「女の横顔」
今回のポスター・チラシにも使われている作品。
隣には参考として「芳漾廚離灰圈爾眈られています。
こちらとそっくり。
比べて違うところは髪飾りがこちらのほうが豪華ということ。
女性の顔が微笑んでいるかのように見えること、です。
「女の横顔」の方が無表情で1点を見つめている印象。
なお、モデルは竹下夢二に"お葉"と呼ばれていた佐々木カ子ヨ(かねよ)

藤島武二「鉄剪眉」
1924年から3年間、立て続けに描いた中国服女性の横顔を描いた最後のシリーズ。
タイトルの「鉄剪眉」について藤島は"なんのことか知らない"と語っていたそうですが、藤島が見た中国人形に着けられてた言葉だそう。
その漢字の並びなどが気に入ったのでは、とのこと。
頭をぐるっとターバンのような髪飾りが覆っています。
中国服より印象的。

藤島武二「台湾の女」
描かれているのは台湾の中央高地に住む先住民、ツォウ族とみられる女性。
青いターバンをし、彫りの深い目元が印象的。
エキゾチックな美です。

久米民十郎「支那の踊り」
なんとも不思議な作品です。
中国服を着た女性が室内で体をくねらせ踊っています。
部屋からも、その女性からも妖しい雰囲気が漂っています。
体の大きさに対し、手や指が長すぎるし、くねくね過ぎる。。。
久米民十郎は1923年9月1日、関東大震災によって横浜のホテルで亡くなった画家。
30歳でした。
翌日からヨーロッパ渡航だったそう。
そのため残された作品も資料も少ないのですが、意外や意外。
20世紀アメリカ文学研究者の間では意外に知られているのだそう。
というのも、ヨーロッパで、エズラ・パウンドやアーネスト・ヘミングウェイと親しく交わった画家だったから。
二人は久米の油彩画を大事に保管していたのだそう。
この作品は亡くなる3年前、帝国ホテルで開催された個展で発表されたもの。
当時の新聞記事には、「霊媒派」という言葉があったそう。
嘘か誠か、制作にあたって巫女を雇っている、と記者に語っていたそうで……
そう言われると信じたくなる不思議な力がありました。

満谷国四郎「焦山」
これは女性ではなく男性の後ろ姿。
そして人物より景色がメインです。
焦山は長江中洲の小さな山。
丸くくり抜かれた明月門の横に男性はいます。
空は灰色。
ここまで人物メインの作品だったので、景色の描かれた小さな作品は目をひくし、ほっとする景色でした。

矢田清四郎「支那服の少女」
東京美術学校の卒業制作と思われます。
室内で机に手を置き立っている中国服の女性。
女性の右側には窓があり、優しい光が室内へ入り込んでいます。
花瓶など室内の装飾も異国趣味となっていました。

岸田劉生「照子像」
描かれているのは岸田劉生の5つ下の末妹。
1919年8月に劉生の家へ療養で訪れました。
劉生といえば、娘の麗子が有名ですが、その麗子もよく懐いていたそうです。
劉生は1920年1月に中国服を着せ3点の水彩を描いています。
これはそのうちの3作目で2日で完成させたのだそう。
暗い背景の中に、青白い顔と鮮やかな中国服が浮かび上がっています。

三岸好太郎「中国の女」
小さな作品。
暗い背景の中に赤茶色の服を着た女性たちが描かれています。
約20人。
白い顔が浮かび上がるかのようです。
ちょっと怖い……。

小出楢重「周秋蘭立像」
"支那服描きたい"と口癖のように言っていた小出に友人の文学仲間が紹介したのは上海出身、神戸住みのダンサー。
芦屋にあった小出のアトリエで描かれたのだそう。
絨毯や花瓶など室内装飾も服と調和が取れています。
ぱっつんの前髪が印象的。

正宗得三郎「赤い支那服」
描かれているのは中国服を着て椅子に座った女性。
モデルは妻の千代子。
ヨーロッパから帰国した翌年(1925年)に描かれたもの。
この旅行で日本人であるアイデンティティーに目覚めた正宗。
帰国後は、日本や東洋の伝統的な美術の研究を始めました。
その一方で、帰国の際に持ち帰ったフランス製の布地を静物画などの背景に用います。
妻の千代子はその生地の一部をつかって"支那服"を造りました。
布はフランス製、製作者は日本人という"支那服"
矛盾しているようですが、千代子は一生懸命に中国風のドレスを手がけたようです。
"サンプルのない支那服を絵になるような美しい変わった形を考案して作るのに苦心しました。
自分の作った支那服が絵になるので、私も張り合いがありました。"
との言葉が紹介されていました。
素敵な奥さん、そして素敵な夫婦関係です。

正宗得三郎「中国服を着た女」
モデルは小田切峯子、侯爵・細川護立からの依頼品かと思われます。
この2人の組み合わせ、東京国立近代美術館所蔵の安井曾太郎「金蓉」と同じです。
(後ほど出てきます)
青に白のドットの中国服を着て、手には黒の猫のぬいぐるみらしきものを持っています。
このぬいぐるみについては梅原龍三郎も描いているのだそう。
画家通しのつながりが垣間見えます。

児島虎次郎「お茶時」
児島は1918年の春に初めて中国に行ったそう。
水辺の茶屋でしょうか、茶を楽しむ中国服の女性。
窓は大きく開けられ自然たっぷりの屋外が見えます。
さらりと描かれています。

児島虎次郎「西湖の画舫」
画舫とは飾り立てた屋形船のこと。
古来、江南地方で春から秋にかけて多くの文人たちが楽しみました。
船の内部では胡弓を弾く男性、歌う女子。
話をする女性とにぎやかです。
色彩も鮮やか。

児島虎次郎「花卓の少女」
傍らのテーブルに肘をつき、ふとこちらを見る少女。
紫色の中国服が目をひきます。
手には赤い表紙の本。
今まで読んでいたけれど、ふと顔をあげた瞬間、といった感じです。
可愛らしいのです。

安井曾太郎「金蓉」
先ほど書きましたが、モデルは小田切峯子。
英語、中国語など5カ国語を話す才媛で、父親は上海総領事を 務めた外交官だったそう。
普段から中国服を着ている娘に、父親は"金蓉"という中国風の愛称をつけました。
この絵のタイトルはまさに彼女の愛称から。
背景は薄いピンクで藍色の中国服が目立ちます。
この作品の製作途中に峯子はハルビンへ帰りました。
その際、この藍色の中国服を置いて帰ったそうで、安井はモデル着用なしで描き上げたのだそう。

藤田嗣治「力士と病児」
これまでの作品とは違い、道行く人を描いたもの。
上半身裸の男性は大道芸人とのこと。
その後ろに描かれている母子はそれを見ていた人でしょうか。
通りかかっただけでしょうか。
街並みも中国らしい鮮やかな色彩が配されています。
着飾った人物ではない人物を描いたところにおもしろさを感じます。

朝井閑右衛門「蘇州風景」
蓮で埋め尽くされた幻想的な池。
船に乗った女性がその花をとる場面です。
全体的に明るい色彩で、空はクリーム色。
とても素敵な作品です。

恩地孝四郎「白堊(蘇州所見)」
創作版画の先駆者のひとりであり、日本の抽象絵画の創始者とされている、恩地。
前衛的な表現を用いて、日本に版画というジャンルを芸術として認知させました。
白い壁と天井、床までもが白い空間。
廊下の先には格子窓。
そこには鮮やかな青い中国服の女性の後ろ姿。
静かで洗練された印象です。

以上になります。
展示数は少ないですが、とても楽しく見ごたえありました。
"中国服"とまとめた展示は初めてでしょう。
視点も面白い展示でした。



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アンリシャルパンティエ

2014-07-25 21:30:00 | 食べ物
見た目が涼しそうだったため、思わず購入。

蜂蜜レモンのレアチーズ
青りんごと炭酸ライムゼリーのヴェリーヌ

爽やかー。
レアチーズのほうは、底の方にもソースがたっぷり入っています。
ヴェリーヌはライムの味がすごいする。
どちらも夏らしくていいなぁ。



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没後90年 鉄斎 TESSAI

2014-07-24 21:30:00 | 美術
見てきました

出光美術館

会期は2014年6月4日から2014年8月2日。

富岡鉄斎(1836-1924)
彼が生きたのは、幕末・明治・大正と激動の時代。
学問の道を志し、儒学者として大成する傍ら、書画の制作に勤しみました。
当時の東西画壇においては、西欧化が進んでいました。
その中で、鉄斎は先達文人たちが遺した想いに共感。
多くの書物を通じて学び得た世界観を、自らの絵筆により描き出しました。
若い頃から日中のさまざまな書画の優品に触れ、それらの画法に倣った鍛錬の成果が、最終的に見事に混ざり合って、独自の画境を築きました。
没後90年を迎えた近代文人画の巨匠・鉄斎。
今回は国内屈指の出光コレクション約70件の展示です。

《1.若き日、鉄斎の眼差し -学ぶに如かず》
鉄斎は石門心学を家学とする京都の法衣商・富岡家に次男として生まれました。
若い日から幅広く学問・文芸の道に親しみました。
鉄斎の学びの精神は、実学を基本とし、書物で知り得た世界を実感するために、たくさんの書画にもふれていきます。
中でも大田垣蓮月との出逢いは、若き鉄斎の人格に大いなる刺激を与えます。
老いた尼僧のお世話をする生活の中で、鉄斎は人生の享楽と悲哀の実相を学び、また和歌の情緒に、俳画風の素朴な絵で答えることも、この頃覚えました。

「富士山図」
墨の濃淡で描かれたもの。
鉄斎は明治8(1875)年、富士登頂。
天皇が東海地方へ巡遊されるにあたって御興の付き添ったときです。
すっと高くスタイルのいい富士山です。

「十二ヶ月図」
京都・北白川、心性寺の尼僧、大田垣蓮月と同居し、身の回りの世話をしながら学問に励んだ鉄斎。
これは蓮月の和歌に俳画風の簡略な絵を添えたもの。
展示されていたのは4月から9月。
シンプルながらに季節の美しさが表現されています。

「北山溪図巻」
巻物に描かれているのは北山渓谷の景観を描写したもの。
山の中の皮の流れ、そこに浮かぶ船などずらっと描かれています。
細部まで丁寧です。

「高賢図」
戦国・三国・普時代より明時代に至る高賢12人を12幅に描いたもの。
顔は精密に描かれ、服も彩り鮮やかです。

《2.清風への想い -心源をあらう》
俗世から離れて自娯適意の自由な人生を歩む文人の生き方に憧れた鉄斎。
本格的に学問の道を究めんと進んでいきます。
その中で"清風"、煎茶・喫茶の世界へと憧れを抱きます。
俗世からの離脱といっても容易なことではなかったため、居ながらにして精神のみを解き放つために、喫茶のこころに心酔してゆくのです。
その上で、単に自分一人の世界観だけにとどまらず、文人的営みを通じてたくさんの人々と語り合い、学ぶことの大切さを理解していきました。

「陽羨名壷図巻」
宜興窯に関する書物"陽羨茗壷系"に載っている明時代末頃の名工の名とそれぞれの急須を描いたもの。
茶を飲も楽しむ人物なども描かれています。

「墨竹図」
扇子の形をした中に、すーっと伸びる竹が描かれています。
しなやかで見ていて気持ちのいい作品です。

「高士煎茶図」
煎茶の起源、中国・唐の陸羽を鉄斎はしばしば描きました。
描かれているのは崖の岩間。
煎茶を入れる高士。
大自然の中でお茶を楽しむことは当時の文人たちのあこがれであったそう。
確かに、身も心もリラックスできそうですね。

「漁弟漁兄図」
日の暮れゆく漁村を描いたもの。
墨を荒々しく擦り付けるようにしてもやに包まれる情景を描いています。
漁をする者、終えて酒場へ行く者など自然の中に生きる人々が温かい視線で捕らえられています。

《3.好古趣味 -先人への憧れと結縁》
鉄斎の師は書物の中で出逢った敬愛すべき古人たち。
若いころから古人たちの古蹟を訪ねる旅をし。
先賢の遺愛品や縁の品々を見つけたならば、それを手元に置きたいと願い。
著名な画家の古画にふれては模写を試みたり。
このような"好古癖"が、鉄斎の書画、骨董を愛玩する蒐集癖へと転じていったようです。

「蘭亭曲水図」
同じテーマを描いたものが2つ並んでいます。
右は鮮やかで上流にも人がいて上から流れてきている様子が分かります。
左は細密で人物などは下流に集中しています。
「蘭亭曲水図」なんかはこれまでの鉄斎の作品やエピソードからもすごく好きそうな題材ですね。
このテーマ、様々な文人画家も描いていますから。

「米法山水図」
"米法山水"という名称で親しまれる山水画。
米点と呼ばれる楕円形の墨点を施し描かれています。
墨だけで描かれた山々は幻想的。

「口出蓬莱図」
仙人の口から煙のように蓬莱山が出てくるという不思議な作品。
毎日、日の暮れるころ。
北西に向かい目を閉じてこぶしを固く握り、崑崙山を思い続けること30年。
神仏のありさまをつぶさに思い描けるようになったそうです。
これはそれを表現したもの。
ユーモラスで思わず笑ってしまいます。

「明恵上人旧廬之図」
華厳宗の明恵の住んでいた高雄の山水。
高雄の山は紅葉の名所だそう。
紅葉で色づき明るくとても美しい。
そうした所に住めば仙人になれる素質が増す、と書かれています。
まさに理想の世界なのかもしれません。

《4.いざ、理想郷へ》
鉄斎の理想郷への抱く想いは高まるばかり。
江戸時代の文人が憩った奈良・月ヶ瀬渓谷の梅林。
中国画に倣った"青緑山水"など、虚実入り混じる不思議な空間が描かれるようになりました。

「月ヶ瀬梅溪図」
奈良・月ヶ瀬渓谷の梅林は江戸時代の文人たちも憩った景勝地。
梅の芳香が漂う世界はまさに桃源郷だったでしょう。
緑の山々の中にピンクの点が華やかです。

「放牛桃林図・大平有象図」
6曲1双の屏風。
草原に解き放された牛。
咲き乱れる桃。
水墨と濃淡で描かれた景色はこれまた不思議な癒しの世界。

「青緑山水図」
色彩がきれい。
"青緑山水"とは群青や青緑の顔料を使って描く着色山水画。
鮮やかでグラデーションなどもとてもきれい。
こちらは眩しいような理想郷です。

「看山清談図」
渓流が勢いよく注ぐ水辺で2人の高士が座っています。
優しい色使いです。

「杏華村暁図」
牛飼いの童が指さした方には杏子の花咲く村。
明るい色彩で人々の生活が描かれ、これも理想郷です。

〈特集〉 扇面を愛す
ここでいくつかの扇が展示されていました。
鉄斎は、お祝いや良縁、仏事や時節の交流などに扇子を送っていたそうです。
鉄斎にとって扇子は絵手紙のようなものだったそう。

「石榴果図」
色鮮やかな柘榴。
柘榴は子孫繁栄などを表しますから、お祝いごとでしょう。

「福内鬼外図」
おたふくが笑いながら鬼を追い払う場面。
かなりおもしろい作品です。
もらったら嬉しいだろうなぁ。

《5.奇跡の画業 -自在なる境地へ》
生涯にわたって描きつづけた理想郷の画は、80歳代を迎えて見事に大成。
"青緑山水"の色彩美から離れ、一面を水墨で覆う画風の実験を経て、これらが相互に融け合った鉄斎独自の瀟洒な画風を完成させました。

「佛鑑禅師図」
墨のみで描かれた世界。
山とその中腹には庵があります。
川が流れ穏やか。
これがたどり着いた理想郷なのかな。
のびやかです。

「蓬莱仙境図」
蓬莱山を描いた最晩年の大作。
大胆な墨の線が目をひきます。
その線は山が動き出しそう、生きているかのようです。

以上になります。
とても面白く、また不思議な世界が楽しめる展示でした。
追い求めた理想を順を追って私自身も追っていけて、その世界に入り込んで鑑賞できました。
癒しの世界です。



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つるり

2014-07-19 21:30:00 | 食べ物
夏です。
爽やかなお菓子が食べたくなります。

今日はたねや寒天。

写真は夏みかん。
爽やかな甘みでつるんと食べられます。

小豆のほうもみずみずしくてさらりと食べられます。

8月末まで。
あぁ、幸せ。



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魅惑のコスチューム:バレエ・リュス展

2014-07-18 21:30:00 | 美術
見てきました

国立新美術館

会期は2014年6月18日から2014年9月1日。

今回は「バレエ・リュス(ロシア・バレエ)」
1909年にパリで鮮烈なデビューを果たし、革新的なステージにより一世を風靡した伝説のバレエ団です。
主宰者セルゲイ・ディアギレフ(1872-1929)の慧眼によって、同バレエ団はワツラフ・ニジンスキー(1889-1950)をはじめとするバレエ・ダンサーや振付家に加え、20世紀を代表する作曲家イーゴリ・ストラヴィンスキー(1882-1971)ら、数々の新しい才能を輩出しました。
ロシアのエキゾティシズムとして人気を集め、のちにピカソやマティス、コクトー、ブラック、ローランサン、シャネルら、当時パリで活躍していた。そして現在の私たちも知っているアーティストを取り込みました。
バレエだけではなく、美術やファッション、音楽の世界にも革新をもたらし"総合芸術"として大きな影響を与えました。
今回、オーストラリア国立美術館が所有する世界屈指のバレエ・リュスのコスチューム・コレクション32演目、約140点の作品を中心に、デザイン画や資料など、これまでにない規模で展示されています。

会場は黒で統一され、そこに作品ごと島が作られ、衣装が展示されています。
とってもおしゃれな印象です。

展示は年代順となっていました。
簡単に書いておきます。

バレエ・リュスは1909年パリのシャトレ座で《アルミードの館》、《ポロヴェツ人の踊り》、《饗宴》(不出品)で鮮烈なデビューを果たします。
その後も短期間のうちに《クレオパトラ》、《シェエラザード》、《火の鳥》、《ペトルーシュカ》、《青神》などの傑作を次々と発表。
1911年ごろには伝説のスターダンサー、ニジンスキーが振付を手がけるように。
《牧神の午後》、《春の祭典》などがあげられます。
鮮やかな色彩で東洋のエキゾティシズムなどを高度なテクニックで表現したバレエ・リュスは異国情緒溢れる甘美な作品を世に送り出しました。
この1909年から1913年ごろが【初期】となります。
また、ディアギレフに依頼されバレエ・リュスのために作曲した《火の鳥》、《春の祭典》などは作曲家ストラヴィンスキーが広く世に知られるきっかけとなりました。
衣装の展示とともに、簡単にあらすじも書かれているのでとても理解しやすいです。
私は《クレオパトラ》がとても気になりました。
またチラシなどにも大きく扱われている《青神》の衣装。
演じたニジンスキーは全身に明るい青のメイクアップを施していたため、裏地にはその青い跡が染み込んでいました。
これは色彩もカラフルでおしゃれですし、ひらっと広がったスカートもかわいらしい。

1914年から1921年ごろが【中期】となります。
1914年には第一次世界大戦が勃発。
世紀末から続いたベル・エポックは終焉を迎えます。
ディアギレフはそれまでの東洋趣味から離れ、パリで活躍していたピカソやジャン・コクトーら若手の前衛アーティストを、積極的に取り込みました。
振付もニジンスキーに代わりマシーンが活躍。
コミカルな動きが取り入れられます。
美術・衣装デザインはゴンチャロワが担当した《金鶏》、マティスがデザインした《ナイチンゲールの歌》など、モダニスムと関わっていくようになりました。
ナタリヤ・ゴンチャローワがデザインした《サドコ》は海のお話ということで展示品はイカの衣装などとなっています。
ウルトラマリンのシルクにメタリックラメで波状の触手を表し、水の揺らめきや海の生き物の輝きなどが表現されています。
そしてアンドレ・ドランがデザインした《奇妙な店》の衣装は犬。
プードルの衣装なのです。
これも驚き。

【後期】は1921年から1929年ごろ。
マシーンはバレエ・リュスを去り、ニジンスキーの妹、ニジンスカが振付を担当。
マリーローランサンが美術・衣装デザインをした《牡鹿》、コクトーが台本を担当し衣装デザインはシャネルによる《青列車》(不出品)などモダンで洗練された作品が生まれます。
一方で、チャイコフスキーやプティパによる伝統的なクラシック・バレエの最高傑作を紹介したいと考え、《眠り姫》、《オーロラの結婚》といったものも上演。
曲は若き音楽家、プロコフィエフに《道化師》、《鋼鉄の踊り》などの作曲を依頼。
その才能を広めるに一役買いました。
ここで驚くべきは《頌歌》
衣装がレオタード。
に蛍光塗料が塗られたもの。
斬新というか未来的です。
ここではローランサンの絵画も展示されていました。

最後は【バレエ・リュス解散後】
1929年に主宰者のセルゲイ・ディアギレフが急死。
この直後には世界恐慌が起きたこともあり、存続が困難となり解散しました。
しかし、バレエ・リュスに触発されたバレエ団が数多く誕生します。
中でも重要なのが1932年、バジル大佐とルネ・ブリュムによって結成された「バレエ・リュス・ド・モンテカルロ」
彼らは「バレエ・リュス・ド・モンテカルロ」にディアギレフの腹心を呼び寄せます。
同バレエ団はディアギレフのバレエ・リュス時代の主要メンバーが参加し活動しました。
しかし1936年に2人は決別。
ブリュムは新たに「モンテカルロ・バレエ」を結成。
残されたバジル大佐は一座を「バジル大佐のバレエ・リュス」と改名。
モナコを拠点としたこのバレエ団は、世界中を広く巡業、オーストラリアでもツアー公演を行いました。
その同バレエ団で活躍したダンサーたちが、後にオーストラリア・バレエの礎を築きます。

リファールはパリ・オペラ座の芸術監督を。
バランシンはニューヨーク・シティ・バレエ団の母体をつくります。
世界各地のバレエ団の礎はバレエ・リュス出身のダンサーたちによって築かれたのです。

ここではジョルジョ・デ・キリコがデザインした《ブルチネッラ》などが展示されていました。

音楽が流れ、煌びやかな衣装が展示された空間。
見ているだけでもウキウキする、とても楽しい展示でした。
そして、その活動が他に与えた影響がどれほどのものだったかも想像できます。
衣装のほかにスケッチや写真などの資料も多く、見ごたえありました。
久しぶりにバレエ観たいな。



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