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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

雨の日は会えない、晴れた日は君を想う

2017-03-20 12:53:49 | 映画(あ)
評価点:76点/2015年/アメリカ/108分

監督:ジャン=マルク・ヴァレ

この字幕・タイトルじゃあ、主題は見えてこないよ。

金融業界で働くディヴィス(ジェイク・ギレンホール)は、妻の運転する車に乗っているところで、突然事故に遭う。
妻は即死、自分は無傷だった。
粛々とお葬式が行われていくが、彼はなぜか泣けなかった。
そんな中、ディヴィスは、妻が亡くなった病院の自動販売機で、出てこなかった商品に対する苦情を書き始めた。
数日後、義父であるフィル(クリス・クーパー)は、哀しみを隠せずにディヴィスと飲みに誘うが、哀しみの素振りもない。
夜中の二時、ディヴィスに電話がかかってくる……。

前田有一のサイトで、おすすめになっていたこと、またたまたま時間があったことで映画館に飛び込んだ。
例の如くほとんど予備知識無しでいった。

ジェイク・ギレンホール、ナオミ・ワッツという二人の実力派俳優が名を連ねる。
監督は「ダラス・バイヤーズクラブ」のジャン=マルク・ヴァレ。
音楽の使い方が秀逸で、映画館で見た方がいいのは分かっているが、タイトルも含めてこの映画のメタファーをしっかりと翻訳できているかに疑問が残る。
ハッキリ言えば、この映画の成否を握っていたはずの翻訳が残念だったと言わざるを得ない。
見る価値はあるが、二度見ないと理解できない、と私は思う。

▼以下はネタバレあり▼

邦題は長ったらしい、死んだ妻が残した付箋の一節がそのままタイトルになったものだ。
原題は、「DEMOLITION」は破壊という意味である。
破壊、というタイトルなら売れたかどうかは別にして、この映画のテーマを突いているものになっただろう。
なにしろ、この主人公は、自分の課題について、解体することによって理解・解決しようとするからだ。
だが、この邦題だとほとんど意味が無い。
というより、このメモに注目させることには成功したとしても、そのメモの訳としても不十分なため、余計に混乱を招くだろう。
と思うのは私だけなのか。

「すべてはメタファーだ」とディヴィスのセリフ以降、私は注意深く映画を観ていたつもりだったが、どうもあのメモについて理解できなかった。

その件(くだり)はこうだった。
古いステーションワゴンに追い回されることに嫌気がさしていたディヴィスは、妻の墓参りに行ったとき、ついにその者と出会う。
その前に妻が浮気していたことを知ったディヴィスはその男を「浮気相手」だと勘違いして話しかける。
しかし、実際にはその男は、「妻を死に追いやった男」だった。
本当はもっと早く来るべきだったと言葉少なに語って立ち去っていく。

そのとき車のサンバイザーを降ろしたところに、「雨の日は会えない、晴れの日に君を想う」と書かれてあるメモを見つける。
もちろん、妻と不仲だったディヴィスへの、妻のメッセージだった。
だが、この訳はかなり無理があって、英語のセリフを無理に短く訳している。
だから、このセリフをタイトルにして、なおかつ、この映画の胆に当たる部分であるにも関わらず、この訳ではほとんどわからない。
実際には「もし雨ならこのメモをあなたが見ることはない、晴れていればこのメモをあなたは見つけて、わたしのことを考えてくれる」という意味である。
短いカットなので、字幕にするのは大変だったと思うが、それをタイトルにまでしてしまって、思わせぶりに映画が進行するのはどうなのか。

しかもその後、彼はその課題を解決したように涙を流す。
あのメモの意味を、リアルタイムに、同化(感情移入)しながら体験することはかなり難しいのではないか。
私だけなら私の読みが甘かったのだが、少なくとも、私にはすぐには理解できなかった。
あのメモの瞬間、全てが解決する。
なぜなのか。

それは、他責→自責へと合点がいったからだ。

妻が死んだのに泣けなかった。
それよりも、むしろ、自販機のお菓子が出てこなかったことが気になってしかたがなかった。
その原因を探るには、一度解体(DEMOLITION)するしかない。
パソコンも、冷蔵庫も、そして妻との結婚生活までも。
そして、解体したとき、実は愛がなかった、という「妊娠の証」が出てくる。
見ず知らずの男と浮気していた妻とは、何の愛もなかったのだ。

しかし、そうではなかったことが、このメモから明らかになる。
彼が得た解体の答えは、「妻が浮気をしていたから私も愛することができなかったのだ」だった。
しかし、違うのだ。
あのメモは、「このメモを読んだ瞬間だけでも、私のことを思ってほしい」という痛烈なメッセージだった。
彼は、妻が浮気をしていたから愛していなかったのではない。
愛していながら、きちんと向き合わなかったからこそ、妻は浮気したのだ。
もし本気で浮気をしていたとしたら、きっと妻は中絶しなかっただろう。

離婚を選んだはずだ。

そのことを諒解した時、妻の原因ではなく自分に原因があったことを知るのだ。
愛の反対は無関心であるというように。

だから社会的な「事業」ではなく、「ビジネス」でもない、妻と向き合うための時間「メリーゴーランドの支援」が必要だったということだ。
彼の答えは、妻と向き合うことだった。
あのとき愛せなかった、だからこそ、愛を育むための時間を、一つの答えとして、海辺に創ったのだ。

全てはメタファーである。
だから確定的な事実と、抽象的なメッセージをよりわけながら読まなければこの映画は理解できないようになっている。
しかし、その織り込まれたストーリーこそ、彼の混乱をよく表している。

だからこそ、この字幕はいただけなかったかな、と思う。


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