secret boots

ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー

2016-12-29 12:36:33 | 映画(ら)

評価点:63点/2016年/アメリカ/138分

監督:ギャレス・エドワーズ

シリーズヒットのためには、未来を見据えた世界観の脱構築が不可欠だ。

反乱軍はダースベーダ―卿率いる帝国軍に押され、危機に瀕していた。
そんなとき、科学者ゲイリンの元へ、帝国軍が研究を手伝うように迫った。
命からがら逃げ出した娘のジンはソウ(フォレスト・ウィティカー)に見つけられ育てられる。
15年後、帝国軍が「プラネット・キラー」と呼ばれる新兵器を完成させたことが、反乱軍の耳にも入る。
なんとしても阻止しようと帝国軍の脱走兵パイロットから事情を聴こうとするが、パイロットは「ゲイリンからの言伝をソウにしか話さない」と言っていた。
様々な犯罪で移送中だったジンを助け出した反乱軍は、ジンにゲイリンからの言伝を聴き出すように迫るのだが……。

「SW」のスピンオフ作品第一弾。
昨年からスターウォーズ強化期間が続いているらしく、エピソード7から続いての公開となった。
監督はシリーズの製作にも携わっている、ルーカススタジオの社長、ギャレス・エドワーズ。
ファンなら必ず見にいきたい作品である。

というものの、私は特に見たかったから映画館にいったのではなく、たまたま2週間ぶりの休みがあったので、映画館に突撃したまでだ。
本当は「ドント・プリーズ」を見る予定だったが、上映が3分始まっていたので諦めた。
ということで、スピンオフということ以外全く知らない状態で、どこの話なのか、誰の話なのかということから整理しながら見た。

ルーカスが関わっていないからなのか、出来は悪くない。
かといって、この映画で新しいファンを獲得できるほどなのかという点は微妙だが、ファンなら見ておいて損はないだろう。
まあ、私に言われなくても、ファンは見に行くだろうが。
 
▼以下はネタバレあり▼
 
時系列で言えば、物語の時期は「エピソード4」の直前にあたる。
「デス・スター」の完成間近で、その設計図データを奪う、というのがおおよその話の流れだ。
設計した娘のジンが、運命に翻弄されながらも、帝国軍への正義の心を取り戻し、良心に従って行動する、といったところか。

スピンオフということで、かなり自由な物語設計ができたようだ。
少なくとも「EP7」のような、縛りはなかったような気がする。
特に良かった点は、名もなき戦士達が活躍するという点だ。
ジェダイのような、特殊な戦士達が活躍するような映画ではなくなっている。
(まあ、座頭市みたいな凄腕戦士も出てくるわけだが、少なくとも「ニュータイプ」は出てこない)
その意味で、現代的なアレンジがされていると言えるだろう。

そもそもジェダイという設定自体が、私たちには古く感じてしまうのは確かだ。
(「ソーラレイシステム」があるのに、ちまちま剣で闘うってどういうこと?)
だから、私たちの一般人視点で、物語を楽しむことができる。

そして、ファンにもお楽しみが待っている。
すでにYahoo!の予測検索で上がってくるのが残念だが、レイア姫がラストで登場し、物語がきれいにつながるのだ。
このことでEP4からのファンも、きっと納得するだろう。
ああ、あの物語の前に、こんな壮大な「名もなき闘い」があったのかと感慨に耽ることもできる。

シリーズ本編のEP7を遥かに凌ぐ完成度だったと言えるだろう。

ただ、根も葉もない言い方をすれば、私にはこの全体像自体が「古い」と感じてしまう。
壮大な世界観で描いているはずなのに、どこか「人間」(地球)じみている。
トランスフォーマー」などでも書いたけれども、旧態依然、新しさのかけらもない「SF」に成り下がっている。
だから、映画自体に新しい発見があるというよりも、「スターウォーズという素晴らしい金づるでなんとか新しいファンを獲得して既得権益にすがりつきたい」というルーカススタジオの商業的戦略を見ているようで嫌になる。

私が求めているのは、「スターウォーズ」の世界観の焼き直しではなく、公開された当時みなが感じた「新しさ」なのだ。
それが、「EP7」にはなかったが、この作品にもない。
だから、映像は新しくとも、非常に「古くさい」映画に見えてしまう。
切り取り方は様々できるはずのシリーズで、やはり帝国軍と反乱軍の、きれいな二項対立でしか描けないところに、この映画(シリーズの世界観)の限界があるのではないかと思ってしまう。
それであれば、「スタートレック」シリーズ(最新作は見逃したが)のほうがよほど楽しめるようにリライトされている。
宇宙という壮大な世界を描きながら、結局ソ連とアメリカの冷戦対立に立脚した世界観でしか物事を捉えることができない、アメリカの発想の貧弱さを感じてしまうのだ。

「SF」とは現実を切り取る一つのメスだ。
現実を反映させるからこそ、おもしろいのだ。
いつまでも、変な格好をしたどこかの惑星の風貌をした人々がいかにも「地球」のような市場で食べ物を買い求めている「日常」を描写することに、どれくらいの意味があるのだ。
映画を社会的なプロパガンダに利用してほしいというのではない。
社会的なコードを踏まえなければ、私たちのこころを再びこの世界に引き込むことはできないということだ。
少なくとも、あの当時のSWはそれができていたからこそ、ヒットしたのだ。
もう強いアメリカはいない。
そのことをいい加減気づかなければ、「大きな物語」にすがるだけの、懐古主義的な映画に成り下がってしまう。

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 茂木健一郎「幸福になる「脳... | トップ | 福岡伸一「ルリボシカミキリ... »

コメントを投稿

映画(ら)」カテゴリの最新記事