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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

メッセージ

2017-06-14 20:28:58 | 映画(ま)
評価点:73点/2016年/アメリカ/116分

監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ

人は結末を知っていてもなお、人生を歩むことができるか。

言語学者のルイーズ・バンクス(エイミー・アダムス)は、大学の講義に出たとき突如緊急ニュースが入る。
なぞの飛行物体が地球上の12の地域に現れたのだ。
緊張する各国だったが、その中でルイーズは言語学者として彼らの発する音声を確認するために、軍に呼ばれる。
同じく物理学者のイアン(ジェレミー・レナー)とともに船体に入るが……。

こちらもSNSなどで早くから話題になっていた作品だ。
アカデミー賞にもノミネートされたことから、「ネタバレ厳禁」のもとにメディアに登場していた。
監督はあの「灼熱の魂」のウィルヌーヴ。
まあ、なんど調べても覚えられないのですけれど。

また、メディアでは「黒いばかうけ」とも言われて、様々な形で話題になっている。
現代的なテーマだということを聞いて、見にいこうと決めた。
ちなみに原題は「Arrival」。
到着や、訪問などというくらいが妥当な訳か。
宇宙から? 突然飛来した黒いばかうけが、一体どんな意味を持っているのか。

ネタバレしたらおもしろくないが、上手くネタバレされることのほうがむしろ難しいかもしれない。
言葉で説明されれば余計にこの映画は混乱を来すのではないか。
そういう種類の映画だ。

▼以下はネタバレあり▼

SFらしいSFだ。
個と全体(社会)ともに、明確なテーマを持っている。
それは、私たち自身を問い直す契機にもなり得る、鋭いものだ。

地球全体を巻き込んだ、大規模な話なので、ツッコミどころは満載だ。
描かれていない部分に目を遣ろうとすれば、きっと矛盾もたくさんある。
だが、描かれている部分だけで整合性を取ろうとすれば、それほど物語が破綻するほどではないだろう。

映画が投げかける問題提起は、二つだ。
結果が分かっていても、私たちは自分の人生を生きることができるか。
もう一つは、利害や疑念を越えて、理解するために自己を他国や他民族に投げ出すことができるか。
それぞれが、個の物語であり、SFとして私たちに投げかける世界を巻き込んだ社会的なテーマである。

どこからともなく現れた宇宙船(黒ばかうけ)は、何のためにここまでやってきたのか。
まったく未知のものをどのようにして受け入れれば良いのか。
敵対するべきものなのか、融和を求めているのか。
地球の人間は、過去の検証から、到着した者がどのような意図を持っているのかを調査し始める。
それはもちろん、地球の論理による交渉である。

アメリカが中心で描かれることになるが、おそらく他の地域も同じように解読しようと試みたのだろう。
だが、いっこうに意図はつかめない。
このあたりが、SFらしいSFたる所以だ。
どこかの機械が意志を持ってロボットになる話などは、とにかく侵略侵略で押してくるが、そもそも「侵略と植民地化」というのはヨーロッパの限られた論理にすぎない。
地球外生命体である以上、その論理でくるとは限らない。
スターウォーズ」が回を重ねるごとにどんどん古くなるのは、そのためだ。

だから、よりリアル?に考えれば、どんな考えを持っているかもわからない相手とどう交渉するか、というのは蓋然性はある。
しかし、次第に交渉?が長引くほど、人間は我慢ができなくなってくる。
そして、中国が先陣を切って、交渉打ち切り、攻撃することを決める。
だが、言語学者をもとに分析を進めていたアメリカの、ルイーズは、ヘプタポッドから送られてくる文字が、12分の1にしかすぎないことを突き止める。
人間同士が協力し合うことしか、問題を解決する方法がないことを伝えるのだ。
彼らの目的は何だったのか。
3000年後に訪れる、「何か」のために地球を一つにすることで、自身を守りたかった、という結論らしい。

なぜ3000年も先なのか。
宇宙は悠久の時間が流れている。彼らが次に地球に訪れることができるのが、3000年ということかもしれない。
片道1500年かかったとしても、不思議ではない。
そしてそのことを見届けたとき、彼らは去っていく。
それは、相手への疑念や利害関係を捨てて、理解するために自分が裸になれるかということだ。
もちろん、それが私たち現代人において、もっとも難しいアポリアであることがわかっているからだろう。
だが、相手が悪い、自国を守ろう、という理論しかもたない我々は、テロ一つ防ぐことができない。

それを見抜いたのは言語学者のルイーズだった。
物語は個人の面も描いている。
彼女は、ヘプタポッドからのメッセージが、12分の1しかないことに気づく。
だが、それに気づいたのは彼女がまだ彼女が経験していないことから気づく。
未来を見る力、それがヘプタポッドたちの言語だった。

時系列をあえて不明確にすることで、冒頭からの娘ハンナとの出来事が「過去か未来か」分からないように構成されている。
それは早い段階から気づくことが可能だが、それがネタバレされたとしてもこの映画はちっとも疵つかない。
そのことよりも、それが分かった上でも選択できるか、という問いがこの映画が投げかけるものだからだ。
(ちなみに私は「非ゼロ和ゲーム」のくだりでわかった。)

娘が(私の場合は息子だが)、やがて死にゆく運命だとしても、彼女を抱くことができるか。
その問いは、今幸せな人、今不幸せな人、関係なく突き刺さるものになっている。
なぜか。
私たちは因果関係の中で生きている。
今日頑張れるのは、明日につながるだろうと予測が立っているからだ。
今日頑張っても明日世界が崩壊することを知っていれば、きっと今日は昨日までと同じようには頑張れない。
それは私たちは流れるときの中で、因果の関係を感じ取りながら生きていけるからだ。
逆に、アフリカなどの貧しい地域で、テロや内紛が繰り返されるのは、そうした因果関係で結ばれた「未来」がないからだ。
(もちろん、それ以外の理由もたくさんあるのは承知のうえだが)

彼女が未来を知るということは、私たちが持っている物語を解体することに他ならない。
そして、成熟した(もしくは行き詰まった)現代社会において、過程よりも「結果」が求められることは言うまでもないだろう。
結果が不幸になると分かっていても、それまでの「過程」を幸せとして生きられるか。

それは、私たちが結婚したくないとか(結果的幸せになれない人が多い)、
働きたくないとか(働いてもリスクが多くいいことはない)、
子どもをもうけたくないとか(子どもが自分を支えてくれる未来を思い描けない)とか、
はじめから結果ありきの人生設計を考えてしまうことに対する強烈な問いかけでもある。

人生のゴールはどこにあるのか。
良い死に方か、生涯賃金か、楽しい老後か、自分の仕事の成果か。
すべては結果によって私たちは一喜一憂し、その価値を決めていく。
だが、本当にそうなのか。
その問いかけが、彼女が問われたことであり、映画としてのその回答が彼女が出した回答である。

だからこの映画に勝者はいない。
侵略してくるかもしれない相手に対して、勝敗を付けずに終幕する。
「非ゼロ和ゲーム」である。
壮絶なバトルを期待していた人にとってそれは物足りないかもしれない。
だが、動物から抜け出した「人間」は勝敗の付かないところに、生を見出すことができるようになった。
それがこの映画なりの「答え」なのだろう。

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