黄色の壁面にさまざまな色使いで書き込まれた数字は十分に美しいと自分は感じる。昔はこの数字がすべて手書きであって、字の特徴が現れていた。手書きではあってもこの国のそれはきちんとした文字が多く、なぐり書きが少ないと思っていた。事実きちんとした文字を書く人が多いのはこの国の教育のなせる業か?それが、いまやテンプレートを使った塗装に替わっていることを発見した。乱雑なようで整然とした壁面の模様を写真に撮りプリントすれば、このまま包装紙に使えそうだ。
あらたな疑問がわいてきた。電話番号の羅列だけでだれに何を伝えようとしているものなのか。誰もがその番号を見ればああこれは肉屋だ、魚屋だというような要素が書かれた塗料の色によって決まっているのだろうか?そう思ってよく見ると数字の上に文字がある。ダンボール板をくりぬいて好きな色のスプレー缶を片手に、バイクに乗って街じゅうに電話番号をちりばめる…そうした広告業があるのかもしれない。
無作為・無計画・無秩序のなかにこそ美があるかもしれない。
あらたな疑問がわいてきた。電話番号の羅列だけでだれに何を伝えようとしているものなのか。誰もがその番号を見ればああこれは肉屋だ、魚屋だというような要素が書かれた塗料の色によって決まっているのだろうか?そう思ってよく見ると数字の上に文字がある。ダンボール板をくりぬいて好きな色のスプレー缶を片手に、バイクに乗って街じゅうに電話番号をちりばめる…そうした広告業があるのかもしれない。
無作為・無計画・無秩序のなかにこそ美があるかもしれない。