言語空間+備忘録

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ケインズの雇用理論

2009-06-30 | 日記
伊東光晴 『ケインズ』 ( p.96 )

 伝統的な理論と新しい理論との相違は労働供給曲線の相違である。なぜ労働供給曲線は新しい理論のように、A点まで水平なのであろうか。いま一〇人の労働者を雇い、一人一日一〇時間働かしている企業があったとしよう。全体で一〇〇時間の労働である。いま仕事の量がふえて、全体で一一〇時間の労働が必要だったとき、企業家にはこれに対処する二つの道がある。
 第一は、労働者はいままでどおり一〇人であるが、労働時間が一日一一時間で、一人当りの労働時間を一時間ずつ延長させる方法である。この場合にはどの労働者も今までよりも労働時間がふえるのであるから、時間の延長による労働者の苦痛は増加する。したがってこの苦痛の増加を充分補う賃金が支払われなければ労働者は満足しない。だから賃金は上昇する。

(中略)

 ところが全部で一一〇時間の労働量を確保するにはもう一つの方法がある。それは、労働者一人当りの労働時間は今までどおり一〇時間のままであるが、雇う労働者を一人ふやして一一人にし、全体で一一〇時間を確保する方法である。この場合には、どの労働者の苦痛も今までとくらべて増加するわけではない。したがって一人当りの賃金も増加する必要もない。これが新しい理論の場合である。

(中略)

 反対に労働時間が短縮される場合はどうだろう。
 伝統的な理論は、全部の労働量が五〇時間で充分になったときも、今までと同じように一〇人の人が雇われたままで、各人が一日五時間しか働かない場合を想定している。
 ところが新しい理論は、労働者一人当りの労働量は今までどおり一日一〇時間であるが、雇われる人が今までの一〇人から五人になった場合を考える。残りの五人は首を切られ働きたくても職をうることのできない非自発的な失業者である。
 伝統的な理論は、一国全体の雇われている人の数には変化がなく、ただ各人の労働時間が長くなったり短かくなったりする労働市場をえがいている。ちょうどそれは、一人の人間が労働時間を長くしたり短かくしたりしたようなもので、一個人の行動と全社会の行動とを等しいと見る理論であった。だから働きたいと思う人はすべて雇われ、その人たちが一〇時間働くか、八時間働くかが問題であった。したがってはじめから働きたい人は全部雇われるという意味で完全雇用の前提の上に立っていた理論であった。
 これに対して、新しい理論は労働需要いかんでは失業者が生れるという不完全雇用を前提として理論を立てた。

(中略)

 ケインズは、自分の理論は古典派の完全雇用の場合をも、そしてかれらが見なかった不完全雇用の場合をも、ともに含む一般理論だといったのである。


註: 下線部分は原文では圏点になっています。

 ここには、非自発的失業が生じるメカニズムに着目する、ケインズの労働理論が説明されています。


 ケインズの説くとおりだと思います。


 ところで、ケインズの理論からいえるのは、不況の際に、「すべての企業が、労働者の数を減らすのではなく、人数はそのままで一人当たりの労働時間を減らせば、古典的理論はそのまま適用可能である」、 です。ワークシェアリングを行えば、( 一人当たりの賃金は下がるけれども ) すべての労働者を雇用可能になります。

 もっとも、ワークシェアリングを行う方向で考えるなら、労働者 ( 労働組合 ) が反対しては困りますから、労働者の問題になります。
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