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民政党政権下の昭和恐慌

2009-11-03 | 日記
安達誠司 『恐慌脱出』 ( p.144 )

 日本経済は1927年以降、第一次世界大戦をきっかけとした資産バブルの反動、および急激な金融引き締めによる景気の急速な悪化によって不良債権が拡大し、金融危機と同時にデフレに陥った。この金融危機からの脱出の過程で、「大戦バブル期」に設立された多くの新興企業が整理・淘汰された。その後、約2年にわたる金融緩和によって、景気は回復し、前年比でマイナスに落ち込んでいた物価もプラスに転じた。
 そのような状況で、1929年にアメリカ発の世界大恐慌が発生した。世界大恐慌は資産バブルの崩壊による金融危機を伴っていたが、当時、日本の金融機関は、アメリカの株式市場に積極的に参入して、アメリカ株を購入していたわけでもなかった。
 また当時は、いわゆる海外投資家による「ファンド」がグローバルに不動産関連投資を進めているわけでもなく、日米の市式市場(もしくは不動産市場)の連動性も低かった。そのため、もし1929年10月のアメリカ株式市場の大暴落がそれだけで終わっていたならば、日本経済(とくに株式市場)がアメリカの影響を強く受けることはなかったかもしれない。
 しかし、1929年から31年にかけて、日本経済は、世界大恐慌の影響をもろに受けた。その理由は大きく2つあったと考えられる。第1は、輸出の対米依存度の高さであり、第2は、誤った経済政策であった。

(中略)

 1927年の昭和金融恐慌は、主に海運業向け、および株式や商品への投機家に対する融資の焦げ付きで都市部の金融機関を中心に発生したものであった。他方1930年前後に発生した金融危機は、外需(主にアメリカ向け輸出)の急激な減少による地方経済の疲弊がもたらしたものであった。

(中略)

 日清・日露両戦争の戦費調達は、主にロンドンでの外債発行によってまかなわれた。さらには、第一次世界大戦後の急速な都市化によって高まった電気やガス、道路、鉄道等のインフラ整備需要の資金も、地方自治体による外債発行でまかなわれていた。
 1930年前後は、これらの過去に発行した債券の償還時期に当たっていた。日本の政策当局(および債券発行主体であった地方自治体)は、当然、債券の借り換えを望んでいた。しかし英米の投資家は、日本経済の構造改革が進んでいない、英米型の経済構造への転換が遅れているとして、借り換えに難色を示した。とくに当時、欧米諸国が採用していた金本位制(固定相場制)に参加していないことが、最大の問題とされた。
 日本は、第一次世界大戦以前は金本位制を採用していたが、第一次世界大戦勃発によって金本位制が停止されて以降、復帰できずにいた。その間、欧米諸国は日本に先駆けて金本位制への復帰を果たしていた。当時の通貨システムでは金本位制は「グローバル・スタンダード」であり、これに参加することが「世界の一流国」の条件とされていた。

(中略)

 当時の日本は、政友会と民政党による二大政党制であったが、1929年に政友会から民政党へ政権が交代し、「構造改革」が推進されることとなった。民政党の構造改革のメニューは、(1) 金解禁、(2) 産業合理化(低収益企業の淘汰・整理)、(3) 財政緊縮であった。
 中でも、「金解禁」は、最も重要な経済政策であった。「金解禁」とは、金本位制・固定相場制の採用を意味する。これは前述のように、英米の投資家にとっては、借換債購入の条件の1つであった。しかし問題は、円ドルレートが、当時の実勢レートよりも約15%、円高に設定されたことであった。これは、

  1.  円高が投資家からの資本流入を促進させる要因になる。
  2.  企業の諸コストの上昇によって、収益性の低い企業の整理・淘汰を促進させる意味合いがある。なぜなら、現在の為替レート水準よりも円高水準に誘導する必要から、金融引き締め政策がとられるため、企業の借入コストが上昇するからである。

という明確な目標を持った経済政策であった。財政政策では、財政再建のための緊縮財政がとられた。
 これら一連の引き締め政策は、1929年10月のニューヨーク株式市場の暴落に端を発した世界大恐慌の真っ只中で断行されたことから、日本経済は、これまで以上に深刻なデフレに見舞われることとなった。これを「昭和恐慌」と言う。
 このように、当時の民政党内閣は、世界経済が金融危機によって不安定化する状況を、むしろ、構造改革すなわち経済の正常化の好機ととらえ、引き締め政策をとった。これが、日本経済が世界大恐慌の影響をもろに受けた第2の要因である「誤った経済政策」である。


 世界大恐慌の頃、日本の民政党政権は、(1) 金解禁、(2) 産業合理化(低収益企業の淘汰・整理)、(3) 財政緊縮、を内容とする構造改革を推進したところ、デフレが悪化した ( 昭和恐慌 ) 、と書かれています。



 著者は、デフレが悪化したことをもって、「誤った経済政策」 だと評されているのですが、

 海外投資家が借り換えに応じやすい状況をつくる必要があった以上、(1) ~ (3) の政策は、やむを得なかったのではないかと思います。したがって、政策の当否を問題にする余地はありません。



 もっとも、「あとで」 振り返って、今後の参考にするために、政策の当否を問題にすることは、有益だと思います。

 そこで、この見地から見れば、たしかにデフレが悪化したのですから、上記、(1) ~ (3) の政策は、「誤った経済政策」 だったとも考えられます。けれども、著者自身、

 「しかし問題は、円ドルレートが、当時の実勢レートよりも約15%、円高に設定されたことであった。」

と書かれているように、問題はむしろ、こちらのほうにあった、と考えるべきではないかと思います。すなわち、「引き締め政策」 ( =金融政策・円高政策 ) が 「誤った経済政策」 だったのであり、

   (1) ~ (3) の政策が 「誤った経済政策」 だったか否かは、わからない、

と考えるのが、正当ではないかと思います。

 したがって、昭和恐慌についての上記記述 ( 民政党政権の政策 ) は、デフレ下における構造改革路線・緊縮財政路線を否定する論拠とはならないと考えられます。



 以上、まとめると、デフレ下での
  • 円高政策は好ましくない
  • 金融引き締めは好ましくない
  • 構造改革路線・緊縮財政路線は否定されない ( 肯定もされない )

と考えられます。
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