言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

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格付け会社の 「表現の自由」

2009-11-14 | 日記
小幡績PhDの行動ファイナンス投資日記」 の 「格付け会社 訴訟

米国連邦裁で、格付け会社が負けた。

今回の金融危機において、あらゆる証券化商品の格付けが異常に高かった件について、格付け会社は、憲法の表現の自由として主張していたが、裁判所は、不当表示に当たると判断した判決が出た。

これは大きな影響があるだろう。カルパースの格付け会社への訴訟も続いており、金融界に対する影響は計り知れないが、これからどうなるか、予想も付かないほどのものになるかもしれない。


 今回の金融危機において、あらゆる証券化商品の格付けが異常に高かった件について、格付け会社が敗訴した、と書かれています。



 格付けが 「表現の自由」 によって保護される、という主張がわかりづらいのですが、

 これはおそらく、「表現の自由」 があるから、「何を言ってもよい、どう格付けしようが自由である」 という意味ではなく、「会社として、みずから信ずる格付けをする自由がある」 という意味ではないかと思います。

 これに対する、「不当表示に当たる」 という判決は、「みずから信ずる格付けとはいっても、適正なものでなければならない」 ということではないかと思います。



 ここでの問題は、「適正な判断」 ( …にあたるか否かの判断 ) を、事後的にではなく、事前に、いかにして行うのか、です。

 その観点で考えると、結局、「適正な判断」 など、「本当のところは、誰にもわからない」 というほか、ないのかもしれません。為替にしろ、株式にしろ、不動産にしろ、「価格に対して、多様な見かたが存在するから、マーケットが存在している」 のであり、多様な見かたが併存しないところでは、「取引」 は存在しえないと思います。

 したがって、「格付け会社への信頼喪失」 は、必然だったのかもしれません。



 それにしても ( 格付けが外れるのはやむを得ないとはいっても ) 、限度があるだろう、と考えれば、「不当表示に当たる」 と考えることになるのかもしれませんが、

 結局のところ、格付け会社を必要としないシステムにするのが、いちばんではないかと思います。

 もっとも、その場合の問題は、「相対取引の流動性」 を、いかにして確保するのか、です。これがわかれば、危機の解消に向け、一歩前進するのではないかと思います。
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