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大東亜共栄圏と左翼

2010-09-17 | 日記
曽村保信 『地政学入門』 ( p.130 )

 日本へのマルクス主義の導入には、おおむね三つのルートが考えられる。その一は河上肇などを代表とする講壇マルクス主義であり、その二はシベリア出兵 (一九一八年以降) から兵士が持ち帰ったものである。そして第三はコミンテルンの対日工作によるものだった。ここでは、それらの経過についてくわしくのべることが目的ではない。ただ大東亜共栄圏の思想の形成にマルクス主義があたえた影響だけは、ぜひとも知っておく必要がある。
 ヒトラーのナチズムが、ワイマール共和制下における共産主義運動への反動として起こったことはよく知られている。が、ちょうど似たようなことが、日本ではまさに逆の現象として起こった。ということは、つまり右翼または国家主義団体などと呼ばれるものにたいしての、マルクス主義思想の滲透である。これが、とりわけコミンテルンの意識的な工作として進められたことは、たとえばその一九三五年の指令に、"統一戦線樹立にあらゆる方法を利用せよ" として、「テロル支配のため、日本においては、共産党が公然と社会大衆党との統一戦線を樹立するために活動することはきわめて困難である。であればこそ各種合法的組織や、まじめに統一戦線のために努力しつつある合法的人物を通じ、あるいは労働階級の各種合法組織の内部から、統一戦線を樹立するという党の実際的方針を実現させる手段方法を講ずることが刻下の急務である」といい、しきりに "合法舞台" の利用を要求しているところからも知られる。
 が、それ以前からすでに日本の国家主義運動においては、左翼的思想の潜入が顕著だった。とりわけ二・二六クーデター事件 (一九三六年) の精神的指導者として知られる北一輝が大正八年 (一九一九年) に上海で書いた『日本改造法案大綱』におけるロシア革命の影響は、きわめて決定的だった。それは、たとえば、「露西亜 (ロシア) ノ労兵会及ビソレニ倣 (ナラ) イタル独乙 (ドイツ) ノ労兵会ニ比スルトキ、在郷軍人会ノ如何 (イカ) ニ合理的ナルカヲ見ルベシ。在郷軍人団ノ兵卒ノ素質ヲ有スル労働者ナル点ニオイテ、労兵会ノ最モ組織立テルモノト見ラルベシ」などといっている点、あるいはさらにその基礎の上に立って、「国際的無産者タル日本ガ力ノ組織的結合タル陸海軍ヲ充実シ、サラニ戦争開始ニ訴エテ、国際的画定線ノ不正義ヲ匡 (タダ) スコト、マタ無条件に是認セラルベシ」と説いている部分など、いたるところに見受けられる。彼が国民教育において英語を全廃し、代わりにドイツ語を採用する主張をしていたことも象徴的だった。なぜなら、当時の左翼文献はほとんどドイツ語を通じて日本に導入されていたからである。
 一九三四年に日本を訪れたフランスのジャーナリスト、モーリス・ラシャンは、当時の日本の国民的なムードを、ドイツのナチズムやイタリアのファシズムとは非常に性格のちがったものだとみて、これを一種のナショナル・コミュニズムだといっている。ということはつまり、後の二者においては、あらゆる生産関係者の協力体制を強調しているのにたいして、日本の国民精神運動においては、天皇と勤労大衆とを直結して、その中間の資本家を排除しようとしている傾向がありありとしていた、という意味である。このほかにも、たとえば黒竜会のような政策団体のなかに共産党員が潜入している、と報告した外国人記者もある。これらの情報については、あるいは当時の特高の捜査資料のなかに、類似のものがあったかもしれない。ちなみに大東亜共栄圏とマルクス主義とのかかわりを歴史的に立証した本としては、三田村武夫の『戦争と共産主義――昭和政治史秘録』(昭和二五年、民主制度普及会) がある。
 以上のコミンテルンの方針からすれば、近衛内閣がスタートした "新体制" の運動ぐらい、まさに合法組織の目的にかなったものはなかっただろう。そして主としてハウスホーファー地政学の導入にあたった前記の太平洋協会なども、この合法舞台の一部に過ぎなかったことは想像するにかたくない。とどのつまり戦前および戦中の日本では、地政学は日本に対英米開戦を迫る国際共産主義の一手段として――いいかえればすなわちスターリンの対外政策実現のために――知らず知らずのうちに利用されたという、あまり香ばしくない過去の閲歴をもっている。


 「戦前および戦中の日本では、地政学は日本に対英米開戦を迫る国際共産主義の一手段として――いいかえればすなわちスターリンの対外政策実現のために――知らず知らずのうちに利用された」と書かれています。



 日本では一般に、「右」寄りの人々は自衛隊を肯定し、「左」寄りの人々は自衛隊を否定する傾向にあるのではないかと思います。そこには、「戦争そのもの」に対する善悪の観念が影響していると思われますが、上記記述は、「左」の側にこそ、強力な戦争推進派がいた、というものです。

 「非武装防衛の具体的方法」に引用した久野収氏の論考などを読むかぎりでは、「左」イコール戦争反対派、「左」イコール平和主義者、といったイメージをもってしまいますが、このイメージは、じつは幻想であるかもしれません。



 そもそも、太平洋戦争を支える理念となった「大東亜共栄圏」という発想そのものも、考えてみれば変です。

   「大東亜『共栄』圏」の「共栄」は、共産主義をイメージさせる

のであり、このスローガンには、「左」の側が積極的に戦争を肯定・推進していた実態が示されているのではないか、とも思われます。



 (おそらく) 右翼の人で「大東亜共栄圏」の発想を否定する人はいないと思います。引用部分には、「日本の国家主義運動においては、左翼的思想の潜入が顕著だった」とありますが、

   この傾向が左翼の活動によるもの (成果) なのか、あるいは、
   もともと日本人は共産主義的なのか、

機会があれば考えたいと思います。
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