言語空間+備忘録

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マスコミ報道の裏事情

2010-09-09 | 日記
佐高信・編 『城山三郎と久野収の「平和論」』 ( p.140 )

佐高  ウォルター・リップマンは、シャーナリストのモデルと言ってもいいわけでしょう。

久野  リップマン的独立のパーソナル・ジャーナリズムの伝統があるから、多くの名ジャーナリストが出てくる。ぼくに言わせれば、日本の「独立のジャーナリスト」と称している大部分は、主人持ちですね。しかし、同じ主人持ちでも、署名によって自分の責任を明らかにしている以上、無署名で、へんな自己規制記事を書いている大新聞社の記者よりは、まだましだと思う。ジャーナリズムの本道に即していますからね。

佐高  リップマンが、チームを組んでやっていたということですが、日本では「独り立つ」ということが「一人でやる」ということに短絡してしまいますね。私もそういう感じがありますが。

久野  それがまずいんですよ。パーソナル・ジャーナリストがリーダーになって、パーソナル・ジャーナリズムのチームを組むという必要がある。『ニューヨーク・タイムズ』だと、ジェームズ・レストン、ハリソン・ソールズベリー、あるいは、ロゼンタール、バーンシュタイン、アレックス・ヘイリーなど、みんなパーソナル・ジャーナリズムでやっていますね。
 日本のジャーナリズムでも、「赤新聞」は別として、初期の新聞ジャーナリズムでは、独立という要素がまだ生きていた。戦前の『朝日』や『毎日』では、広告費とか、『週刊朝日』や『サンデー毎日』などの出版物の売り上げは、「雑」収入の部に入っていた。数のうちに入っていないわけで、新聞の紙代によって経営が賄われていた。『朝日』の政治経済部長を務めた田中慎次郎さんが、ぼくにそう言っていたから、嘘ではないでしょう。
 現在では三十数年つづいた『朝日ジャーナル』でも、五万部も出ていてそれでも中止だという。なぜ中止かと言えば、広告費が入らないかららしい。

佐高  私が十年いた雑誌は、購読料が「雑」に入っていた雑誌ですからね (笑い) 。

久野  (大笑い) 。

佐高  そこでのスポンサーの支配などというのは、身に染みて知っているわけですが、かつては逆であったことを知らないんです。

久野  それを自覚し、改める方向を踏み出さなければいけないと思いますね。もう言ってもいいと思いますが、筑紫哲也君が朝日新聞社から退去する原因の重大な一つになったのも、パーソナル・ジャーナリストに係わる問題ですね。
 彼は、ニクソン大統領を辞職に追い込んだ大スキャンダル、ウォーターゲート事件の直後にアメリカから日本に帰ってきて『朝日ジャーナル』のデスクになり、そこでロッキード田中汚職事件にぶつかった。ぼくはその頃『ジャーナル』の書評委員をやっていて、月に二、三回『ジャーナル』に顔を出していた。ウォーターゲート事件におけるニクソンのいやいやながらの辞職という体験から、彼は怒って「無署名、つまり『ジャーナル』として、田中角栄をやっつける評論を十回くらい書こうと思うが、久野さんはどう思うか」とたずねられた。ぼくは「やるほうがよい」と言ったんだが、それがケシカランということで左遷されてしまった。
 筑紫君は笑って言っていたけれども、アメリカの『ワシントン・ポスト』の女会長は、ウォーターゲート事件の報道について、司法当局が記者を捕まえにきたときに、「記者を逮捕するなら、社主としての私が監獄に入りましょう」と言った。『ポスト』などは、それを言えるように法廷の闘争費用を年次予算に計上して積み立てている。朝日新聞社は、あれだけ大きな会社であっても、法廷闘争の予算を積み立てていないらしいから、司法に介入されでもしたらつい尻込みしてしまう。

佐高  そんなことを予想もしていない。

久野  していない。当局とぶつかったらつまらないという、暗黙の自己規制がある。『タイムズ』や『ポスト』の発行部数はせいぜい百万部単位でしょう。『朝日』は九百万部も出る。しかも、その九百万部の紙代ではやっていけなくて、大きく広告費に頼っているような現状では、インディペンデントな評論はできにくいですね。

佐高  『毎日新聞』から頼まれて、「親の七光」というコラムを書いたんですが、その原稿がボツになった。担当の若い記者は「これでボツになるとはびっくりした」と言ってましたが、要するにトヨタとか具体的な名前を挙げると駄目なんです。

久野  そうでしょう。民間末端のぼくでさえ遠慮していないのに、なんでこんなに遠慮するのか不思議だったんだけれども、戦前からの経験を振り返ってみると、新聞社の経営も歪んできていますね。戦前なら、『朝日ジャーナル』でも、たとえ赤字になろうが、「やれ」という態度でした。現に毎日の『エコノミスト』は戦中、一時そうでした。同誌の五十周年記念にそれを言って大いに誉めたのです。

佐高  「雑」で成り立つように変わってきたということですね。

久野  「雑」が本収入になり、本収入のほうが、逆に「雑」になってしまった。こういう事情を、新聞社を受けようとしている良心ある学生たちは知っておく必要がある。たいへん悲しいですね。教授たちもまた、そういう話をしているのだろうか。


 日本の報道機関は当局とぶつかることを避けようとしており、暗黙の自己規制がある。また、広告主に遠慮しすぎである、と書かれています。



 引用は、本書第二部「久野収の『非戦論』」に収録されている、「目覚めよ! ジャーナリズム」(久野収・佐高信の対談) の一部です



 本来、報道の役割は権力をチェックする点にあるはずです。それにもかかわらず、当局とぶつかったらつまらない、当局とぶつかることを避けよう、と自己規制に走るのでは、使命を果たしていない、と批判されてもやむを得ないでしょう。

 また、一種の社会的権力たる、企業に対する批判的報道も避けようとするというのも、報道本来の役割を果たしていない、と考えられます。

 その原因としては、(たとえば) 朝日新聞は九百万部も出るのに紙代 (新聞紙代) ではやっていけなくて広告収入に頼っているというのですから、要は、報道機関が営利企業として振る舞っている、ということだと思います。営利を追求する (重視する) から、当局とぶつかることはつまらない、当局とぶつかることは避けよう、と考えたり、企業に不利な報道 (批判的報道) も避けよう、と考えたりするのだと思います。



 報道機関も企業である以上、営利を追求するのはやむを得ないとは思いますが、提灯記事ばかりになってしまうのでは、それはもはや「報道」とはいえません。

 引用のなかに、
佐高  『毎日新聞』から頼まれて、「親の七光」というコラムを書いたんですが、その原稿がボツになった。担当の若い記者は「これでボツになるとはびっくりした」と言ってましたが、要するにトヨタとか具体的な名前を挙げると駄目なんです。
とあります。

 なぜ、具体的な名前を挙げると駄目なのか、それが書かれていないのですが、おそらく、

   広告主たる企業の機嫌を損ねて、広告が減らされたりすると困るから駄目

なのではないかと思います。



 このように、報道機関の「主要な」関心が広告収入を得ることにあるのだとすれば、新聞・テレビ・雑誌などにおける

   「報道」というのはタテマエで、
   本当の目的は「報道をエサに読者・視聴者を集め、広告を見せること」

だということになります。とすれば、無料のテレビ・ラジオはともかく、有料の新聞・雑誌の場合、読者は「企業の広告・提灯記事を、わざわざお金を払って買っている」ということになります。お金を払ってでも商品カタログがほしい、という場合もありますが、そのような目的で新聞・雑誌を買っている人はほとんどいないはずです。

 この問題については、以前、「アナログ放送は終わらない ( 地デジの問題点 )」で紹介したサイト、「ポチは見た!~マスコミの嘘と裏~」が詳しいので、よろしければご参照ください。



 ところで、

 「弁護士自治を弱めてもよいかもしれない」に書いたとおり、私は以前、法律の専門家である弁護士さんから、「(弁護士の)具体的な名前を挙げると駄目」だと指摘されたことがあります。

 なぜ駄目なのか、その根拠を教えていただけなかったのですが、「(弁護士の)具体的な名前を挙げると駄目」だと主張した弁護士さんの同業者、すなわち「弁護士に不利益を与える (かもしれない) から駄目」だという可能性が高いと思われます。

 今回の引用に、
佐高  『毎日新聞』から頼まれて、「親の七光」というコラムを書いたんですが、その原稿がボツになった。担当の若い記者は「これでボツになるとはびっくりした」と言ってましたが、要するにトヨタとか具体的な名前を挙げると駄目なんです。

久野  そうでしょう。民間末端のぼくでさえ遠慮していないのに、なんでこんなに遠慮するのか不思議だったんだけれども、戦前からの経験を振り返ってみると、新聞社の経営も歪んできていますね。戦前なら、『朝日ジャーナル』でも、たとえ赤字になろうが、「やれ」という態度でした。現に毎日の『エコノミスト』は戦中、一時そうでした。同誌の五十周年記念にそれを言って大いに誉めたのです。
とあるように、

   法律的には問題ない、たんに遠慮しているだけ (損得を計算しただけ)

だとすれば、「法律の専門家である弁護士さんが」駄目だと言っているから「法的に許されない」の「かなあ?」などと、変に「自己規制」する必要はないということになります。

 しかし、本当に「法的に許されない」のかもしれないので、どなたか、そのあたりのことに詳しいかたがおられましたら、ぜひ教えてください (ある程度全体像のわかる、まとまった記事を「こぐま弁護士を怒鳴りつけたのは誰か」に書いています) 。
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