言語空間+備忘録

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自衛隊の実力と歴史問題

2010-12-15 | 日記
西部邁・宮崎正弘 『日米安保50年』 ( p.32 )

(宮崎) 自主防衛について考えると、単独防衛か集団防衛かの前に、自主防衛と言うからには、まず何を何から守るかという定義が必要です。そうすると、一般的には外国の侵略から領土と国民の生命と財産を守るということになります。しかし、だいぶ前に防衛庁の高官と議論したことがあるのですが、「我々の精神を守ることは入らないのですか」と聞いたら、「は?」と言ったのです。そのことは全然計算に入っていないわけです。
 次に、兵器体系には戦略兵器、戦術兵器、戦場兵器があります。戦略兵器とは、アメリカが持っているICBM (大陸間弾道ミサイル) や長距離爆撃機プラス早期空中警戒機など。戦術兵器は戦域兵器と言いかえてもいいもので、リージョナルな防衛ができる兵器です。それには攻撃用のジェット戦闘機から上陸用船艇まで入ってきます。戦場兵器は迫撃砲などの砲と弾薬、機関銃もそうです。
 日本はまず、戦略兵器レベルを何一つ持たされていません。戦域兵器は、わずかに専守防衛用の兵器を持たされているだけです。たとえば戦車や地対空ミサイル「パトリオット」。この「パトリオット」は攻撃を受けたら迎撃するというおかしなミサイルですが、そういうものはあります。戦場兵器は、多少兵器らしきものはありますが、弾薬が全然足りません。いざ戦争になったら、アメリカから支給を受けざるを得ない。そうすると、兵器体系一つをとっても、日本は自立できないというのが、防衛現場における恐るべき現実です。
 精神の問題が守る対象に入っていないことが一つ。二つ目は兵器体系のいびつさ。ですから、とてもじゃないが日本は単独防衛はできないというのがリアリティーなのです。
 ではどうするのか? 日本が単独で何日耐えられるかという議論が一九八〇年頃にありました。一九七九年十二月二十五日にソ連がアフガニスタンに侵攻した時に、ぱっちり目を開いたカーター政権が日本に対して突如、言ってきたことは、アメリカが大規模戦力で日本に応援に駆けつけるまで、少なくとも三十五日間は日本単独で耐え得る体制をつくれ、と。三十五日という数字がどこから出てきたかは知りませんけども、そういう議論がありました。
 アフガン侵攻でソビエト脅威論が急に高まると、今度はアメリカの地域的戦術が変わります。アメリカは大体のことはカバーできるが、一つだけカバーできないところがある。日本近海を遊弋 (ゆうよく) するソ連の潜水艦はどうしてもカバーできない。だからこれを日本でやれ、と。その結果、どういう変化が起きたかというと、対潜哨戒機P3Cを百十七機も買わされたのです。
 結果として、日本の自衛隊は今、対潜能力たるや、おそらく世界一でしょう。潜水艦を発見できる能力は極めて優秀です。最近では海賊対策でソマリア沖までP3Cが行っています。しかしものすごく技術が偏在している。体系的に考えると、日本の自衛隊は何のためにあるのかと言えば、結局、アメリカ第七艦隊の戦力を補完するためにあるようなものではありませんか。


 日本の自衛隊の兵器体系はいびつであり、偏っている。日本の自衛隊は結局、アメリカ第七艦隊の戦力を補完するためにあるようなものである、と書かれています。



 これはその通りだと思います。

 その原因として考えられる可能性は、論理的に2つあります。一つは、他の国が日本の防衛力強化を望まなかった(妨害した)という可能性。一つは、日本がみずから、防衛力強化を望まなかったという可能性です。

 どちらが正しいのか、ここでは論じません (もちろんどちらも正しい可能性もあります) 。

 しかし、どちらであっても、そこには、「歴史問題」が横たわっていることは、たしかだと思います。「歴史的な経緯」をふまえ、日本国民の命を守るために活動することは控えるべきである、といわんばかりの仙谷官房長官の考えかたは、その典型的なものでしょう (「仙谷由人は政治家としてふさわしくない」参照 ) 。

 しかし、過去の戦争を否定することと、国民・国家を守るために防衛力(=軍事力)を保持することとは、本来、別個の問題のはずです。過去の戦争を否定する場合であっても、国民の生命を守るために、一定の防衛力、すなわち軍事力を保有することは、ただちに否定されることにはなりません。



 そもそも、「歴史問題」で日本を非難する中国ですら、戦後、(日中で協力してソ連に対抗するために) 日本に軍事力強化を求めたことがあるといいます。左(寄り)の人々の考えかたによれば「被害者」であるはずの中国が、「加害者」であるはずの日本に軍事力強化を求めた時期もあったのです。

 このことからも、「歴史」は現在を規定するひとつの要素ではあるけれども、いたずらに「歴史」にとらわれて「現在」を考えてはならない、といえるのではないでしょうか。



 先月、尖閣沖漁船事件をふまえ、日本がアメリカの無人偵察機「グローバルホーク」を購入するという話がありました (「軍用航空機の無人化」参照 ) 。これを日本の軍事力強化、と喜ぶ意見もありましたが、これはつまり、日本が「偵察・情報収集能力」を高める、というにすぎません。もちろん「偵察・情報収集能力」を高めることは重要ではありますが、どれほど「偵察・情報収集」を行おうとも、最終的には「その後に続く軍事力」がなければ話にならないわけです。

 「日米が連携して、日本が収集した情報を米軍に提供すればよい」というのも確かにひとつの考えかたではあるのですが、米軍が動いてくれなければ「どうにもならない」というのでは、やはり、問題があると思います。

 上記引用文中には、「アメリカが大規模戦力で日本に応援に駆けつけるまで、少なくとも三十五日間は日本単独で耐え得る体制をつくれ」とカーター政権が (日本に) 言ってきた、と書かれています。「今」の防衛能力はどうなのか、ただちには断定しかねますが、すくなくとも当時は、35 日間も耐えられない状況だった、ということでしょう。

 当面、日本の自衛隊が米軍を補完するためにあるようなものであることは、やむを得ないとは思います。しかしすこしずつ、米軍の助けがなくとも「自分で」日本を守れる態勢に変えなければならないと思います。



 なお、引用文中には、「日本の自衛隊は今、対潜能力たるや、おそらく世界一でしょう。潜水艦を発見できる能力は極めて優秀です」とあります。

 近年、中国の潜水艦が日本近海で活発に活動しています。これをもって、「アメリカ第七艦隊が動けなくなる」と述べ、東アジアでは中国の軍事力がアメリカを凌駕しつつある、などと述べる人もいますが、すくなくとも日米が連携すれば、中国の潜水艦は「さほど脅威ではない」といってよいのではないでしょうか。

 いたずらに中国を恐れず、しかし油断もせずに着々と「自力で」日本を守る態勢を整えることが重要ではないかと思います。
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