言語空間+備忘録

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「市場原理主義」批判について

2010-02-27 | 日記
池尾和人|池田信夫 『なぜ世界は不況に陥ったのか』 ( p.169 )

池尾 ファニーメイは政府機関として設立された。政府機関だからエージェンシーと言っています。一九八〇年頃のレーガン政権時に、民営化の話が出ました。現在、商業銀行がオリジネートしたものを買い取って証券化するファニーメイと、S&L(貯蓄貸付組合)がオリジネートしたものを買い付けるフレディマックの二つの住宅金融機関がアメリカに存在しています。いずれも厳密な意味でいうと、完全民営化され、民間が株主の企業になっています。

池田 その場合も、「暗黙の政府保証」があると言われた。そこが今回の危機のかなり重要な原因ですね。

池尾 ファニーメイ、フレディマックとも完全民営化していて政府が所有しているわけではありません。しかし、ファニーメイとかの定款には、政府の住宅政策に協力することが目的として織り込まれ、取締役の何人かを政府が任命できると定めているので、政府とのかかわりは残されているわけです。
 住宅政策に協力し、政府が人事にも影響を及ぼせるような民間企業だから、純粋民間企業といっても何かあったときには政府が保証するだろうと受け取られる。政府は公式には否定していたけれども、マーケットは暗黙の政府保証があるということで、ファニーメイとかが発行するエージェンシー債は、連邦政府が発行する国債(連邦債)とほぼ同格の信用度を持ったものとして取引されていました。アメリカ国債と同じ安全度で、アメリカ国債よりも若干利回りが高いので、海外の投資家が喜んで大量に保有しています。
 ファニーメイ、フレディマックにヌエ的な性格があることは確かで、完全民間企業であると言いながら、政府保証を享受しているところがあった。そういういいところ取りみたいな感じの組織で大丈夫なのかという批判はずっとありました。公的な役割を果たさせるのであれば、公的なコントロールの下に置くべきだ、暗黙の政府保証を補助金のように使って株主が利益を得ることになるとまずいという話はされていました。
 元の政府機関に戻せという話じゃなかったけれども、株主の利益追求とか、純粋な民間企業として営利に走ることに対しては一定の歯止めをかけることを含めて、しっかりした規制監督の下に置くべきではないかという議論はずっとやられてきたわけです。しかし、ファニーメイ、フレディマックの側が、猛烈なロビイングを続けて規制監督の強化をさせてこなかったという経緯があります。

池田 そこは日本の銀行と似ているところがあって、あれも儲かっているときは民間、民間といって、危なくなったら最後は政府が助けてくれると思っているから、ああいういい加減な経営を続けてきたわけです。

池尾 今回、アメリカ政府はファニーメイとフレディマックを監督下に置いたため、暗黙の政府保証があったことを自ら立証してしまったことになります。自ら公式には否定していた政府保証を、自らあると証明した。そういう点でも非常にまずいといえます。

(中略)

池田 だから、これはよくいわれる「市場原理主義」といった一般論じゃない。政府がいざというときには保証する前提で民間がリスク取り放題になっていたら、こういうことになるのは分かり切っているわけです。


 今回の不況の原因は、「市場原理主義」といった一般論ではなく、「暗黙の政府保証」にあると考えるべきである、と論じられています。



 ときおり、「市場原理主義」はよくない、「市場原理主義」が諸悪の根源である、といった主張を見かけますが、この本(『なぜ世界は不況に陥ったのか』)の著者らは、「市場原理主義」批判は間違っている、と主張しているとみてよいと思います。



 私は、本当に「市場原理主義」が悪いのか、ずっと疑問に思っていました。というのは、

 資本主義である以上、「市場原理主義」になるのは当たり前で、「市場原理主義」を批判することは、資本主義を批判・否定することにほかならないからです。「市場原理主義」を批判する人々は、資本主義を否定して、どうしようというのか、それが見えてこないのです。



 彼らは、社会主義・共産主義にしろ、と主張しているわけでもないようですし、ソ連が崩壊し、中国が資本主義化しつつある今、日本を社会主義化・共産主義化しろ、という主張には、まったく説得力がありません。

 とすれば、日本は資本主義社会であり続けねばならず、そうである以上、「市場原理主義」批判は、「なにかがおかしい」と思わざるを得ないのです。



 そういう意味で、「市場原理主義」が悪いのではなく、「暗黙の政府保証」に問題があったのだ、という指摘は、重要だと思います。



 さて、「暗黙の政府保証」がいけなかったのだ、ということになれば、「市場原理主義」批判とは、まったく違った考えかたをすることになります。すなわち、

 「市場原理主義」が問題なのであれば、社会・経済の資本主義的性格を弱めて、社会主義的政策をとるべきである、といった方向に考えることになるはずですが、「暗黙の政府保証」に問題があったと考えるのであれば、このような、市場原理を歪める要素を排除し、市場原理をより貫徹した、「もっと純粋な資本主義」に近づけるべきである、と考えることになるはずです。

 とすれば、著者らの観点からは、(世間で)よく言われる、小泉・竹中改革がいけなかったのだ、という主張とは正反対の主張、さらに徹底した改革を行うべきである、と考えることが、自然な結論になるのではないかと思われます。



 私はどちらの考えかたをとるのか。すこし、決めかねているところがありますが、どちらかといえば、「さらに徹底した改革を行うべきである」という考えかたが、適切なのではないかと思います。
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