言語空間+備忘録

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不良債権処理、短期決戦型か持久戦型か

2009-11-12 | 日記
リチャード・クー&村山昇作 『世界同時バランスシート不況』 ( p.63 )

 ガイトナー長官の日本に関する二つ目の誤認は同長官の「日本の例を見ても、結局、当局が不良債権の処理を強く銀行に迫らない限り、景気は回復しない」という発言にある。実際にアメリカを含む海外ではたいへん多くの人たちが同様の認識を持っている。これは日本の竹中平蔵氏が強く主張した点であるが、事実は竹中氏が広めたイメージとはだいぶ違う。
 例えば、日本の不良債権処理は図12を見れば、竹中氏が金融担当相に就任する二〇〇二年九月末の時点で、既に全体の八三%(八三・四兆円)が終わっていたことが分かる。しかも竹中氏が金融担当相に在任した二年間で邦銀が処理した金額は全体で一一・七兆円だが、これは年平均に直すと五・八五兆円である。
 これに比べ、一九九五~九八年度の年平均処理額は一二兆円であり、実は邦銀の不良債権の大半は竹中氏が大臣になる前に処理されていたのである。
 ところが、この統計を見たことのない国内外の大半の人々は、竹中氏が大臣になるまで邦銀は不良債権を隠すばかりで処理をせず、竹中氏が金融担当相になってようやく問題の大半を処理したと信じているのである。
 この間違った認識がガイトナー財務長官を含む多くの米国のオピニオンリーダーたちをして「日本のような長期不況を避けるには政府が早急な不良債権処理を銀行に要求すべきだ」と言わしめているわけだが、これは間違った認識に基づいているだけでなく危険でさえある。

(中略)

 無理な不良債権処理は、それがたかだか年間五・八五兆円でも、大きな混乱と貸し渋りを引き起こすと考えれば、いまの米国で一気に不良債権処理を進めようとすることがいかに危険であるかが分かる。


 日本では、銀行の不良債権処理は、竹中氏が大臣に就任する前に、すでにほとんど終わっていた。「邦銀は不良債権を隠すばかりで処理をせず、竹中氏が金融担当相になってようやく問題の大半を処理した」 というのは誤解であり、当局が一気に不良債権処理を進めようとすることは危険である、と書かれています。



 冒頭、「二つ目の誤認」 とありますが、「一つ目」 は、「「貸し渋り」 ではなく、「借り渋り」」 です。



 さて、これ ( 上記引用 ) を読むと、一気に不良債権の処理を行うことはよくない、じっくり時間をかけて処理を進めるべきだ、とも思われます。

 しかし、日本の話は、要するに、持久戦を続ける選択をしつつ、着々と不良債権処理を進めてきた、その終盤に、一気に処理を完了した、というものにすぎません。不良債権の処理には、短期決戦型と、持久戦型がある、と考えれば ( 「竹中ショック」 参照 ) 、日本は、持久戦型を選択しておきながら、途中で、短期決戦型に変えた、ということなのです。

 したがって、日本では、持久戦型の問題点 ( 時間がかかる ) と、短期決戦型の問題点 ( 混乱が生じる ) とが、両方、現れたと考えられます ( もちろん利点も両方現れており、相対的に小さな混乱で済んだ、持久戦を続けるよりも早く処理が終わった、と考えられます ) 。



 不良債権を処理するにあたっては、短期決戦型でいくのか、持久戦型でいくのか、社会的なコンセンサスがあれば、それに従えばよいのではないかと思います。

 日本社会では、あきらかに持久戦型がよい、と考える人が多いのではないかと思いますが、私は、短期決戦型が、「間違っている」 とは思いません。



 短期決戦型を取れば、持久戦型に比べ、大企業の倒産も多くなるでしょう。社会的な混乱も大きくなり、失業者も増えるでしょう。

 しかし、( その逆の ) 持久戦型をとるというのは、要は、バブルに浮かれ、不良債権を抱えた金融機関、一般事業会社を保護しつつ、問題を解決する、ということであり、

   無能な経営者、無能な企業を、温存しつつ、社会的な安定を図る
    ( 持久戦型の不良債権処理 )

ことにほかなりません。

 ところが、短期決戦型をとれば、バブルに浮かれ、不良債権を抱えた企業の資産を、バブルに浮かれず、堅実な経営をしてきた企業が、安く買い叩けるのですから、

   無能な経営者・企業は退場し、有能な経営者・企業が台頭する
    ( 短期決戦型の不良債権処理 )

ことになります。



 「無能な経営者・企業は退場し、有能な経営者・企業が台頭する」 過程は、たしかに 「社会的な混乱」 には違いないのですが、その 「社会的な混乱」 の後に、「好ましい社会、明るい未来」 が待っているのではないかと思います。

 したがって、短期決戦型と、持久戦型、どちらを選択してもかまわないのではないか、と思います。本質的には、現状 ( 従来の社会 ) の維持を望むのか、ドラスティックな変革 ( プレイヤーの交代 ) を許容するのか、という差であり、どちらにも一長一短があります。

 社会的なコンセンサスの問題、人々はどちらを望むのか、の問題ではないかと思います。
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