言語空間+備忘録

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「市場の失敗」と、その対策

2010-03-02 | 日記
池尾和人|池田信夫 『なぜ世界は不況に陥ったのか』 ( p.186 )

池尾 繰り返すと、価格の硬直性というのは原因ではなくて結果だと考えています。だから問題を引き起こす原因は情報の非対称性だったり、何らかの外部性だったり、そういう広い意味で市場の失敗を引き起こす原因になります。
 ミクロ経済学では、すでに述べたように一九七〇年以降は市場の失敗の議論が中心なわけです。どういうときに市場が失敗するか、市場の失敗をもたらす原因はいくつか特定されています。そういう市場の失敗を引き起こす原因が、価格の硬直性をもたらす原因にもなって、それがひいては失業をもたらす原因にもなるという理解にいまはなっています。したがって、失業をなくすためには市場の失敗を引き起こす要因を除去する、ないしはそれの効果を何らかの形で中立化するようなことをしてやる必要があるということです。
 要するに、不況というのは、ある種の市場の失敗だととらえるわけです。この不況をもたらしている市場の失敗の原因は何かということを特定化してとらえることが必要で、その原因を特定化できれば、その原因を除去するためにどういう政策的な対応があり得るかという話に進むことができるようになります。

池田 そこは今後、どうするかを考えるときに大きな分かれ目で、メカニズムを直さないで総需要を追加するというのは、財政であれ金融であれ対症療法なんですよね。

池尾 市場の失敗として価格の硬直性が起きて失業が生じているとき、原因を何もいじらないで、価格の硬直性を所与として、最後のところで需要を増やすようなことをしても対症療法にすぎません。価格の硬直性のさらに背後にある、それをもたらす市場の失敗の要因を特定化して、改善するという政策をとらない限り、問題は解決しない。結果としての価格の硬直性を所与にして、その先で需要を付けるという政策をやっても、それは一時しのぎにすぎないというのが現代的な理解ですよね。

池田 でもそれが霞が関とか自民党には理解されていなくて、また定額給付金とかいって七〇年前みたいな政策が出てくる。アメリカなんかは専門家の中ではそういうことが分かった上で、今回は異常事態だから異常な対応を取らないといけないという条件付きで言っているのに、日本は不況のときには政府が出てくるのが当たり前みたいな理解でしょう。少なくとも政策決定をやる人々は、もう少しきちっと理解してもらわないと困ります。


 失業が起こるのは、市場メカニズムがうまく機能せず、「失場の失敗」が生じているからである。したがって失業対策としては、「市場の失敗の要因を特定化して、改善するという政策をとらない限り、問題は解決しない」。価格の硬直性を所与として、需要を増やすようなことをしても、対症療法にすぎない、と書かれています。



 これは要するに、給与を下げやすくしろ、ということになるかと思います。

 たしかに、日本では、給与水準が(外国に比べて)高いとは思います。しかし、すでに今、「暮らしていけるギリギリ」に近いところまで、給与水準が下がっている労働者も存在していると思います。

 とすれば、給与を下げやすくしろ、といった主張には、現実性がないと思います。



 そこで、現実性、という観点のもと、著者らの主張について考えれば、二通りの対策があり得ると思います。



 一つは、給与の「下げしろ」のある高額給与所得者の給与を下げる、という方法です。

 高給を得ている者が、それにふさわしい実績を上げているといえるのか、それが問題です。本当に、給与水準に見合った実績を上げているなら、企業の業績は、それほど悪化していないはずである、といえるでしょう。したがって、高給を得ている者は、それにふさわしい実績を上げていないのではないか、と考えることには、一定の合理性があります。高額の給与には、それに対応した「責任」が課されているのであり、給与に対応した「責任」を果たしていないのであれば、給与水準を下げるべきである、と考えられます。



 二つ目は、雇用の流動化です。

 雇用の流動化に対しては、反対意見もあります。その理由はおそらく、雇用が流動化すれば、労働条件が悪化する、という懸念が存在しているからでしょう。しかし、「すでに今、暮らしていけるギリギリに近いところまで、給与水準が下がっている労働者」にとっては、雇用が流動化したところで、これ以上、労働条件が悪化するおそれはありません。

 問題は、それなりの給与を得ている労働者にとって、労働条件が悪化するのではないか、という懸念ですが、彼らがいま、その「実績」に見合った給与を得ているのであれば、雇用が流動化したところで、労働条件が悪化するおそれはありません。雇用の流動化を懸念するとすれば、彼らが、みずからの「実績」以上の給与を得ている、と自覚している証でしょう。

 とすれば、雇用の流動化に対する反対意見は、考慮に値しない、と考えられます。雇用の流動化は、進めるべきではないかと思います。



 しかし、「モノが売れない、モノ余り」の状況下で、「市場の失敗」が本当に原因なのか、という疑問があります。根本的な問題は、需要が不足していることではないか、とも考えられます。需要不足が根本的な問題であれば、政府による需要の追加こそが、有効な対策である、ということになるでしょう。

 したがって、政府の対策にも、一定の合理性はあると考えられます。根本的な原因が何なのか、という根本的な問題で、すでに、著者らの見解は、政府の見解と、異なっているとも考えられます。
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