言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

中国に公私混同はない

2009-12-05 | 日記
田代秀敏 『中国に人民元はない』 ( p.10 )

 「公」 の代表は国家である。だから、少しでも権限があれば、国有資産を流失させ、私物化する。中国共産党の機関紙 『人民日報』 によると、二〇〇四年の一月から二月にかけて、中央銀行にあたる中国人民銀行が、農村での建設投資に八一〇億元を拠出したと報じるが、中国国家統計局が発表したデータによれば、同じ時期に農村で実際に建設された公的施設は一〇億元だった。差額の八〇〇億元は、関係した党幹部、党官僚、国家官僚、国家公務員、地方ボスたちの懐に 「流出」 してしまったのである。
 国家と並ぶ 「公」 の代表は会社である。中国では会社のことを 「公司 ( コンス )」 と呼ぶ。会社は、働きに応じた報酬を支払わないで、労働価値を搾取するから、「公司」 なのである。そう考えれば、「公司」 から奪われた自分の取り分を取り戻すために、会社資産を流失させ私物化するのは、道理にかなっているのだろう。

(中略)

 公私混同ではなく公私敵対に基づく私物化が、日常的であることを示すのは、「能力」 という言葉の意味の違いである。
 中国で 「能力」 とは、自分が勤務先の資産をどれだけ私物化できるのかを意味する。たとえば、調査部の部長が調査部の備品を自宅に持ち帰るのは、自分の 「能力」 の範囲である。しかし、調査部の部長が経理部の部品を持ち帰るのは、その 「能力」 を超えた違反行為である。組織のトップになれば、組織のものは全て自己の 「能力」 の範囲である。中国共産党の最高幹部の 「能力」 がどれほどのものかは、日本人の想像を超える。


 中国では、公私混同はあり得ない、と説いたうえで、中国人の感覚がもたらす現象が、解説されています。



 著者は、「公私混同」 とは、公私が区別されている社会に成り立つのであり、区別されていない社会では、原理的に 「公私混同」 はあり得ない、と説いています。

   中国でみられるのは、「公」 に奪われた自己の 「取り分を取り戻す」 行為

であり、それは 「公私混同」 ではない。したがって、日本人が中国人の 「公私混同」 だと思っている行為は、中国人にしてみれば、倫理的に 「正しい」 行為である、となります。



 ここから、中国人にとっての 「能力」 とは、「仕事をこなす能力」 の意味ではなく、「取り分を取り戻す能力」 の意味になっている、と考えられます。

 同じ漢字を使っていながら、意味が異なるので、誤解が生じやすいのだと思います。



 さて、上記引用には、

 「『人民日報』 によると、二〇〇四年の一月から二月にかけて、中央銀行にあたる中国人民銀行が、農村での建設投資に八一〇億元を拠出したと報じるが、中国国家統計局が発表したデータによれば、同じ時期に農村で実際に建設された公的施設は一〇億元だった。」

とあります。

 中国の報道のみに頼っていると、「八一〇億元」 と報じられれば、建設投資に 「八一〇億元」 が使われたと考えてしまいがちですが、実際には、建設投資に 「一〇億元」 が使われたにすぎない。とすれば、ここにも、誤解が生じる余地があります。「八一〇億元」 と 「一〇億元」 では、金額が大きく異なるので、注意が必要かと思います。

 なお、いうまでもないことですが、これは、中国人の 「公私混同」 ではなく、倫理的に 「正しい」 行為、すなわち、「公に奪われた自己の取り分を取り戻す」 行為によって生じた現象である、と考えなければなりません。



 上記のように、中国については、誤解が生じやすい面がある、と考えられます。そこで、今度は 『中国に人民元はない』 を引用しつつ、中国について考えます。
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 「友愛」 とはなにか | トップ | 弁護士自治を弱めてもよいか... »

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • このブログへのリンクがない記事からのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。