言語空間+備忘録

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バブルの評価

2009-09-17 | 日記
紺谷典子 『平成経済20年史』 ( p.40 )

 株価と地価のバブルは、それが継続している間は、大きな問題は生じない。価格の上昇が実体経済を改善し、それがまた価格を上げるという好循環を生じ得る。
 バブルが問題なのは、それがやがて破裂し、すぐには回復できない大きな痛手を経済に与えるからである。株価や地価の下落は、消費や投資を冷え込ませ、実体を悪化させるだけでなく、将来不安を生む。不安が下落を呼び、それがさらに不安を高める悪循環に変わるのだ。
 悪循環を生じさせないためには、可能な限り迅速な手当てが必要だ。時間が経てば経つほど、加速度的に負の連鎖が広がるからである。早ければ早いほど、傷は小さく、後始末のコストも低くて済む。
 バブル破裂後、日本でしばしば用いられたのが、「山高ければ谷深し」という相場の表現だ。日本経済が大きな傷を受けたのは、バブルが異常に大きかったので、落ち込みも深くなった、という意味である。
 しかし、そうではない。異常だったのはむしろ谷の方なのだ。谷があまりにも深く抉られた(えぐられた)ので、それだけ山が高く見えただけなのである。
 バブル破裂後の深刻な経済悪化を、「バブルの報い」「大きすぎたバブルの当然の帰結」とする見方は、かなり一般的だ。しかし、大きな痛手は、そのままバブルの大きさの証明にはならない。政策次第で、谷の深さ、破裂の傷はいかようにも変わるからである。
 日本のバブル破裂の傷が、かくも深く大きくなったのは、ひとえに政策の失敗である。バブル破裂が明白になってからも、「正常化」だとして放置し、対策をとらなかっただけでなく、下落をさらに加速させる誤った政策をとったからである。しかも、誤りはいくども繰り返された。


 バブル破裂後の経済悪化について、それは当然である、といった見方が一般的だが、それはちがう。経済の悪化は、政策に問題があったからだ、と書かれています。



 バブル破裂後の経済悪化について、著者は、「バブルが異常だったのであり、経済悪化は正常化である」 という見かたは正しくない、と主張されています。著者によれば、「異常なのは経済悪化のほうであり、バブル経済は正常だった」 ということになります。

 「バブルが正常で、バブル後が異常」 なのか、あるいは、「バブルが異常で、バブル後が正常」 なのか。これは、考えかた次第の面があり、どちらともいえない、とも思われるのですが、

 「ルーブル合意」 のところでみた、日本の 「超低金利」 を考えるならば、バブルが異常だった、という見かたは、決して否定しえないのではないかと思います。私は、バブルが異常だった、と考えるべきではないかと思います。



 もっとも、バブル経済が異常だった、と考えることは、ただちに、バブル後が 「正常」 だと捉えることには結びつきません。「バブルは異常だったが、バブル後も異常だった」 という可能性があるからです。

 したがって、バブル後の政策に問題がある、という著者の見かたを否定はしませんが、すくなくとも、「バブル後の政策が問題なのであり、バブルは正常だった」 という見かたは、適切だとはいえない、と思います。
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