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アジア共通通貨は必要ない

2011-11-22 | 日記
水野和夫・萱野稔人 『超マクロ展望 世界経済の真実』 ( p.207 )

萱野 最近はリフレ派だけでなく、円安を求める声が強まっていますが、為替政策についてはどうお考えでしょうか。

水野 私は円高のほうがまだ望ましいと考えています。ドルに対して円高になれば、資源が高騰しても円高である程度相殺できるからです。資源はドル建てですので、円高は交易条件を改善させることになります。もちろん、ドル安・円高で輸出金額が減っては元も子もありません。輸出先をアジアなど新興国にシフトしていく必要があります。過剰債務に苦しむアメリカの家計はこれまでのように気前よくモノを買ってくれなくなると思います。

萱野 ただ、今後、経済成長が見込めない日本はできるだけ外需を取り込んでいかなくてはならないことを考えると、輸出産業が業績を伸ばしやすい円安にもメリットがあると考えられそうなのですが。

水野 そうですね。これについては、輸出のメリットを受ける産業の経済規模と、資源を輸入する素材産業の経済規模を計算すると、じつは後者のほうが経済規模が大きいんですよ。
 さらに長期的には、円、ユーロ、ポンドや元などに対して貿易量で加量平均してドルの価値(実効レートベース)をみると二〇〇二年二月にピークをつけて、それ以降、下落基調がつづいています。九・一一事件以降、ドルは機軸通貨(引用者註:原文ママ)としてのプレミアムが徐々に剥げ落ちてきているのだと思います。そうであるなら、円高がすすんでいるとしても、それはドル安の裏返しとしての円高やユーロ高ですので、日本側から円高を阻止することはなかなか困難です。マルクがユーロ創設でドル圏から離脱したように、円もアジア共通通貨創設を考える必要があると思います。中期的にはドルが基軸通貨の役割を果たしていくでしょうから、日本としては、高騰する資源(ドル建て)を安く購入するためにドル安・円高を受け入れて、輸出先をアジアに一層シフトしていくことが必要です。そうすれば、資源を安く輸入して強い通貨であるアジアに輸出することで、悪化しつづけている交易条件を改善することができるのです。

萱野 なるほど。トータルな経済規模で考えると、円高のほうにメリットがあるわけですね。円高のほうが高騰する資源を安く購入できる。これは外国の企業などに日本から資本投資する場合にもあてはまりますね。逆にいうなら、円安になると日本の企業や資産が外国の企業やファンドから買い叩かれやすくなってしまう。


 アジア共通通貨を創設し、日本はドル圏から離脱すべきである。そうすれば、「資源を安く輸入して強い通貨であるアジアに輸出することで、悪化しつづけている交易条件を改善することができる」、と書かれています。



 この考えかたには一理ありますが、

 著者の発想を前提とするかぎり、アジア共通通貨制度は必要ないと思います。

 著者は「輸出先をアジアに一層シフトしていくことが必要です」と述べています。つまり、アジア経済が順調に成長し続けると著者は考えているわけです。

 これを前提として考えれば、アジア諸国の通貨はだんだん強くなるはずです。日本円「のみ」が強くなるのではありません。

 つまり、長期的にみれば、何もしなくても、つまりアジア共通通貨を創設しなくても、「資源を安く輸入して強い通貨であるアジアに輸出すること」になります。

 したがって、わざわざアジア共通通貨を創設する必要はない、と結論されます。



 アジア共通通貨を創設すれば、日本は金融政策決定権を事実上、放棄することになります。このような不利益を上回る利点は、著者が述べている内容「のみ」を前提とするかぎりは、みあたりません。

 また、アジア共通通貨を創設した場合、政治面でも一定の協調が必要になってきます。

 民主主義国の集団、しかも先進国の集団であるヨーロッパと、このような条件にはないアジアとでは、条件が決定的に異なっています。

 したがって、これらの難点をも考慮すれば、アジア共通通貨は創設する必要がないどころか、創設しないほうがまし、という結論になると思います。



 ドルの減価に対する対策としては、著者が主張しているアジア共通通貨方式ではなく、

 フランスや中国・ロシアが主張している方式、すなわち「IMF(国際通貨基金)のSDR(特別引き出し権)を活用した、複数の有力通貨を平均したものを今後の国際基軸通貨として使う」方式のほうが、はるかによいと思いますし、実現可能性もあると思います。

 なお、一応断っておきますが、私は仏露中などが主張している方式がよい(=そうすべきだ)、と言っているのではありません。著者が主張している方法に比べれば、はるかによいと言っているだけです。



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