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資本主義における定員15%の制約!?

2011-11-06 | 日記
水野和夫・萱野稔人 『超マクロ展望 世界経済の真実』 ( p.104 )

水野 国民国家を単位とした世界資本主義のシステムは、今後、中世から近代への転換に匹敵するような大きな構造転換をむかえるかもしれない。なぜ私がそう考えるのかというと、やはりそれも一九七四年という転換点にかかわっています。というのも、その転換点は「ヨーロッパのグローバル化」から「全地球のグローバル化」への転換として位置づけられるからです。
 図7は高所得国の人口シェアを示したものです。ヨーロッパのためのグローバル化は一六世紀にはじまりましたが、それが進展した一八七〇年から二〇〇一年までに着目してみると地球の全人口のうちの約一五%だけが豊かな生活を営むことができたのがわかります。ヨーロッパの価値観を受け入れた国ということで、このなかにはアメリカや日本も入っています。一三〇年間こういう状況が続いてきたことを考えると、どうも一五%が資本主義のメリットを受ける人々の定員である可能性が高い。つまりこの一三〇年間は、先進国の一五%の人びとが、残りの八五%から資源を安く輸入して、その利益を享受してきたということです。
 でも、一五%というのが本当に定員ならば、これから新たにBRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)など新興国の人びとが豊かになりだすと、すでに豊かになっている先進国一〇億人のなかの誰かがはじき飛ばされることになりますよね。しかし先進国の人びとが「はい、どうぞ」と新興国の人びとに簡単に席を譲ることも現状では考えにくい。とすると、一五%の定員が二五%だとかそれ以上の定員に増えるような事態も起こりえると思います。その場合、エネルギーが足りなくなって、資源価格が急騰し、最貧国がいま以上に大きな打撃を受けることになるんじゃないでしょうか。

萱野 つまり一九七四年というのは、先進国が金融経済化していった転換点であるというだけでなく、それ以外の周辺国が発言力を増し、新興しはじめたという点で、世界資本主義の構造そのものがこれまでとはまったく変わってきた転換点でもあるということですね。だから、これまでのようにヘゲモニーがたんに別の国へと移転していくだけだ、とはちょっと考えられないのではないかと。

水野 そうです。ちなみに一九七四年というのは、イギリスで利子率がほぼピークとなった年です。これはひじょうに象徴的です。つまり、一五%の先進国が世界の周辺部を従属させながら搾取することで高い利潤率を維持するという構造は、この年を境に崩壊していくということです。

(中略)

 現在、先進国が一〇億人でBRICsなどの新興国の人口は少なくとも四〇億人ぐらいです。あわせて五〇億人になります。対してアフリカなど、「辺境」と位置づけられるのは一七億人程度でしょう。すでに豊かになった人とこれから豊かになれると思っている新興国の人を合わせて五〇億人に対して、その外側(「辺境」)にいる人は一七億人となり、豊かな国と将来豊かになれると期待している国は七五%、貧しい国は二五%となります。これまでの豊かな国が一五%、貧しい国が八五%という比率が、将来まったく逆になるという方向にむかっているのですが、七五%が近代化すれば、移動にかかわるコストは安いという近代の原則がなりたたなくなります。
 ですのでこれからは、二五%の辺境をめぐって、従来の先進国に新興国があわさって資源の争奪戦が激化していくでしょう。

萱野 かつてはもっと「辺境」がたくさんあったわけですよね。

水野 ええ。転換点となる一九七四年で、当時の先進国七~八億人に対して、先産圏を除いた「辺境」が一九~二〇億人。つまり、言い方はあまりよくないけれど、外側に二・七倍ぐらいの余裕があったのです。
 これは大きいなと思うんですよね。


 資本主義には定員15%の制約があるのではないか。これまで、先進国の人口は地球の全人口のうち、15%である期間が長い間続いてきた。先進国は、資源を安く輸入することで経済発展を続けてきたが、今後は資源価格が急騰するのではないか、と書かれています。



 これまで、先進国の人口は地球の全人口のうち、15%である期間が長い間続いてきたという指摘は重要だと思いますが、だからといって、資本主義には定員15%の制約があるとはかぎらないと思います。

 資本主義には定員があるという考えかたの根底には、先進国は資源(など)を「搾取」することで豊かになった、という発想があります。しかし、著者らはなぜ「搾取」だと考えるのでしょうか?

 資源(商品)の価値は、場所によって違うのが当然である以上、「先進国にとっては」価値が高い資源が、「資源国にとっては」それほど価値はない、という状況もあって当然ではないかと思います。このように考えれば、先進国と資源国との間にあったのは「正当な取引」であり、「搾取」などではなかった、ということになります。

 私はなにも、「搾取」がなかった、と言っているわけではありません。私はたんに、「搾取」だと(著者らが根拠を示さずに)決めつけるのは「おかしい」と言っているにすぎません。



 利益を得るには誰かから「奪う」、つまり「搾取」しなければならない、と著者らが考えているのであれば、それは間違っています。このことは、「比較優位の原理」を考えれば「あきらか」です。

 著者らが比較優位の原理を知らないとは考え難いので、著者らはおそらく、先進国が資源国に「資源を安く売る」ことを「強要」してきたと考えているのだと思います。しかし、そのような「強要」がこれまで存在しなかったかどうかはともかく、今後、そのような「強要」がなくなったとしても、上記「比較優位の原理」によって利益が得られるのですから、利益を得るには誰かから「搾取」しなければならない、ということにはなりません。

 とすれば、定員15%の制約など、存在しないと考えるのが適切だと思います。



 次に、定員15%の制約などないとはいっても、資源価格は急騰するのではないか、とすれば「資源価格の上昇がもたらす交易条件の悪化」によって、先進国の経済発展は止まるのではないか、という問題について考えます。

 たしかに、(需要の増加によって)資源価格は高騰するかもしれません。おそらく高騰するでしょう。

 しかし、「天然資源は成長の限界となるか」という問題について、経済学者は「資源価格の(枯渇や)高騰は経済成長の限界にはならない」と考えており、私もこの考えかたは「正しい」と思います。

 したがって、資源価格が高騰したところで、先進国の経済発展は止まらないと考えられます。



 つまり資本主義には定員15%の制約などあり得ず、(速度は落ちるかもしれないが)先進国の経済成長は今後も続く、と予想されます。
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