言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

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影響力の源泉

2009-06-08 | 日記
カレル・ヴァン・ウォルフレン 『世界が日本を認める日』 (p.63)


 アメリカは、今では縮小しつつある大国である。

(中略)

 かつてはアメリカに対する敬意が広く存在していた。その一部は――もしかすると大部分は――不承不承の敬意ではあったが、それでも敬意は敬意だった。
 世界に広く見られたこの敬意は、今ではほとんど消え失せている。影響力というものは、つまるところ、それを受ける側がそれを及ぼす側に対してどの程度の敬意を抱いているかに大きく左右される。
 その一方で、恐怖がもたらす超大国の力というものもある。イラク侵攻時の作戦が「衝撃と恐怖」と命名されたことからわかるように、ブッシュ政権とその軍司令官たちは、力の源泉としての恐怖の有効性を強く信じている。
 しかし、アメリカの潜在的な敵は、今日、イラク攻撃の前よりもアメリカを恐れるようになっているだろうか。
 アメリカの右派の論者の主張に反して、イランやシリアの政権は、アメリカの軍事力の標的になることを以前ほど恐れなくなっている。イラクの現在の泥沼化を見れば、それも当然の反応だろう。


 他国に対する影響力には、敬意によるものと、恐怖によるものとがあり、アメリカはその両者ともに、失いつつある、と書かれています。

 日本について考えてみると、日本は、軍事的に他国に対して恐怖を与えている、とは言い難いうえに (それは悪いことではないのですが) 、敬意を抱かれている、とも言い難いのではないかと思います。日本に、国際的な政治力がないのは、このあたりに原因があるのではないか、と思います。


 さて、影響力には、敬意によるものと、恐怖によるものがある、というのは、国と国とのあいだに限らず、人と人とのあいだにも、成り立つのではないか、と思います。

 正論であっても、「お前には言われたくない」 ということもありますし、一見、正論に見える言葉の裏に、「別の意図」 が隠されていることもあったりします。敬意をもたれていなければ、正論も通らなくなってしまいます。また、たとえば、訴えるぞ、というのは、恐怖によって影響力を行使しようとする例で、この種の影響力の行使も、社会でよくみられます。

 どちらの影響力が望ましいか、といえば、これはもう間違いなく、敬意によるものでしょう。おそらく疑問の余地はないと思います。


 私は、ここで、私なりの言論を展開することを目指していますが、「たんなる主張 (言いっ放し) 」 では意味がありません。主張するからには、やはり、社会をよりよいものに変える、なんらかの効果・影響を及ぼしたいと思っています。そのためにも、人格の研鑽に努めなければならない…。道は遠いですが、一歩一歩、進んでゆきたいと思っています。
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