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東京裁判の異常性

2011-01-10 | 日記
櫻井よしこ 『異形の大国 中国』 ( p.41 )

 靖国神社問題を論ずるには「A級戦犯」を断罪した東京裁判についてきちんと知る必要がある。そのための重要な資料のひとつが瀧川政次郎氏の『新版東京裁判をさばく』上下巻(創拓社)である。

(中略)

 瀧川氏は「新版への序」で書いている。「東京裁判の真相は、記録を読んだだけでは摑めない」と。なぜなら、日本を裁いた連合国側の論理の違法性や矛盾を突いた法廷でのやりとりの多くが、当時報道もされず、東京裁判の記録からも削除されているからだという。
 当時の日本には、GHQによる厳しい言論統制があり、法廷で明らかにされた連合国側の破綻した主張などは全く報道されなかったのだ。国民には、東京裁判は日本を戦争の泥沼にひき込んだ軍人たちとその暴走を許した一部政治家たちの「悪事」を裁くまっ当な裁判だとの見方が、一方的に植えつけられたのだ。
 瀧川氏は、日本を弾劾したオーストラリアのウェッブ裁判長は「最初から判決を懐にして法廷に臨んでい」た、と書いた。「私はその場にいて、その光景を目撃している」とも書かれている。

(中略)

 オーストラリアの地方裁判所の判事だったウェッブは、ニューギニアでの日本兵による「捕虜虐待」を調査した人物で、東京裁判に至る過程では、検察官の役割も果たしていた。そのような人物が、東京裁判の裁判長となったのだ。検察官が裁判長になったわけだ。司法において、こんな出鱈目は恐らく前例がないのではないか。
 この異常事態について、日本の清瀬一郎弁護人が質した。検察官は裁判官を兼ねることは出来ない、何故にウェッブが裁判長を務めるのかと。するとウェッブは「自分はマッカーサー元帥によって任命された裁判官であるから、罷める(やめる)訳にはいかぬ」と理由にもならない弁明を展開し、裁判長の役割を続けた。
 検察官と裁判長の役割を同一人物が果たすという異常事態は、まともな状況下のまともな裁判ではあり得ない。そのあり得ない異常がそのまま横行したのが東京裁判だった。
 ウェッブは2人の米国人弁護士を東京裁判から除籍した。広田弘毅担当のスミス弁護人と大島浩担当のカニンガム弁護人だ。スミス弁護人は、是が非でも日本を断罪するという姿勢から打ち出されるウェッブ裁判長の偏った訴訟指揮に対して、「不当なる干渉だ」と述べた。その指摘に怒ったウェッブはスミス弁護人を法廷から追放した。また、カニンガム弁護人は東京裁判が進行中の時期に、シアトルでの全米弁護士大会に出席して「東京裁判は、(連合国による)報復と宣伝に過ぎぬ」と発言したことを以て、これまたウェッブから除籍された。

(中略)

 また、世間では、日本は無条件降伏をしたと言われる。私も学校でそう教わった。だが、日本はポツダム宣言を受諾して降伏した。日本が受諾した「無条件」は、前線の軍隊が「無条件に武装解除する」という点における「無条件」である。「無条件」は武装解除に限られていたのであり、繰り返すが、日本国の降伏についてつけられた条件ではない。日本の降伏は、ポツダム宣言に書かれている条件下での降伏、つまり有条件降伏である。
 この点を清瀬弁護人は突いた。日本がポツダム宣言を受諾して降伏したのであるから、その降伏を受け容れた連合国側もポツダム宣言の条項を遵守せよと。同宣言には、国際法にない「平和に対する罪」などを以て、「A級戦犯」を処罰することは含まれていない。したがって連合国側に「A級戦犯」を処罰する権限がないのは明白であり、連合国に委任されて極東軍の最高司令官となったマッカーサーにもそのような権限はないのだ。つまり、清瀬弁護人はマッカーサーが制定した極東国際軍事裁判所の裁判(東京裁判)そのものが国際法違反だと述べたのだ。事実に基づいた主張であり、論理も正しい。だが、この主張は却下された。却下するには、裁判所はその理由を述べなければならない。にもかかわらず、ウェッブは「その理由は後日述べるであろう」として、その時点でそれ以上の説明はしなかった。そして今日に至るまで、理由は述べられていない。無法違法の裁判を合法と言いくるめる論理など国際社会にはないのであり、ウェッブがどんなに知恵を絞っても理由の説明は出来ないのだ。
 こうした一連の事実は、当時はまったく報道されなかった。日本が独立を回復した昭和27年以降もメディアは長い間、報道しなかった。GHQによる厳しい検閲もあり、メディアは日本一国のみを悪者とする考えに染まり、東京裁判での日本側弁護人の証言は「屁理屈」のように報じられたと瀧川氏は書いている。メディアによって提供される情報がそうであれば、国民がそのような考え方に染め上げられたのは自然な成り行きだった。


 東京裁判の実態について、詳しく説明されています。



 著者が引用する瀧川政次郎氏の『新版東京裁判をさばく』によれば、
日本を裁いた連合国側の論理の違法性や矛盾を突いた法廷でのやりとりの多くが、当時報道もされず、東京裁判の記録からも削除されているために、「東京裁判の真相は、記録を読んだだけでは摑めない」
ということになります。また、
瀧川氏は、日本を弾劾したオーストラリアのウェッブ裁判長は「最初から判決を懐にして法廷に臨んでい」た、と書いた。「私はその場にいて、その光景を目撃している」とも書かれている。
とも書かれており、後世の者、すなわち私達が、
その実態を詳しく知るには、日本側の主張を記した書物を読まなければならない
ということになります。



 著者(櫻井よしこ)はその作業を、私達の代わりに行ってくれています。著者の要約を私なりに抜粋したものが上記引用ですが、それによれば、東京裁判の問題点は
  1. 検察官の役割を果たした者が、裁判官(裁判長)の役割も兼ねている
  2. この点について、まっとうな指摘をした弁護人を、裁判長のウェッブは次々に除籍した
  3. 日本はポツダム宣言の条件に従って降伏した、すなわち日本は有条件降伏をしたにもかかわらず、ポツダム宣言の条項・国際法にない「平和に対する罪」などをもって「A級戦犯」を処罰する権限は連合国にはない
  4. これら、日本側の主張は当時まったく報道されなかった
ということになります。



 以下では、これらの点について検討します。



 まず、「検察官は裁判官を兼ねることは出来ない」「検察官と裁判長の役割を同一人物が果たすという異常事態は、まともな状況下のまともな裁判ではあり得ない」という指摘についてですが、これはその通りだと思います。

 しかし、この種の状況は、私自身も経験したことがあります。

 ときどきブログで書いているとおり、私は一弁(第一東京弁護士会)の湯山孝弘弁護士から、「絶対、絶対、絶対、絶対、絶対に許されないことをした」と非難されたことがあります。湯山弁護士は怒鳴ったりもしていたので、非難されたというよりは、罵倒されたといったほうが正確でしょう。

 そこで問題は、湯山弁護士は何が「絶対、絶対、絶対、絶対、絶対に許されないこと」だと言っていたのか、です。この点について、私が湯山弁護士に聞いてみても、湯山弁護士は、「具体的に、私のどのような行為が、どのような意味で、絶対、絶対、絶対、絶対、絶対に許されないことなのか」について、まったく答えてくださらないわけです。

 これはおかしな話です。「具体的に、私の~~~の行為が、~~~の意味において、許されない」と言っていただければ、「その通りですね。たしかに私に非がありました。おわびします」ということにもなれば、逆に、「えっ? それは湯山弁護士の勘違いですよ。私は~~~の行為などしていませんよ」ということになったり、あるいは、「えっ? たしかに私は~~~の行為をしましたが、それは違法でもなんでもないですよ。湯山さん、あなたは弁護士のくせに、そんなことも知らないのですか?」ということにもなるわけです。

 弁護士の専門であるはずの裁判においては、このような事態を避けるために、「起訴状には、いかなる行為について起訴するのか、その行為がいかなる犯罪にあたるのか」を明確に記載することが求められています。しかるに、湯山弁護士は、「いかなる行為が」「いかなる意味で」許されないのかを「まったく言わずに」私を非難罵倒し続けたわけです。したがって湯山孝弘弁護士の、弁護士としての能力、および人間性には、かなり問題があるのではないかと考えざるを得ないのですが、

 ここで、私なりに湯山弁護士の言いたかったことを「推測」すれば、湯山孝弘弁護士が代表者となっている法律事務所、すなわち湯山法律事務所の女性事務員、藤岡裕子さん(当時)と、私とのあいだの「奇妙な」トラブルのことを言っていたのではないか、とも思われます。

 かりにそうだとすると (かりにそうだとしても、なぜ私に非があるのか、私にはわかりませんが) 、湯山弁護士は、「私と、藤岡裕子さんとのあいだのトラブル」について裁判官の役割を果たしつつ、同時に、検察官の役割も果たしていたということになります。なぜなら、当時、湯山孝弘弁護士は、「いままで築き上げてきたものを失いたくないんだ!!」と怒鳴ったりもしていたからです。

 つまり、湯山孝弘弁護士は当事者(=検察官)の役割を果たしつつ、同時に、第三者(=裁判官)の役割も果たしていたわけで、湯山弁護士の態度・言動は、法律家として「絶対、絶対、絶対、絶対、絶対に許されないこと」だと言えるでしょう。「まともな弁護士であれば、裁判官と検察官の役割を同時に兼ねること、すなわち、当事者の立場と第三者の立場を同時に兼ねることはできないことを、当然、知っているはず」だからです。

 とすると、東京裁判にみられた状況、すなわち「同一人物が検察官の役割と裁判官の役割を果たすことはあってはならないことだが、そのような過ち(あやまち)は、法律の専門家であっても犯してしまう」ということがわかります。

 たしかに東京裁判には問題がありますが、人間が、しばしば犯しがちな過ち(あやまち)なのかもしれません。



 次に、上記問題点について、「まっとうな指摘をした弁護人を、裁判長のウェッブは次々に除籍した」という点ですが、これは筋書きが定められていた裁判(=まともではない裁判)を担当せざるを得なかったウェッブにしてみれば、「やむを得ない」措置、ということになるでしょう。

 裁判自体が「異常」だったのであり、「異常」な裁判においては「やむを得ない」措置だったと考えます。したがってこの問題は、裁判自体の異常性に「含まれている」と考えてよいと思います。



 次に、ポツダム宣言の条項・国際法にない「平和に対する罪」などをもって「A級戦犯」を処罰する権限は連合国にはないにもかかわらず、そのような裁判がなされた、という点についてですが、この批判ももっともだと思います。しかし、これも要は、「異常」な裁判だったということに尽きるでしょう。



 最後に、「日本側の主張は当時まったく報道されなかった」という点は、敗戦国として占領されていた以上、やむを得なかったと考えます。



 要は、「オーストラリアのウェッブ裁判長は『最初から判決を懐にして法廷に臨んでい』た」ということに尽きるわけです。最初から結論が決まっていたのであり、「裁判」は「形式だけ」だったわけです。

 「裁判」は、「正しい」かに見える外観を作り出すための「形式」にすぎず、「結論」すなわち「判決」そのものは、最初から決まっていた。したがって、「裁判」で出された「結論」「判決」であるからといって、「正しい」とはいえないことは、あきらかだと思います。



 そこで問題は、「正しい」とはいえない裁判結果を、どう考えるか、です。

 「裁判」で出された結論である以上は、「受け容れる」べきなのか。それとも、おかしな「裁判」だった以上、判決を「無視」すべきなのか。

 上記のとおり、「人間が、しばしば犯しがちな過ち(あやまち)」である以上は、東京裁判の不当性を厳しく批判すべきではない、とも考えられます。しかし、いいかげんな裁判によって「国家の運命、人間の運命」が影響されることには、問題があります。

 しかし逆に、裁判に「わずかな」問題点があれば、ただちに裁判を無効にしてよいのか、といえば、これもまた、問題だと考えられます。

 とすると、要は東京裁判が「どの程度」異常だったと考えるべきか、東京裁判の異常性を「どの程度」重視すべきか、という問題であることがわかります。これは「程度問題」であるだけに、私には、すぐに答えが出せません。



 そこで、この問題は後日、さらに考えることにしたいと思います。
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11 コメント

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裁判をしただけましではなかったか (井上信三)
2011-01-11 18:00:18
 先の戦争では勝ったのは連合国で負けたのは大日本帝国。

 第一次世界大戦以前では敗戦国は勝利国の言いなり放題。相手の要求はお説後もっともで従う以外になかったのが、時代が進むにつれて人間が開明的になってきて、戦争の勝利国であっても、敗戦国に対して不合理な要求を押し付ける事は非人道的であると言う考えが(特に欧米で)強くなってきたために、そういう論者の懐柔のために、正義を貫くための仕掛けに見える一応裁判と言う芝居を演じて見せたただけである。

 連合国には最初から正義とか人道とかいう考えは眼中になかったし、結果もそのとおりであったのは明らかなのだから、東京裁判が異常であった事は何も桜井よしこセンセーがいまさら事事しく騒ぎ立てなくとも、その裁判が異常であったのは自明な事。

 たとえば、江藤淳と言う評論屋が居て、GHQが検閲をしたなどと騒ぎ立てていたが、占領地において軍政を行う際に、それの妨げになるあらゆる事を阻止する事は当然であり、その一環として検閲を行った野は当たり前。それを、検閲をしたのはけしからんんなどといって、占領終結のかなり後になってから江藤が騒ぎ立てたのも、ゲスの勘繰りであると言われてもよいが、ひたすら原稿料稼ぎのためである事は明白。

 なぜなら、検閲を行っていたことは当時の日本人には日常茶飯事、郵便物が全て検閲されていたので、それ以外の新聞・書籍・雑誌にも検閲がされていたことを日本に居住していた人は全て知っていたからである。

 さしづめ桜井よしこも東京裁判をネタにしていっちょう一稼ぎしてやろうか、といった動機でこういった文章を書いたんでしょう。それ以外に考えられません。それとも、連合国が本当にあの戦争の責任を明らかにするために裁判をやったと心底考えているのでしょうか。そうなら本当の大ばか者です。

 もっとも、桜井よしこ大センセーはエイズウィルス汚染血液製剤問題で一書をものにして無実の人を弾劾し、それで多額の印税を得てお金持ちになったお方だそうですから、それに味を占めてこういった書物をお書きになったのでしょう。
Unknown (memo26)
2011-01-11 18:51:57
 こんにちは。

>  さしづめ桜井よしこも東京裁判をネタにしていっちょう一稼ぎしてやろうか、といった動機でこういった文章を書いたんでしょう。それ以外に考えられません。それとも、連合国が本当にあの戦争の責任を明らかにするために裁判をやったと心底考えているのでしょうか。そうなら本当の大ばか者です。

 櫻井よしこさんの動機は、日本では、「裁判」がなされた以上、「日本が悪かったことが明らかになった」と思っている人がいるので、そのような誤解を解きたい、ということだと思います。

 つまり、櫻井さんは、「連合国が本当にあの戦争の責任を明らかにするために裁判をやったと心底考えている」のではなく、そのように「心底考えている」人がいるので、そのような人の誤解を解きたい、ということだと思います。
それなら多言を要しない (井上信三)
2011-01-12 09:40:59

 つまり、櫻井さんは、「連合国が本当にあの戦争の責任を明らかにするために裁判をやったと心底考えている」のではなく、そのように「心底考えている」人がいるので、そのような人の誤解を解きたい、ということだと思います。

 そうであるならば、東京裁判は圧倒的な勝者が敗者の罪を糾弾するためのものであった事は当時の日本人には周知の事だったのですから、茶番劇であった、と一言言えばすむ事でしょう。何も桜井センセーのような無駄に多言を費やす必要はありません。

 
 「連合国が本当にあの戦争の責任を明らかにするために裁判をやったのではない」と東京裁判批判派が声高に主張したので、支持派が「心底考えている」という主張を強めて行ったのではないでしょうか。

 いったい、そのように心底考えている人の誤解を解く必要があるのでしょうか。東京裁判は所詮は勝者のためのものであって、一方的なものであるから、茶番劇に過ぎないものだ。と切って捨てればそれ以上議論は進まなかったでしょう。

 要するに、東京裁判がいかさまであったことを言えばよいのであって、いちいちああだこうだと言って論証する必要はないし、そうすれば東京裁判支持派に彼らが乗ずる隙を与える事になるだけでしょう。
私は櫻井さんではありませんが (memo26)
2011-01-12 16:50:59
 「東京裁判は圧倒的な勝者が敗者の罪を糾弾するためのものであった」「茶番劇であった」とはいっても、「本当に茶番劇だったのか」と疑問を持つ人がいないとも限らないので、「これこれこういうわけで、茶番劇だったことがわかる」と述べたほうが、より、説得力があると思います。

 つまり櫻井さんは、「これこれこういうわけで、茶番劇だったと断定してよい」と言っているのではないでしょうか。


 なお、井上さんの「裁判をしただけましではなかったか」という考えかたは、ひとつの考えかたとしてあり得ると思います。この考えかたについては、考えさせられるものがあるので、さらに考えてみます。
仮に日本人が裁いたとしても (四葉のクローバー)
2011-05-26 14:02:30
東京裁判は、
①外国人(連合国)によって裁かれた
②形式的にも、公平な裁判とは言いがたい
点で、日本側に不満が残るものです。

しかし、仮に日本人が裁いたとしても、
判決は、大差がなかったのではないか、と思います。

勿論、被告によっては、多少の違い(運不運)はあったかもしれませんが。

少なくとも、東条英機については、たとえ日本人が裁いたとしても、同じ判決(絞首刑)でなければ、絶対おかしいです。
Unknown (memo26)
2011-05-26 15:27:07
 東京裁判では南京大虐殺の有無も争点になったので、四葉のクローバーさんの意見は、

「南京大虐殺はなかった」
http://blog.goo.ne.jp/memo26/e/680a30a65dd0a52d5c0a3f965e6ab4f8

における北村教授の意見とは異なっていますね。

 もちろんあなたは、「大差がなかったのではないか」と書かれており、「完全に」異なっているわけではありませんが。。。
南京大虐殺 (四葉のクローバー)
2011-05-26 15:53:17
中国は主張するような“犠牲者30万人”が明らかに、白髪三千丈、式の誇張、でっち上げだと思います。

但し、人口が密集した市街区域で激しい戦闘が行われた場合、かなりの数(例えば、1000人規模で)の一般住民に被害が出たのではないでしょうか?

その観点で言えば、1945年3月の「東京大空襲」
は「東京大虐殺」と言って良いと思います。


当時の指導者も問題 (四葉のクローバー)
2011-05-26 16:11:02
これは、裁判とは直接関係ないかもしれませんが、

まともな思考回路を持った指導者であれば、3月の東京大空襲(私は敢えて、東京大虐殺と呼びたい)の時点で降伏していたはずです。

その意味で、それから敗戦までの5ヶ月間は、指導者がまともであれば、日本人が味合わなくても済んだはずの「地獄の5ヶ月間」だと
言えます。

この罪は非常に重いです。

それゆえ、私は「A級戦犯」が靖国に奉られることに否定的な意見を持っているのです。


Unknown (memo26)
2011-05-27 18:25:44
> その観点で言えば、1945年3月の「東京大空襲」は「東京大虐殺」と言って良いと思います。

 そういった主張をすれば、日本も中国と「同レベル」になってしまうでしょう。


> これは、裁判とは直接関係ないかもしれませんが、

 あなたが書かれているとおり、

> この罪は非常に重いです。

 裁判とは直接関係ないです。かりに降伏するのが遅すぎたとしても、それは「政治的責任」であって、「法律的責任」ではありません。


 「東京裁判の異常性」とは関係ないですね。
極論には反対します (四葉のクローバー)
2011-05-27 19:18:27
日本人の一部に「東京裁判の異常性」を理由に、東條首相を始めとする全被告まで「無罪だ」と主張する人がいますが、そのような主張には、私は反対します。

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