言語空間+備忘録

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仙谷由人は政治家としてふさわしくない

2010-12-15 | 日記
産経ニュース」の「邦人救出手順検討「一切承知していない」 仙谷氏が首相方針を否定」( 2010.12.13 12:43 )

 仙谷由人官房長官は13日午前の記者会見で、菅直人首相が朝鮮半島有事を想定し、自衛隊機の派遣を念頭に邦人救出の手順を策定する意向を示していることについて、「一切承知していない。まったく検討されていない」と述べた。

 菅首相は朝鮮半島が戦闘状態に入り、危険を伴う状況でも韓国などから自衛隊機などにより邦人輸送できるよう、自衛隊法改正を検討する姿勢を示しており、仙谷氏も「頭の体操としてはやっておかなければならない」と指摘した。


 菅直人首相が朝鮮半島有事を想定し、邦人救出のために自衛隊法改正を検討する姿勢を示しており、仙谷由人官房長官は「頭の体操としてはやっておかなければならない」と指摘した、と報じられています。



 「頭の体操として」という一言が、余計だと思いますね。

 これではまるで、日本人を救出するために「自衛隊法を改正するつもりはない」と言っているのと同じです。

 仙谷官房長官の意図がどこにあるのか、気になるところです。



NHKニュース」の「官房長官 自衛隊派遣難しい」( 12月13日 15時12分 )

仙谷官房長官は記者会見で、朝鮮半島有事に備えた邦人保護対策に関連して、菅総理大臣が、自衛隊機の受け入れを韓国側と協議していきたい考えを示したことについて、「相手があり、歴史的な経緯があることなので、簡単な話ではない」と述べ、難しいとの認識を示しました。

朝鮮半島有事に備えた邦人保護対策に関連して、菅総理大臣は、11日、東京都内で記者団に対し「北朝鮮による拉致被害者や一般の日本人の救出や帰国に自衛隊の輸送機を受け入れてもらえるのか考えなければいけない」と述べ、韓国側と協議していきたい考えを示しました。これについて仙谷官房長官は、記者会見で「韓国との関係で、日本の自衛隊が何らかのことができるのかどうか、まだ全く検討していないし、当然、韓国との間で協議はない」と述べました。そのうえで、仙谷長官は「朝鮮半島でここまで不安定な要素が出てくると、そこで生活している日本人に対し、民間や自衛隊を含め、何かできることがあるのかどうか、頭の体操として検討しなければならない。ただ、これは相手があり、歴史的な経緯があることなので、簡単な話ではない」と述べ、難しいとの認識を示しました。


 仙谷官房長官は「朝鮮半島でここまで不安定な要素が出てくると、そこで生活している日本人に対し、民間や自衛隊を含め、何かできることがあるのかどうか、頭の体操として検討しなければならない。ただ、これは相手があり、歴史的な経緯があることなので、簡単な話ではない」と述べ、難しいとの認識を示した、と報じられています。



 「頭の体操として」と述べた官房長官の意図は、「歴史的な経緯」をふまえた「韓国」「朝鮮半島」という「相手」への配慮、ということのようです。したがって、

 官房長官が言っているのは、

   「頭の体操として」は検討するが、
   「実際に」法改正したり、救出準備したりはしない、

ということだと思われます。こんな馬鹿な話があるでしょうか?



 「歴史的な経緯があることなので、簡単な話ではない」とはいえ、日本の法律である自衛隊法を改正 (=自衛隊による日本人救出を可能に) したり、救出プランを練って準備しておくことは問題ないと思います。

 実際に自衛隊が日本人救出のために出動するか否かはともかく、いざというとき、いつでも動けるように法改正したり準備したりしておくことは、当然ではないでしょうか? (高度な政治判断として日本人救出のために出動しないことはあり得るが、いつでも出動しうる態勢を整えておくことは当然である、という意味です)

 仙谷官房長官はおそらく、過去の経緯を考えれば、自衛隊法を改正したり、救出準備をしたりすれば、韓国・朝鮮半島との関係が悪化する。したがって日本は韓国・北朝鮮に対して「配慮」しなければならない、ということなのでしょう。



 しかし、北朝鮮は日本人を拉致したり、日本に向けてミサイル発射「実験」をしたりします。韓国は日本領である竹島を「事実上」占領しています。過去の経緯を踏まえれば、日本は「やられ放題であって当然」、ということなのでしょうか?

 そうではないはずです。

 そもそも、国民を守ることは国家として当然ではないでしょうか? 国民を守るための活動・法改正を拒否する、というのでは、日本の政治家として「どこかズレている」のではないでしょうか? 過去の経緯を踏まえれば、日本は日本人を救出する手立てを講じるべきではない、というのは、日本を国家として認めない、と言っているのと同じではないでしょうか?

 個人的な信念として、過去の戦争を否定し、過去の日本を否定するのは自由だとは思いますが、

 「現在の」日本を国家として認めないのであれば、日本の政治家としては、ふさわしくないのではないでしょうか? 思想家としてはあり得る態度かもしれませんが、政治家としては、このような態度は許されないのではないかと思います。
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