言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

「友愛」 とはなにか

2009-12-04 | 日記
森省歩 『鳩山由紀夫と鳩山家四代』 ( p.175 )

 現代における 「リベラリズム」 は、一般的に 「自己と他者の自由を尊重することで社会的公正を目指す思想体系」 だと考えられている。
 実は、この定義による 「思想体系」 は、鳩山一郎が唱えた 「友愛」 と多くの点で符号 ( 引用者註: 原文ママ ) している。
 一九四六 ( 昭和二十一 ) 年、一郎は日本自由党初代総裁としての組閣の大命を目前にして、連合国軍最高司令官司令部 ( GHQ ) によって公職追放指令を受けた。

(中略)

 前出の 『鳩山一郎回顧録』 には、その間とその後の事情が次のように記されている。
〈私が友愛思想の普及を考え始めたのは、前にのべたように、追放中、クーデンホフ・カレルギ氏の著書、トウタリタリアンステイト・アゲインスト・マン、を翻訳した時に遡る。彼はその著書のなかで、
「民主主義というものは、自分の自由と自分の人格の尊厳を尊重すると同時に、他人の自由と他人の人格をも尊重する思想が基礎にならなくては、成立しない。従来、世界の歴史上、平等のための革命と自由のための革命はあったけれども、友愛のための革命は存在したことはなかった。しかし民主政治完成のためには、どうしても、この友愛革命が必要である」
 と説いている。この考え方に、私は大変共鳴し、自由主義と民主主義に理解と経験の少いわが国では、特にこの友愛精神の普及を計ることが大切であると考え、昭和二十八年四月、友愛青年同志会を組織した〉

 最後に登場する 「友愛青年同志会」 を組織する前年、一九五二年の九月十二日に、一郎は政界復帰後初となる公式演説で、「友愛革命」 を次のように紹介した。
「友愛と智を両輪とした民主主義政治の確立のための改革を 『友愛革命』 という」
 そして、こう畳みかけた。
「フランスの旗印は、自由と平等と友愛の三つであった。それが三色旗になっている。戦後の日本は、自由と平等を学んだが、友愛を忘れた。みんなが自由を叫び、平等を叫ぶだけであったら、必ず闘争が起こる。本当の自由も成立しない。ストライキが頻発しているのは、三つのなかの一つが欠如しているためである。友愛という、自由と平等を結びつける紐帯なしに真の民主主義はあり得ない。三つがなければだめ。今の日本には一つ欠けている」

(中略)

 一九九六 ( 平成八 ) 年の民主党結成の際、由紀夫は小冊子 『わがリベラル 友愛革命』 を作成している。中曽根康弘から、「お天道様の陽に当たれば溶けてしまうソフトクリームのようなもの」 と揶揄された内容だが、その冒頭にはこう書かれていた。
〈リベラルは愛である。私はこう繰り返し述べてきた。ここでの愛は友愛である。友愛は祖父・鳩山一郎が専売特許のようにかつて用いた言葉である。自由主義市場経済と社会的公正・平等。つきつめて考えれば、近代の歴史は自由か平等かの選択の歴史といえる。
 自由が過ぎれば平等が失われ、平等が過ぎれば自由が失われる。この両立しがたい自由と平等を結ぶかけ橋が、友愛という精神的絆である。
 世界の多くの国々に比べ、はるかに経済的に恵まれた環境にあるにもかかわらず、口を開けば景気の話ばかりする日本人は、最も大切なものを失っている気がしてならない。多種多様な生命が自由に往来する時代に、相手との違いを認識し許容する友愛精神は共生の思想を導く。
 弱肉強食と悪平等の中間に位置する友愛社会の実現を目指して、そして精神的なゆとりが質の高い実のある 「美」 の世界をもたらすと信じつつ、政治家として青臭いとの批判をあえて覚悟のうえで一文を認めることにした〉

 由紀夫は、首相への一里塚となった二〇〇九年五月の民主党代表選挙で、みずからの変化と成長をこんな言葉で表現してみせた。
「その後、中曽根さんからは 『アイスキャンディーになった』 と言われました。『芯ができた』 ということです。一皮向けた ( 引用者註: 原文ママ ) 鳩山を見てください」


 鳩山首相の唱える 「友愛」 とはなにかが、鳩山一郎 ・ 由紀夫自身の言葉を引用しつつ、紹介されています。



 上記引用によれば、「友愛」 とは、「自由」 ・ 「平等」 とともに目指すべきものであり、これら三者が結びついて、真の民主主義が成立する、と説かれています。また、「相手との違いを認識し許容する友愛精神」 を、「口を開けば景気の話ばかりする日本人」 は失っている、と書かれています。したがって、

   「友愛」 とは、要は、「相手の立場に立って考えること」

ではないかと思います。「相手の立場に立って考える」 ことは、社会的・倫理的に善い ( よい ) ことだとされていますので、「友愛」 は、政治理念として好ましいのではないかと思います。



 しかし、中曽根元首相が 「ソフトクリームのようなもの」 ・ 「アイスキャンディー」 と評したとされているように、

   「友愛」 などと甘っちょろいことを言っていては、政治にならない

といった批判もあります。中曽根元首相と同じ趣旨だと思われますが、鳩山首相を 「ポッポ総理」 だとか、「お花畑」 だとか、揶揄 ( やゆ ) する意見もあります。



 これらの意見に共通しているのは、「政治は利益を獲得するための戦い、駆け引きである」 といった発想ではないかと思います。

 たしかに、政治には、「利益獲得」 の面もあり、「駆け引き」 の面もあります。しかし、政治には、「理念を掲げる」 面もまた、重要なのではないでしょうか。社会を、どの方向に引っ張っていこうとするのか、その方向を指し示す理念がなければ、まともな政治は行えないのではないかと思います。すなわち、

   理念がなければ、政治は政治たりえない

のであり、( ここで言及した ) 「友愛」 に対する批判は、批判になっていないと思います。



 私は、「友愛」 を支持します。
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 民主党は 「世襲」 を形式的... | トップ | 中国に公私混同はない »

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • このブログへのリンクがない記事からのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。