言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

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政府見解の拘束力

2009-08-09 | 日記
田母神俊雄 『自らの身は顧みず』 ( p.74 )

 「村山談話」は言論弾圧の道具

(中略)

 そもそも村山談話というのは「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」としているだけで、国策を誤ったのがいつの時期なのか、どの地域なのかなど具体性に乏しい。
 いわば歴史そのものでもなく、"政治声明" とも言えるものである。この談話だけで自衛官にも憲法上認められた諸自由まで否定されるのは言論統制ではないかというのが私の議論である。
 村山談話が村山首相による私的談話というなら我が国の国益にほとんど影響を及ぼさない。しかしこれが日本外交を制約し、憲法で保障された表現の自由まで制限するということになると歴代内閣の「村山談話を踏襲する」というのも見過ごせなくなる。それは、「中国や韓国には一切逆らいません」「私は言論弾圧社会を容認します」と言っているのと同じことなのだ。
 政府は平成十四年(二〇〇二)年 (引用者註:原文ママ) に民主党の長妻昭議員の質問に答えて、政府見解の法的拘束力について、「法律的な拘束力はないが政府職員を拘束している」と答弁している。


 「村山談話」 は言論弾圧の道具である、政府は政府見解の法的拘束力について、「法律的な拘束力はないが政府職員を拘束している」 と答弁した、と書かれています。



 最初に結論を述べます。田母神さんは表現の自由を誤解されています。

 憲法上、たしかに表現の自由が認められているのですが、表現の自由にも、一定の制約は存在します。「田母神航空幕僚長解任の是非」 に述べたように、自衛官、とりわけ高級幹部の場合、政府の一員なのですから、政府の方針に反する見解を外部に発表してはならないのは当然であり、憲法に表現の自由が定められているからといって、この制約がなくなるわけではないと思います。

 それでは、政府見解に反する意見を持つ者はどうすればよいか、といえば、

   (1) 黙って従うか、
   (2) 政府内部で意見を述べる ( 内部から政府の方針を変える ) か、
   (3) 信念を貫いて辞職すればよい

のです。政府とは異なる意見を公にしたいのであれば、

   (4) 辞職して民間人になったうえで、公表すればよい ( 外部から政府の方針を変える )

のです。



 自衛官の言論活動が制約されるのは、「政府の一員であること」 に伴う必然的なものであって、この制約があるからといって、表現の自由が侵害されているとはいえない。しかし、民間人であれば、政府の一員ではないのですから、政府見解に反する見解を公表する自由は認められる。その制約は、表現の自由の侵害にあたり許されない。これのどこが言論弾圧なのでしょうか。

 現にいま、田母神さんは民間人として言論活動をなさっておられますが、政府は禁止も妨害もしていないのではないかと思います。
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