言語空間+備忘録

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フラット税は公平ではない

2011-02-16 | 日記
アーサー・B・ラッファー、ステファン・ムーア、ピーター・タナウス 『増税が国を滅ぼす』 ( p.34 )

 オバマの税制改革案(詳細は自身のウェブサイトに掲載されている)によると、所得税率は最高五〇~六〇%に戻される見通しである。「我が国の税体系は歪んでいる。国民はブッシュ減税を必要としていなかったし、望んでもいなかった。したがって、減税を縮小していく必要がある。そうすれば国民皆保険などに取り組む財源ができる」(*24)というのがオバマの考えだ。
 だがもっと過激なことになる可能性もある。たとえば民主党の知恵袋と言われクリントン政権で労働長官を務めた経済学者のロバート・ライシュ(CNBCテレビで毎週スティーブ・ムーアと討論する「ダイナミック・デュオ」の相棒)は、「経済ポピュリズム」の必要性を説く仰天論文を二〇〇六年一二月に発表している。この中でライシュは教育、医療、労働の「均等な機会」を提供すべきだとして、次のように主張した。
「そのための財源を確保し、国民一人ひとりに地位向上の機会を保証するためには、現在よりも累進制をきつくする必要がある。社会保障税は、年間所得二万ドルまで免除する一方で、現在一〇万ドルに設定されている上限を撤廃する。最高所得層に適用される限界税率は、アイゼンハワー政権やケネディ政権のときの七〇~九〇%に戻す」(*25)
 私たちが考える解決策は、これとは全然ちがう。私たちは、フラット税、すなわち国民全員に均一の低い税率を課す方式を提唱する。所得が増えれば税金の絶対額は増えるが、税率は変わらない。そうなれば、節税だの税金逃れだのもなくなる。一律一二%の所得税を法人と個人に課税するだけで、十分な歳入が確保できるはずだ。考えてみてほしい。所得税がたったの一二%である。経済は俄然活気を取り戻すにちがいない。
 ところが左派のお好みは、所得が増えるほど税率が上がる累進課税である。アイゼンハワー政権では、最高税率が九一%にも達したが、ライシュはあの時代に戻ろうと言うのだ。最後の一ドルを手にするたびに政府に九一セント取り上げられるとしたら、誰がもっと稼ごうという気になるだろうか。これはもう、税金という形で所得を没収するようなものである。民主党の指導的立場にある人がこのような租税制度の復活を示唆するとは、考えただけでぞっとする。
 なぜ、フラット税を考えてみようともしないのだろうか。


 税体系はフラット税がよい。そうすれば「節税だの税金逃れだのもなくなる」。累進課税制度では「誰がもっと稼ごうという気になるだろうか」、と書かれています。



 これは一見、もっともな主張です。

 しかし、この主張には問題があると思います。



 たしかに「努力して」お金を稼いでいる人もいます。しかし、所得が多いことと「努力」とは、かならずしも関連しているとはいえません。

 昨年、鳩山総理(当時)の「子ども手当」が話題になりましたが、株主に対する配当は、株主の「努力」に対して支払われているものではないと思います。「もっと稼ごう」という気になろうがなるまいが、自動的に配当金は支払われるのであり、フラット税にして株主に「もっと稼ごう」という気になってもらう必要はありません。

 そもそも、「誰がもっと稼ごうという気になるだろうか」という問題提起そのものが、おかしいのではないかと思います。ここには、「いや、誰も稼ごうとは思わないはずだ」と読者に思わせ、読者を累進課税反対・フラット税賛成派にしよう、という意図が込められています。

 しかし、累進課税で「もっと稼ごう」という気にならなくなる可能性があるのは、社会の「ごく一部の人」であり、読者(国民)の多くを説得するには、やや力不足だと思います。

 さらにいえば、所得を多くするには仕事を全部自分でするのではなく、人を雇って(従業員に)任せることが重要ですが、いわゆる高所得者が「もっと稼ぐ」ために、雇っている従業員の給与を「もっと下げる」ということにもなりかねません。それなら高所得者層に「もっと稼ごう」と思ってもらいたくない、という人が多いのではないかと思います。



 著者は、ライシュは教育、医療、労働の「均等な機会」を提供すべきだとして、
「そのための財源を確保し、国民一人ひとりに地位向上の機会を保証するためには、現在よりも累進制をきつくする必要がある。社会保障税は、年間所得二万ドルまで免除する一方で、現在一〇万ドルに設定されている上限を撤廃する。最高所得層に適用される限界税率は、アイゼンハワー政権やケネディ政権のときの七〇~九〇%に戻す」
という仰天論文を発表している、と書いていますが、

 所得格差の背景には、ひとりひとりの「能力」や「努力」による差のほかに、「スタートラインが違う」という問題があります。恵まれた家庭環境で育った者と、そうではない家庭環境で育った者とが、同一のスタートラインに立って「競争」しているのが現実の社会であり、このことを考えると、ライシュの主張は「仰天論文」どころか、その正反対だということになります。おそらくライシュにすれば、著者らの主張こそが「仰天論文」になるのでしょう。



 とはいえ、著者の述べるフラット税の長所について考えることも重要だと思います。そこで読み進めつつ、フラット税の是非について考えたいと思います。
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