かづさふるさと紀行

ふるさと「加津佐」の今をあなたに。

潮流とイルカ観光船

2011年04月30日 | 日記
今日は、4月30日 土曜日 天候は曇り。
午前中は曇り空でしたが、昼近くなると風が強くなり、今にも雨が降り出しそうな空模様になっています。
ゴールデンウィークの2日目、それも土曜日。加津佐、口之津、でゴールデンウィークらしい情景はない
かなと、まず、訪れたのが口之津のフェリー発着場。でも、駐車場の乗船待ちの車は、普段の土曜日と
さほど変わりません。
 それならばと、早崎海峡のイルカ観光船の込み具合を撮影しようと思い、灯台付近に来たのですが、
望遠で見ても、それらしき船影は見ることができません。せっかくだから、潮流でも撮影しようと思い
レンズを向けたら、2隻の船が近づいてきました。多分漁船が漁場に向かっているのだろうと思って、
とりあえず、シャッターを切ったのがこの写真です。帰宅して、パソコンで拡大した画面を見ると、
2隻の舳先には、黄色のライフジャケットを着た多くの観光客の姿が写っていましたよ。そこからは、
ゴールデンウィークで、イルカ観光船がフル稼働しているのが見て取れます。
 今や、加津佐、口之津は、対岸の天草と並んで、イルカウォッチングの“名所”になったようですね。
全国各地から訪れる観光客の多くは、「野生のイルカを見たい」、と、ただ、それだけの一語に尽きる
ようですよ。








加津佐・岩戸山の新緑

2011年04月28日 | 日記
今日は4月28日 金曜日 天候は快晴。
空には、春の青空が広がっています。でも、風が強いせいか、春の陽気とまではいきません。
海を見ると、白波が経っています。でも、いい海の色をしています。
今、時刻は午後4時。岩戸前のバス停に来ています。目の前の岩戸山の新緑が一段と鮮やかに
なっています。「緑の見頃」と言っていいのかも知れませんね。
この「岩戸山」には、珍しい暖地性植物が生い茂っているところから、岩戸山樹叢として
国の天然記念物に指定されています。寛文6年(1666)には、時の領主高力氏は、「岩戸山
山林定書」を発令し、山林保護をしたことも記録に残されています。
 いよいよ明日からはゴールデンウィーク。「自然の見頃」を探して歩くのも、意外と楽しいかも
知れませんよ。

 
 
 



モッコウバラが満開

2011年04月26日 | 日記
今日は、4月26日 火曜日 天候は快晴。
今日の気温は何度だったと思いますか。午後4時の気温は26℃。ビックリ。本当かなと思ったぐらいですよ。
 さて、午前中に外出先から帰ってきて、ふと、目についたのが、2軒先のSさん宅に咲いている満開の黄色い花。
何の花かと、早速カメラ片手に近づいて見ると、枝には小さなバラの花がびっしり。圧巻と言うか、壮観と言うか
それにしても、見事な花つきですよ。
 かって、小学校の先生をしておられた、S先生にお話しを伺うと、花の名前は「モッコウバラ」との事。
植えられて、もう15年近くになるそうです。「毎年咲いていますよ」との話しに「えっ、そんな」としばし絶句。
近くで見れる、こんな美しい花を、今まで見過ごしていたなんて、我ながら、呆れるばかり。ブログを書き出して
から、自然の花、庭先の花にも目がいくようになり、これも、ブログの効用かなと思ったりもしています。
 花好きのSさんの庭先には、さまざまな種類の花が植えられてあるばかりか、温室まであります。
花好きの人には、至福のひと時を味わえると思いますよ。帰り際には、家の玄関に所せましと置かれている
「ランの花」も見せていただきました。それにしても、見事なランの花。「ラン展」にも出品されるそうです。
 帰る時には「花が咲いている時、勝手に撮らせてもらっていいですか」と身勝手な自分になってしまいましたヨ。

 



菖蒲の季節

2011年04月25日 | 日記
今日は、4月25日 月曜日 天候は快晴。
昨日の天気予報では、今日の最高気温は21℃となっていましたが、正午の気温は18℃。
風も少しあり、思ったより気温は上がっていないようです。
 さて、5月の端午の節句の前になると、どうしても思い出すのが菖蒲。そう言えば、子どもの
頃は、菖蒲湯に入浴していたことを思い出しました。その当時は、五右衛門風呂でしたので
底板を下の方に沈めるのが大変でした。バランスよくしないと、すぐ浮かびあがってしまいます。
今みたいに温度調節なんてありませんから、大体、熱めのお湯になっているんですね。風呂そのものが
鉄窯ですから、少しでも触ろうものなら、アッチチッ!。入浴剤なんかありませんから、熱いのを
我慢して入っていましたね。
 その当時は、入浴剤の代わりにヌカとか、菖蒲が入っていました。ほかにもあったかも知れませんが
もう、すっかり忘れてしまいましたよ。特に、菖蒲湯は強い香りで、今でもあの匂いが頭にこびりついて
います。菖蒲をハチマキにして入っていたようにも思うのですが……。
 そんなわけで、菖蒲の写真を撮ろうと思って、野田浜近くのビオトープの池に来ています。咲いている
のは黄菖蒲みたいです。ヨーロッパ、西アジアが原産だそうです。
 各地の「菖蒲まつり」などでは、花菖蒲が6月にかけて見頃を迎えるんでしょうね。
でも、5月の菖蒲が「勝負」にかけては本物でしょう。花は地味ですが…。゛


今日はお大師様の日

2011年04月23日 | 日記
今日は、4月21日 土曜日。 天候は曇りから晴れ。
朝から風がとても強くて、春の一日にしては、肌寒く感じます。
午前中は、権田公園まで遠足。遠足と言っても、孫娘が通園している保育園の遠足なんですが…。
久しぶりに野外で食べる“嫁さん手づくり弁当”の美味しかったこと。豪華な弁当でなくても
野外で食べる味は格別ですね。
 さて、今日はお大師様の日なんですね。自宅近くの道路には赤い旗がはためいています。
信仰心があるわけではないのですが、小学生の頃から、この自治会の小さな御堂に足を
運び、訳も分からなくて、手を合わせていたように記憶しています。お菓子をもらうのが
楽しみだったようです。
 御堂に着くと、小さな子ども3人が、テーブルの御馳走を食べています。早速御堂に上がり、
線香を焚き、“お大師様”を拝みます。ここでは、「おだいっさん」と呼んでもいいんですよね。
帰りには、ビニール袋に入った御菓子をもらって帰りましたよ。昔は紙袋に入ったお菓子を
もらっていたなと…。自治会の方から、ご接待を受け、何だか巡礼気分を味わったような、
今日の“お大師様”の日でした。





一枝のヤマフジ

2011年04月21日 | 日記
今日は、4月21日 木曜日 天候は晴れ。
澄んだ春空ではありませんが、春の陽気が伝わってきます。
山肌の新緑も、だいぶ目立つようになりました。新緑だけを見ていると、目にとても心地よく感じます。
桜も葉桜になった今、春の花はと考えていたら、まず、頭に浮かんだのがツツジ。そういえば、旅のチラシ
には、ツツジの名所と並んで掲載されているのがフジの名所で…。
 そうだ、フジの花を探しに行こう!。目的が定まると、ほかのものは、目に入りません。
ひたすら、紫色の花を探して、バイクを低速にしてキョロ、キョロ。見つけましたよ、木に巻きついているかの
ように咲いている花を。写真で見るフジの花とは、少し違いますね。引き寄せて見る一枝の花はとてもきれい
です。運よく、撮影時には、バックに青空が広がっていましたヨ。すぐには、立ち去りがたい花の魅力がそこには
ありました。花の名はヤマフジでした。これでも、調べたんですから…。
 今日は、気に入った「一枝のヤマフジ」の写真だけをお届けします。
 

親孝行の里にのぼり旗ー加津佐・津波見地区

2011年04月20日 | 日記
今日は4月20日 火曜日 天候は快晴。
少し、肌寒く感じるものの、春の光に本格的な春の訪れを感じます。
この時期になると、どうしてもこの人を偲びたくなります。江戸時代、津波見地区に実在した
親孝行の人、「安永安次さん」です。
 今年も、国道251号線から津波見小学校へ行く道の、少し上ったところに「のぼり旗」が
春風にはためいています。郷土出身力士の十両「佐田の富士関」の「のぼり旗」も見えます。
 「安次さん」」の命日の4月24日には、津波見小体育館横の「頌徳碑」の前で、地区を挙げての
「孝子祭」が行われ、「安次さん」の遺徳をしのびます。
 地域社会の連帯感の希薄化の中、「安次さん」の親孝行の徳風が、津波見地区の皆さんに浸透し
それが、地域の連帯感の醸成となって、現在も引き継がれているんですね。
 「親孝行の里」を発信し続ける津波見地区の皆さんに、これからも、心からの応援をしていきたい
と思います。そして、「親が子を思う。子が親を思う。」、ごく、当たり前の絆を大切にしていき
たいですね。

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原城沖合・サンゴモの浅瀬

2011年04月19日 | 日記
4月19日 火曜日 天候は曇り。
今日は朝から、寒の戻りのような寒さ。おまけに空まで、どんよりとした寒空が広がっています。
昨日、原城址の沖合3000メートルに春と秋の大潮時に海面に姿を現す、浅瀬を見に行ってきました。
単なる浅瀬ではなく、地元では、「白州(リソサムニューム)」と呼ばれ、長さも1000メートルに及ぶ
大規模なもの。金平糖のような形をした紅藻無節サンゴモ(石灰藻)類が一面を覆っているとの報告書を
見ました。このように大規模な無節石灰藻の群落を見ることができるのは、世界でも、イギリスとイン
ド洋とこの地の3か所しかないとか。
 写真では、地平線の下の方に見えるのが白州。上空からでないと、全体は捉える事ができません。
でも、世界で3か所しかないと言われれば、どうしても、行ってみたい衝動にかられますヨ。
ここに行くには、渡船しかないとの事。5月にも、船が出るそうです。その時、ぜひ上陸してみたいと
思います。上陸したときには、このブログで紹介しますね。
 単なる浅瀬でも、ここは、世界でも珍しい、サンゴモの自然観察ができる貴重な場所なんですね。
改めて認識しましたよ。
  
 
 



加津佐・女島と砂紋

2011年04月17日 | 日記
今日は、4月17日 日曜日 天候は晴れ。
薫風に鯉のぼりが、気持ちよく泳いでいます。でも、昔に比べたら少なくなっているような気がします。
ここ2,3日、はっきりしない天気が続いています。温かな春日和なんですが、近くも、遠くも、視界が
スッキリしません。靄(もや)か霞(かすみ)または霧(きり)なのか、気象予報士の方に聞いてみたくなり
ましたよ。
 今、時刻は、午後4時近く、干潮のせいか、遠浅の渚に砂紋が見えます。砂紋の中の水たまりに女島の
頂上が、逆に映って顔をのぞかせています。ごくごく、普通の自然の造形かも知れません。でも、この砂紋
も波に洗われ、二度と同じ形をしないと思うと、写真に残してやりたくなりました。
 
 
 

加津佐・上登龍からの望遠

2011年04月15日 | 日記
今日は、4月15日 金曜日 天候は曇り。
昨日の天候とは打って変って、曇りの空模様。4月も半月が過ぎましたね。えっ、そんなという感じですね。
今日は、撮影に出かけることができませんでしたので、昨日の写真をお届けします。すみません。
加津佐の高地、上登龍から、早崎半島、天草の望遠です。望遠と言っても、望遠レンズを使っての撮影ですが…。(笑)
そうとは、言いながらも、天草がすぐ近くに見えますね。通詞島でしょうか。まるで、島寄せ現象に見えます。
また、この辺には、ミナミハンドウイルカ300頭が定住しているとか。今度のゴールデンウィークには、イルカ
ウォッチングの観光客で込み合うんでしょうね。
 同じ風景でも、いろんな場所から、いろんな角度から撮ると、また違った雰囲気になります。これも写真撮影の
楽しさでしょうか。
 それにしても、写真撮影技術が未熟なせいか、鮮明さがイマイチですね。
もう一度、この地からの撮影にチャレンジします。



棚田と原城と祈りの海

2011年04月14日 | 日記
今日は4月14日 木曜日 天候は晴れ。
すがすがしい春の青空が広がっています。
今日は、バイクで久しぶりに遠出をすることにしました。いつもの通り、あてのない撮影ボイント探し。
どこでどう道を間違えたのか、雲仙普賢岳がよく見える皆目見当のつかない場所に出てしまい、それでも
気楽に走っていたら、南有馬の白木野小学校前に出てしまいましたよ。
 ここまで来たらしょうがないと思いつつ、近くの谷水棚田に行ってみることにしました。
膝にガクン、ガクンと来る急な坂道を登り、見晴らしの良いところに出ました。
一瞬、ハッとするような海の色。道に迷った甲斐がありましたよ。棚田の風景は、そっちのけで、海の色
ばかりを眺めていましたよ。世界遺産暫定登録の原城跡も見えています。
 しばらく眺めていると、ふと頭に浮かんだのが、長崎市の「出津文化村」の一角にある遠藤周作の「沈黙」
の文学碑の碑文でした。

 人間がこんなに哀しいのに 主よ海があまりに 碧いのです

 幕府軍の原城の総攻撃があり、1638年の2月28日落城。一揆軍の切支丹信者は、十字架を握りしめ
主の姿、マリアの姿を、この海に見つけたのだろうか。

 



岩戸山の「さるの墓」

2011年04月13日 | 日記
今日は、4月13日 水曜日 晴れ。
午前中は、青空に白雲も見える春の空。
今、時刻は、午後1時。岩戸山の座禅石の登り口にある「さるの墓」に来ています。
この墓は、猿の像が、お腹を押さえていることから、寄進者は、安産の願いをかけたものだろうと
言われています。
 でも、このお墓には、こんな伝説があります。
天辺にあった円通寺を開創した、大智禅師は、一匹の猿を愛育しておられたとか。その猿は人真似が
上手で、その中でも、船でろをこぐ真似が、とても上手だった。それを見た旅人が、海に飛び込む真似をして、
自分は、岩下の松に飛びついて、姿を隠した。それを見た猿は、旅人が海に飛び込んだと思い、まねをして、
崖下の海に飛び込んで、そのまま、現れてこなかったという。それを嘆き悲しんだ、大智禅師が、その
供養のために建てられたのが、この「さるの墓」という。
 岩戸山に残る伝説は、そのほかにも「穴観音のキリシタン狩り」があり、とても興味深い。
 



ムクノキの老木とヤマブキ

2011年04月12日 | 日記
今日は、4月12日 火曜日 天候は晴れ。
穏やかな春日和。少し肌寒いように感じるのですが。歳のせいですかね。
今まで、桜の花に目を奪われていましたが、ここ数日は、ウォーキング途中の路傍の花にも
目がいくようになりました。「私を忘れないてよ」と言わんばかりに咲いているのですが、
花の名前がわかりません。恥ずかしいことに「タンポポ」ぐらいでしょうか。
 1週間ほど前から、気になっていた路傍の黄色い花があったんですね。
再び、その場所にバイクにまたがりやって来ましたよ。老木と古い石垣に囲まれ、とても
よく似合っています。早速、家の方に訊ねると「ヤマブキ」とのこと。老木のことも
ついでに聞くと、「ムクノキ」でした。そう言えば子ども時代に、「モック」と言って
実を食べていたように記憶しているのですが…。
 そうそう、場所は八ノ久保ですよ。
 





加津佐にある島原の大災害の供養塔

2011年04月11日 | 日記
今日は、4月11日 月曜日 天候は曇り。
昨日までの、春の陽気から一転して、肌寒い天候。風も強く、空も雨模様みたいに、雲が立ち込めている。
今日は、東日本震災から、1カ月と言うことで、テレビや新聞では、特集が組まれています。改めて、自然の
脅威を感じています。
 島原半島でも、日本災害史上でも、上位に位置づけられる大災害が起きたんですね。
時は、今から219年前の、寛政4年(1792)の4月1日。雲仙の火山活動による、眉山の崩壊が起こり、
その影響で津波が起こり、被害は、北は山田村(雲仙市吾妻町)から南有馬村(南島原市南有馬町)まで、甚大な
被害をもたらしたという。その時の津波の高さは10メートルにまで達したとか。
被害は、島原だけにとどまらず、対岸の熊本、天草まで及び、島原側約1万人、熊本側を合わせると、1万5
千人の死者を出したという。人は、これを「島原大変・肥後迷惑」という。
 加津佐は、難を逃れたものの、遭難者の遺体が、早崎海峡を越して、加津佐の沖に多数流れ着いたという。
土地の人は、これを収容して供養塔を建てた。須崎墓地と、権田海岸にそれぞれ一基ある。
写真の権田海岸の供養塔の碑文には

 「溺死塔 寛政四子年□ 四月朔日 女二人」   と刻んである。

身近なところにも、大災害の爪跡が残っているんですね。




加津佐・桜の散歩道

2011年04月10日 | 日記
今日は、4月10日 日曜日 天候は晴れ。
薄日にも関わらず、春の陽気。
今、時刻は、午後1時半。岩戸グラウンドに来ています。木の下川河川改修工事の時に、
植樹された桜が、岩戸や、野田浜の松林の緑を背景に、とても鮮やかに映えています。
10年ぐらいたった、とても、若い桜の木のようです。
この桜の散歩道を通って、野田浜の松林の遊歩道へと続くコースは、今しか味わえない
とっておきの散歩コースですよ。松林には、休憩場所の東屋や、花十字が刻まれている
キリシタン墓碑も見ることができます。また、遊歩道の終わりにはベンチも設置されていて、
缶コーヒーでも飲みながら、野田浜と岩戸を見ると「ふるさと郷珈館」にいるような、贅沢な
気分を満喫することができますよ。