わ! かった陶芸 (明窓窯)

 作陶や技術的方法、疑問、質問など陶芸全般 
 特に電動轆轤技法、各種装飾方法、釉薬などについてお話します。

青花(染付け)について2(歴史)

2011-08-03 21:25:54 | 作品の装飾と陶磁器の絵付け
青花(染付)の話を、続けます。

3) 中国の「青花」の歴史 (前回の続きです。)

  ァ_徒(かせい)年間((1522〜1566年)

   顱法,海了代に成ると、作品の種類も多くなり、大型の作品も、作られる様に成ります。

     一時途絶えていた、コバルトも、イスラム(ペルシャ)より輸入される様になり、明るい

     色鮮やかさが、復活します。

   髻法‐しずつ「官窯」から、民間に制作委託されていた作品も、この時代に成ると、

     更に「民窯」で作られると共に、その技術も、民間に伝えられます。

     その結果、自由闊達さや、創造性が刺激され、多くの種類の作品が、作られる様に成ります。

   鵝法‘瑛佑瞥由により、文様の構成や、筆の使い方(力強さ、又は繊細な描き方等)、

     伸び伸びとした線や、自由奔放さが、出てきます。

     文様も、「唐子文」などの、子孫繁栄を表すものや、「福」「寿」などの、目出度い文字

     (吉祥文字)や、更には、これらを図案化した、文様が表れます。

  Α)暦年間(1573〜1620年)

    この時代の作品は、白地の余地が無い程に、濃密濃厚な文様構成で、埋め付くされている作品も

    多いです。しかしながら、自由奔放性は、発揮されています。万暦年間は長く、二期に分れます。

   顱法〜梓は、胎土が厚く、肌目が細かく、滑らかな作品群で、釉も華やかさが有り、形も

      比較的整っています。

   髻法仝經は。薄作りで、「青花」の発色も、今一鮮明ではありません。

      文様も、細かい線描きが、顕著に成ります。

  А\胸代(1662〜1908年)

    万暦帝によって、廃窯に成った、景徳鎮が「官窯」として再開(1681年)されるまでに、

    60年を要します。再開後、色絵や上絵の分野では、目覚しい技術的発展がありましたが、

    下絵の分野では、大きな発展は見られませんでした。

   顱法々煕(こうき)年間(1662〜1722年)

     清時代の中でも、康煕の時代は、「民窯」の陶工を集め、「官窯」が再出発に当り、

     その意気込みが、感じられる作品も多いです。

     即ち、中国産のコバルト(青土と言う)を使いましたが、良く精錬された為、鮮やかな色調に

     成っています。

     描写方法も、水墨画の様に、濃淡を駆使して、描かれています。強い光沢の有る釉を薄く掛け、

     一層発色を鮮明にしています。

   髻法‘磁器に関しては、康煕を頂点として、以後衰退の一途と成ります。

      即ち、過去の優れた作品を手本にして、模倣した作品が多くなり、新たな発展が成されま

      せんでした。「青花」に付いても、同様に模倣した文様や作品が多く成ります。


以下次回に続きます。

  参考文献: 別冊太陽「中国やきもの入門」(株式会社 平凡社)
  
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