6) 志野の焼成に付いて。
後に人間国宝に指定される荒川豊蔵氏(1894~1985年)は、1930年に桃山時代の志野を
焼いていた窯跡、大萱古窯跡(岐阜県可児市久々大萱)を発見し、その場所に当時と同じ構造の
窯を築き、志野の再現(復活)を目指して、制作に没頭し再現を果たします。
・ 現在では、昔ながらの窖窯(あながま)で焼成している作家もいますが、多くの作家はガス窯を
使用しています。ガス窯でも、桃山期の志野と遜色ない作品を作る事が可能と言われています
① 桃山時代の作品は窖窯(あながま)による焼成でした。
) 大萱古窯やその近辺の窯の調査で、山の傾斜を利用した窖窯で焼かれていた事が判明
します。側(そば)に谷川が流れ、北西方向が開けた山中や山頂付近に築かれていました。
志野は高温で焼きますので、谷川(又は沢)から山に昇って行く強風や、北西風(季節風)
を利用していました。
) 構造は分炎柱(ぶんえんちゅう)と呼ばれる天井を支えながら、炎を左右に分けて窯全体を
均一に暖める様式で、胴が太く尻尾から急に細くなる魚の「あんこう」の様な形をしています
耐火度があり、砂気のある粘土で築かれていました。
) 当時の陶片から1260~1300℃で焼成された事が推察されます。
当然、匣鉢(さや)に入れ、灰の掛かるのを予防します。
) 現在でも桃山時代と同じ場所で、同じ構造の窯で志野を焼いている人もいます。
② 現代の志野の焼成。
人間国宝の鈴木蔵(おさむ)氏ら、多くの作家達はガス窯を使って焼成しています。
) ある著名な陶芸家の場合、分厚い壁の窯で、五日間焚いて五日間冷ます工程で、ゆっくり
温度上昇させ、ゆっくり冷却する事が志野を成功させる「コツ」と述べています。
この陶芸家は、ガス窯にも関わらず、さや匣鉢(さや)詰めで焼成する事により、緋色が
出易くなったそうです。
) 別の陶芸家の場合は、美濃で「セリ」と呼ばれる攻め焚きで、一時間に5℃と言うゆっくり
したスピードで、温度上昇させ、約30時間掛けて、1250℃まで上げます。更に一日
その温度を保持し、火を止めずに18時間を掛けて900℃まで還元冷却し、火を止めます
この冷ましの際に、緋色が出るとの事です。
) いずれにしても、途方も無い長時間の焼成が必要な様です。
7) 緋色について。
志野の緋色は、土や釉の中の鉄分の作用と考えられていましたが、人間国宝の鈴木蔵氏は異を
唱えています。焼成実験を繰り返してその結果を得たとの事です。
即、土と釉の成分を厳選し、徹底的に鉄分を除去した作品を焼成し次の結論を得ます。
① 焼成の仕方(焼成時間、冷まし時間、還元焼成の有無)によって、緋色の出具合に差が
出る。作品は匣鉢(さや)詰めが良い。
② ゆっくり時間を掛けて、900℃位まで冷却すると良い。
但し、それ以降は冷却を早めないと、緋色が飛んでしまうそうです。
③ 冷却時間には、還元を掛ける。
④ 鉄での着色は1250℃が限界で、それ以上では発色せずに、飛んでしまうそうです。
8) 茶碗は手取り(手に持った時の感じ)が大切です。
① 重さ(出来上がり時)は530~550程度が最適です。(作品の大きさにもよります。)
② 志野釉の厚みは5mm程度有りますので、重くなり勝ちで、いかに高台脇を削り取るかが
課題に成ります。
③ 志野茶碗の特徴の一つに豪快さがあり、どうしても重くなり勝ちです。
④ 持った時のバランスも重要ですので、削りや削ぎ(そぎ)の最中や、終了後には常にバランス
を確認する必要があります。
尚、著名な志野の作家達には、荒川豊蔵氏。加藤唐九郎氏。加藤孝造氏。鈴木蔵氏。若尾利貞氏。
林正太郎氏らが、個性豊かな作品を造っています。
以上にて志野茶碗の話を終わります。