わ! かった陶芸 (明窓窯)

 作陶や技術的方法、疑問、質問など陶芸全般 
 特に電動轆轤技法、各種装飾方法、釉薬などについてお話します。

現代陶芸117(山田山庵)

2012-05-16 21:33:26 | 現代陶芸と工芸家達

山田山庵山は陶芸家であるまえに実業家(池袋信用組合の創立者で理事長、茶道具商 山惣を創業)

であり、楽長次郎や本阿弥光悦(1558~1637年)の本物の作と、見間違える程の腕前であったと

されています。それ故、今光悦とも呼ばれていました。

 尚、光悦の黒茶碗「くいちがゐ」を所持していた事でも知られていました。

陶芸家ではなく数寄者であった為に、氏の作品は安易に人手に渡る事も無く、ごく限られた範囲で

出回ていた様です。  数寄者で陶芸作品を造っている方で、著名な方は、光悦と川喜田半泥子

(1936~1963年)がいます。半泥子に付いては、当ブログ現代陶芸11(2012-01-08)を参照して下さい。

1) 山田山庵(やまだ さんあん): 1906年(明治39) ~ 1995年(平成7)

 ① 経歴

   ) 栃木県栃木町嘉右衛門町で、実業家の大木惣十郎の五男として生まれます。本名は大木惣五。

      1914年 県立栃木中学を卒業後、1929年に法政大学を卒業します。

      1933年 東京の元骨董屋の娘山田志づ子と結婚し、学生時代からの趣味であった、骨董が

       専門的に成ります。又実業家としても事業を手掛け活躍します。

      1934年 名古屋の中村道年の窯場を訪問し、茶碗作りに魅せられ土を譲り受け、手造るで

      茶碗を造る様になります。戦前は主に長次郎、のんこ了入などの楽茶碗が中心で、戦後には、

      光悦風の茶碗を造っています。

      1959年 東京日本橋壺中居で初の個展を開催します。(全作品は非売品)

       その後も不定期に数回開催しています。

       (1988年 壺中居での個展「自選 楽茶碗」が、生前最後の個展となります。)

      1962年 東京日本橋で「楽茶碗展」を始め、東京吉兆で「志野茶碗展」(1968年)、壺中居で

      「高麗風茶碗展」(1970年)など多くの場所で個展や展示会に出品しています。

 ② 山田山庵の陶芸

   主な作品は手造りにより、(黒、赤)楽茶碗と水指、志野茶碗等が多いです。

  ) 黒楽茶碗

      「黒楽茶碗・漁村夕照(ゆうしょう)」(高8.8 X 径11.7 、高台径5.7cm)(1975年)、

      「黒楽茶碗・煙寺晩鐘(えんじばんしょう)」(高9.5 X 径12.3、高台径4.3cm)(1975年)、

      「黒楽茶碗・玄輝門」(げんきもん)(高9.4 X 径12.5 、高台径5.7cm)(1977年)

      「黒楽茶碗・杜鵑(ほととぎす)」(高9 X 径12.5 、高台径4.4cm)(1980年)など。

  ) 赤楽茶碗

      「赤楽茶碗・十洲(じゅしゅう)」(高10.2 X 径12.2 、高台径5.7cm)(1976年)、

      「赤楽茶碗・紅韻(こういん)」(高9.6 X 径11.9 、高台径5.6cm)(1977年)、

      「赤楽茶碗・恵比寿(えびす)」(高9.8 X 径12.1 、高台径3.7cm)(1977年)、

      「赤楽茶碗・明王(みょうおう)」(高9.8 X 径12.2 、高台径5.9cm)(1977年)、

      「赤楽茶碗・巫山峡(ふざんきょう)」(高9.2 X 径12.6 、高台径4.2cm)(1979年)、

      「赤楽茶碗・無何有(むかう)」(高11.1 X 径12.5 、高台径5.2cm)(1970年)等。

    ・  「赤楽八方破水指」(高15.5 X 径16.5 cm)(1963年)。

   ) 柿蔕(かきのへた)茶碗: 高麗茶碗の一種で、鉄分の多い胎土を使い、腰に段を付け口縁ぶが

      端反に成っているのが特徴で、薄い灰釉薬が掛けられ微妙な景色に成っています。

      「柿蔕茶碗・土の香」(高7.3 X 径14.4 、高台径5.7cm)(1970年)。

   ) 志野茶碗: 1965年に岐阜県多治見市の鈴木蔵氏の下で、志野焼の経験をしています。

      「志野茶碗・破雲(はうん)」(高10.6 X 径13.5 、高台径4.7cm)(1971年)。

次回(小西平内)に続きます。

コメント
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