わ! かった陶芸 (明窓窯)

 作陶や技術的方法、疑問、質問など陶芸全般 
 特に電動轆轤技法、各種装飾方法、釉薬などについてお話します。

縄文土器(造り手)

2009-11-09 21:32:06 | 縄文土器の話、骨董の話
「縄文土器の造り手は、主に女性であった」の、話をしたいと、思います。

縄文時代の食料は、野山に分け入り、獣や動物類を獲る狩猟、川で魚を獲たり、海で貝などを獲る漁労、

及び、野山で木の実や、野草を採る、採取の3本立てが基本でした。

仕事の役割分担は、明確では無いが、狩猟や、漁労などの力仕事は、主に男性が、住居近くの、

日常作業や、育児、土器造りなどの道具造り、布造りなどは、女性が行っていた様です。

 1) 土器を造った際に出来た、指跡の大きさ、爪跡等の他、縄文の組紐、布目など、女性が造った物

   と思われる、痕跡が多く見られます。

 2) 但し、土器造りには、土の採取、運搬、小石や葉っぱ等を、取り除く土造り、製作、燃料の調達、

   野焼きと、色々な工程が有りますので、男女共同作業も、必要に成ります。

   土は崖の側や、川の岸や、川の中など、採取する場所が、危険な場所に有る事も多く、運搬も、

   力仕事ですので、男性が担当した事と、思います。

 3) 土器に使える土は、至る所に有るように、思われます。

   ① どの家にも、数種類の土器が存在している事。

   ② 重い土を遠い場所から、運んだとは、思われない事。

   ③ 商品の様に、一箇所で造った土器を、持ち込んだとは、思われない事。

     (壊れ易い土器を、遠くまで運ぶとは、考え難いです。)

     但し、土器造りの、新しい技術は、常に導入されていたはずです。

   ④ 土は赤土が多く、良い土が出る所は、少ないですが、器に出来る土なら、割合簡単に、

     手に入ったのかも知れません。

   以上の理由で、土は現地調達し、女性が自分で(又は、その集落の特定の人が)土器を造ったと

   見るのが妥当です。

 4) 土器造りは、或る季節に、集中して作られていた。

   ① 野焼きは、ある程度の量の作品が、出来てから、行います。

     野焼きの労力から考え、たぶん数十個の作品を、一度に焼いたはずです。

     回数は、年に1~2度程度と、思われます。

     尚、当時の一集落は、5~10軒程度が普通で、一軒で3~5個作れば、直ぐに、数十個の

     作品を造る事が、出来ました。

   ② 作品を短い期間で、集中的に造る必要が有る事。当然他の作業が、暇の時期に成ります。

     入梅時期では、土は乾きませんし、雪や氷が出来る時期は、作品が凍り破裂します。

     集落中の女性達が、一箇所に集まり、「ワイワイ」言いながら、製作に励み、周囲では、

     子供や、男達が、見物していたかも知れません。

   ③ 燃料の収集も大切で、燃料が常備されては居ても、野焼き用の燃料までは、難しいはずです。

     それ故、容易に燃料が、手に入る時期(例:枯葉、枯れ木、落ち葉のある秋など)に、

     野焼きをし、それに合わせて、作品を造ったとも、考えられます。

 5) 縄文土器の造り方

以下次回に続きます。

縄文土器を造る  
縄文土器と女性


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