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明けましておめでとうございます。

2017年01月04日 21時59分31秒 | 鳥良日記
SFPダイニングの坂本です。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
今日の交通機関はどこも空いていて、明日から本稼働という方も多くいらっしゃることと存じます。

さて今回の冬は、11月の雪にはじまり、冬至明けの大嵐に、その前後、本日までの陽気と、波乱の中に穏やかさも含んだ何とも言えない天候が続いています。
明日はまた冷え込むようなので、くれぐれも皆さまご自愛いただければと思います。

個人的にはこの目まぐるしく変わる天候は、いまの世相にも通じるものがあるなと感じています。
トレンド、私は潮目という言い方をよくしますけれど、この変化が読みにくい環境にあるなという趣旨です。

そんな中でも、今年のテーマは「先手必勝」にあると思っています。読みにくい環境も可能な限り正しく紐解いた上で、適切なカードを切り続ける。
時間の経過と共に切れるカードの種類は減ってゆくものです。だから本質的には今年に限ったことではありませんけれども、この先手必勝を実行するために必要な努力を重ねて行きたいと思っています。

さて、人知れず再開しているこのブログですが、弊社上場の前から自粛しておりました。
休眠期間が長かったので今のところ少しリハビリのような感もありますが、やはり物書きの技術も継続しなければ衰えるというものでして、時間を見つけて発信することに努めてみたいと思っています。

みなさま、本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
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明るさとBGM

2016年12月26日 13時23分53秒 | 鳥良日記
その道の専門家から言わせると、部屋の雰囲気というのは何も手を入れなかったとしても、明るさとBGMを変えるだけで大きく印象を変えることができそうです。
(と、先日参加したセミナーで教わりました)

そう言われてみればそのとおり、と納得することなのですが、それを仕事や私生活に活かせるかどうかというのは別問題。
少し雰囲気を変えたい、というニーズがあるときに、カードの一つとしてこのふたつが出てくるかどうか。
安易に模様替えをしようという方向に走っていないか(もしくは、模様替えは手間とお金がかかるからと安易に断念していないか)。

そう考えると、プロとそうでない人の違いは情報量というよりも、その情報の活かし方にあるという整理もできるかもしれません。
特に今の世の中、美味しいレシピだろうが歴史上の重要な事実だろうか、ネットを検索すれば大概の情報にアクセスできるわけですから、自分自身の持っている情報量というのは、昔ほどのアドバンテージにならないのは自明のことです。
せいぜいあるとすれば、ネットで検索するよりも脳内検索の方がスピードが速いですから、処理速度が改善できる、といったところでしょうか。

もっと言えば、人を育てようとするとついつい、情報を与えようとしてしまうのは昔からの我が国の教育システムの弊害のような気がします。(教育=情報を教えるということになっていないか)
情報は、知りたいと思えばいくらでも手に入る現実。本当に人を育てたいと思ったら、情報以外の切り口を考えなければならない。
では、その具体的なやり方は、、、?
ここまで来たら、その回答はいくらでもあるので、あとは選択して実行するだけ。


というわけで、私も何か部屋の雰囲気を変えたいときに明るさとBGMを点検するというカードを大切にしながら、日々を過ごしてみようと思います。
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神はディテールに宿る

2015年10月14日 10時56分48秒 | 鳥良日記
もともとは建築家、美術家の方の言葉だそうですね。
でもこれは、当然ながら仕事全般に言えることであり。

ディテールと言わずとも、言葉の端々や、作られた資料の中身、色々なところにそれぞれの「仕事の有り方」が垣間見えます。
資料作りについては、作る技術の方が注目されがちですが、私は技術よりも、その資料に情熱があるかの方に注目することが多いです。

情熱を込めて作られた資料というのは、迫力があります。
具体的に何をすればいいのか、というのは、資料の内容によって異なるわけですけれども、プレゼンテーターの気迫のようなものを感じる資料というのは、思わず見入ってしまうわけです。

言葉の選び方というのは非常に重要です。
表面的には丁寧に接しているつもりでも、選ぶ言葉ひとつひとつに、その人の考え方が出てきます。
何を重視していて、何を軽視しているのか。
誰かのやり方を批判しているはずなのに、根底には自分自身にも同じ発想があったり。。
そういうのは、ある一つのテーマについて1時間語らせる必要はなく、言葉の選び方に注目していれば、見えてきてしまうものです。

では、資料作りは細かいところまで手を抜かず、言葉の選び方は慎重にすればいいのか、というと、実はその通りかもしれない。
取っ掛かりとしてはそうやって注意することで、自分自身の考え方を変えて行けばいいわけなので。

特にこのブログでも何度か書いているように、日本人は基本的に日本語で物事を考えますので、日本語の使い方を変えるということは、考え方を変えるということに他なりません。
だから言葉との付き合い方というのは非常に重要で、かつ慎重にやらなければならないわけです。
特に、下手に言語を矯正するのは、絶対にやめた方が良い。考え方は矯正されるものではなく、自分で変えるべきものですから。

その前提を踏まえたうえで、自分自身がちゃんとした考え方をしたければ、ちゃんとした日本語を使えば良い。
それは、辞書的に正しい国語ということではなく(その方が良いのでしょうけれど)、TPOを踏まえたという意味の方が強いでしょうか。
そんな努力を重ねることで、自分の力を高めることができる、と私は思っています。

言葉にしても、資料にしても。ディテールにこそ本質が現れる。
そんなものなのではないか、と。
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物語を描くということ

2015年09月02日 01時49分35秒 | 鳥良日記
ここ数年、私が意識していることのひとつに、「物語を描く」ということがあります。

最近ある社員と話をしていたときに、「何のために働いているのか分からなくなる時が」という話題がありました。
私にも何度も経験があり、誰しも一度は考えることなのではないかと思います。

仕事に限らず、また個人単位でも、組織でも、これから進んでゆく先の「物語」を作ることは非常に重要だと思います。
起承転結に留意して、何からスタートし、どうやって話が進み、(たまに紆余曲折もあって)、最終的にはどこに行く。
それを、始める前に描いておく、ということです。

そうすると、実際に物語が進行しているときに何かしらのトラブルやエラーがあった場合、想定していた展開とのギャップを検討することで解決策が見えやすくなります。
元々の想定がないと、ギャップ認識も出来ませんから、エラーをエラーだと認めにくくなってしまう。
もちろん、目的地が見えているから「何のために働いて...」という思考の展開には陥らずに済む、と。


ノンフィクションを除き、具体的に小説を書く方というのは類まれなる想像力を持っているはずです。
だからこそ、実際に体験したことでなくとも小説が書ける。
人生における、もしくは企業経営における物語にも、想像力は不可欠です。
そして、正しい現状認識。また外部環境の見通し。そういった諸々の情報をしっかり認識し、世の中のトレンドを読んだ上で、自分たちがこれからどのように展開し、どこに向かってゆくのかということを考える。施策を打つにしても、単発で考えるのではなく、その施策の結果を受けて、その先の展開まで意識する。
そんな先を見通す目こそが、経営者のみならず個人個人においても求められている。そう思っています。

物語を描いたとき、その物語が一旦は正しいというために不可欠の要素のひとつが「ワクワクする」ことです。
これは私の口癖のようになってきましたが、ワクワクしなければ、やる価値がない、なんだと思います。
他の人ではなく、あえて私がやるべき理由が、ワクワクの中にあります。

人生であれば、10年後の自分がどうなっていて、どの道を通ってそのゴールに向かうのかを考える。
企業経営であれば、自社の強みと弱みがどのように変わってゆき、会社全体として成長してゆくのかを考える。

そうすることで、場当たり的な考え方ではなく、思考の深みを十分に確保した物語を描き、挑戦しながらその駒を前に進めてゆくことができる。
そんなふうに考えています。
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クレド

2015年09月02日 00時58分06秒 | 鳥良日記
しばらく前、経営における理念浸透のためのツールのような形で「クレド」と称されるものが流行しました。
今では流行というより、経営の中では一般的な用語になりつつあると思います。

このクレドですが、経営の観点で使われる場合は「≒理念」「≒哲学」「≒信条」のような意味合いになっていて、それを社内でまとめ上げて社員が共有することで、より強い組織ができるというような文脈で使われます。

そのやり方そのものは否定しない(むしろ積極的に取り入れるべきと思っている)のです。
でも個人的には何故「クレド」という言葉を選んだのだろうと不思議でならない(というか、違和感ばかり)。

ご存じの方はご存じだと思いますが、私の場合「クレド」と言えば迷わず「信仰宣言」、すなわちキリスト教ミサ通常文における「Credo in unum Deum,」で始まる一節しか連想できません。
神、人、聖霊の三位一体であるキリストへの信仰を告白するこの一節は、本当の信者でなければ口にしないもの。
音楽の世界でも、ミサ曲を歌うことはあっても、クレドだけは外すという主義の人だって居るほどです。

そんな認識をしていた私が、この経営ツールとしての「クレド」という言葉に触れたときには、ずいぶん思い切ったワードを選んだものだと驚いたものでした。
しかもそれが、宗教に対する認識が甘くなりがちな日本の中で発生したならいざ知らず、どちらかと言えば輸入された考え方であったのですから、なおさらです。

経営におけるクレドという言葉の安売りが始まり、宣言するにはあまりにチープな内容を使うようなケースが出てくると、クレドの元々の使い方を知っている人からすれば文句のひとつも言いたくなるのではないかと心配になるわけで(余計なお世話ですが)。

ただ一方で、個人的な思想信条はともかくとして、この「クレド」が宗教由来の言葉であるということは、ひとつのヒントでもあると思います。
また重要なことは、考え方の本質を理解して必要なことは経営に取り入れることに尽きるのです。だからその本質については否定する気はなんらありません。

しかし気になるけど。。。
もう少し違う言葉はないものなのかなぁ。
少なくとも私は、もしこんな考え方を導入するとなった場合でも言葉の選び方には慎重でありたいと思います。
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