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神はディテールに宿る

2015年10月14日 10時56分48秒 | 鳥良日記
もともとは建築家、美術家の方の言葉だそうですね。
でもこれは、当然ながら仕事全般に言えることであり。

ディテールと言わずとも、言葉の端々や、作られた資料の中身、色々なところにそれぞれの「仕事の有り方」が垣間見えます。
資料作りについては、作る技術の方が注目されがちですが、私は技術よりも、その資料に情熱があるかの方に注目することが多いです。

情熱を込めて作られた資料というのは、迫力があります。
具体的に何をすればいいのか、というのは、資料の内容によって異なるわけですけれども、プレゼンテーターの気迫のようなものを感じる資料というのは、思わず見入ってしまうわけです。

言葉の選び方というのは非常に重要です。
表面的には丁寧に接しているつもりでも、選ぶ言葉ひとつひとつに、その人の考え方が出てきます。
何を重視していて、何を軽視しているのか。
誰かのやり方を批判しているはずなのに、根底には自分自身にも同じ発想があったり。。
そういうのは、ある一つのテーマについて1時間語らせる必要はなく、言葉の選び方に注目していれば、見えてきてしまうものです。

では、資料作りは細かいところまで手を抜かず、言葉の選び方は慎重にすればいいのか、というと、実はその通りかもしれない。
取っ掛かりとしてはそうやって注意することで、自分自身の考え方を変えて行けばいいわけなので。

特にこのブログでも何度か書いているように、日本人は基本的に日本語で物事を考えますので、日本語の使い方を変えるということは、考え方を変えるということに他なりません。
だから言葉との付き合い方というのは非常に重要で、かつ慎重にやらなければならないわけです。
特に、下手に言語を矯正するのは、絶対にやめた方が良い。考え方は矯正されるものではなく、自分で変えるべきものですから。

その前提を踏まえたうえで、自分自身がちゃんとした考え方をしたければ、ちゃんとした日本語を使えば良い。
それは、辞書的に正しい国語ということではなく(その方が良いのでしょうけれど)、TPOを踏まえたという意味の方が強いでしょうか。
そんな努力を重ねることで、自分の力を高めることができる、と私は思っています。

言葉にしても、資料にしても。ディテールにこそ本質が現れる。
そんなものなのではないか、と。
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物語を描くということ

2015年09月02日 01時49分35秒 | 鳥良日記
ここ数年、私が意識していることのひとつに、「物語を描く」ということがあります。

最近ある社員と話をしていたときに、「何のために働いているのか分からなくなる時が」という話題がありました。
私にも何度も経験があり、誰しも一度は考えることなのではないかと思います。

仕事に限らず、また個人単位でも、組織でも、これから進んでゆく先の「物語」を作ることは非常に重要だと思います。
起承転結に留意して、何からスタートし、どうやって話が進み、(たまに紆余曲折もあって)、最終的にはどこに行く。
それを、始める前に描いておく、ということです。

そうすると、実際に物語が進行しているときに何かしらのトラブルやエラーがあった場合、想定していた展開とのギャップを検討することで解決策が見えやすくなります。
元々の想定がないと、ギャップ認識も出来ませんから、エラーをエラーだと認めにくくなってしまう。
もちろん、目的地が見えているから「何のために働いて...」という思考の展開には陥らずに済む、と。


ノンフィクションを除き、具体的に小説を書く方というのは類まれなる想像力を持っているはずです。
だからこそ、実際に体験したことでなくとも小説が書ける。
人生における、もしくは企業経営における物語にも、想像力は不可欠です。
そして、正しい現状認識。また外部環境の見通し。そういった諸々の情報をしっかり認識し、世の中のトレンドを読んだ上で、自分たちがこれからどのように展開し、どこに向かってゆくのかということを考える。施策を打つにしても、単発で考えるのではなく、その施策の結果を受けて、その先の展開まで意識する。
そんな先を見通す目こそが、経営者のみならず個人個人においても求められている。そう思っています。

物語を描いたとき、その物語が一旦は正しいというために不可欠の要素のひとつが「ワクワクする」ことです。
これは私の口癖のようになってきましたが、ワクワクしなければ、やる価値がない、なんだと思います。
他の人ではなく、あえて私がやるべき理由が、ワクワクの中にあります。

人生であれば、10年後の自分がどうなっていて、どの道を通ってそのゴールに向かうのかを考える。
企業経営であれば、自社の強みと弱みがどのように変わってゆき、会社全体として成長してゆくのかを考える。

そうすることで、場当たり的な考え方ではなく、思考の深みを十分に確保した物語を描き、挑戦しながらその駒を前に進めてゆくことができる。
そんなふうに考えています。
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クレド

2015年09月02日 00時58分06秒 | 鳥良日記
しばらく前、経営における理念浸透のためのツールのような形で「クレド」と称されるものが流行しました。
今では流行というより、経営の中では一般的な用語になりつつあると思います。

このクレドですが、経営の観点で使われる場合は「≒理念」「≒哲学」「≒信条」のような意味合いになっていて、それを社内でまとめ上げて社員が共有することで、より強い組織ができるというような文脈で使われます。

そのやり方そのものは否定しない(むしろ積極的に取り入れるべきと思っている)のです。
でも個人的には何故「クレド」という言葉を選んだのだろうと不思議でならない(というか、違和感ばかり)。

ご存じの方はご存じだと思いますが、私の場合「クレド」と言えば迷わず「信仰宣言」、すなわちキリスト教ミサ通常文における「Credo in unum Deum,」で始まる一節しか連想できません。
神、人、聖霊の三位一体であるキリストへの信仰を告白するこの一節は、本当の信者でなければ口にしないもの。
音楽の世界でも、ミサ曲を歌うことはあっても、クレドだけは外すという主義の人だって居るほどです。

そんな認識をしていた私が、この経営ツールとしての「クレド」という言葉に触れたときには、ずいぶん思い切ったワードを選んだものだと驚いたものでした。
しかもそれが、宗教に対する認識が甘くなりがちな日本の中で発生したならいざ知らず、どちらかと言えば輸入された考え方であったのですから、なおさらです。

経営におけるクレドという言葉の安売りが始まり、宣言するにはあまりにチープな内容を使うようなケースが出てくると、クレドの元々の使い方を知っている人からすれば文句のひとつも言いたくなるのではないかと心配になるわけで(余計なお世話ですが)。

ただ一方で、個人的な思想信条はともかくとして、この「クレド」が宗教由来の言葉であるということは、ひとつのヒントでもあると思います。
また重要なことは、考え方の本質を理解して必要なことは経営に取り入れることに尽きるのです。だからその本質については否定する気はなんらありません。

しかし気になるけど。。。
もう少し違う言葉はないものなのかなぁ。
少なくとも私は、もしこんな考え方を導入するとなった場合でも言葉の選び方には慎重でありたいと思います。
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ファッション誌

2015年08月11日 11時57分53秒 | 鳥良日記
二子玉川駅構内にある書店では、入り口に女性向け、男性向けのファッション誌が(中心に)並んでいます。

別にすべてに目を通すわけでもないのですけれども、ここしばらくの間で印象的だったのは、私の中では20代男性をメインターゲットにしているであろう(その結果、私よりも少し年下の年代が読むもので、私がそれを参考にするとちょっと残念なことになる)と思っていた雑誌。
これが突然リニューアルして、40代をターゲットにしているように見える内容に変わってしまったこと。ロゴも変わったようです。

飲食店でも雑誌でも、メインターゲットというのは必ず存在していて、店舗も雑誌もお客様も必ず年を重ねてゆくものですから、それに応じて内容を少しずつ変化させてゆくというのは理にかなっていると思います。
しかし、その雑誌の変化はあまりにも激しくて、特に私にとっては年下だったのがいきなり年上になってしまったような違和感があり、「本当に大丈夫か?」と心配になってしまったり。
その結果怖くてあまり読んでいません(笑)


一方、昔から私がよく参考にしていたファッション誌のひとつを久しぶりに買ってみたところ、これはこれでびっくり。
まず本そのものがずいぶんと薄くなってしまっていて、そして内容を見ると有名セレクトショップ数社の扱うものばかり(しか載っていないとまでは言いませんが)。

これではセレクトショップの回し者と言われても仕方ないし、それをもし定期購読などしようものならショップのロイヤルカスタマー間違いなし。
おまけに、商品の説明文(など普段は読まないことも多いですが)に至っては、取ってつけたようなチープなものばかり。

昔はチョイ悪とは対照的に、上品な紳士の愛読書なのかなぁと思っていたところが、気が付けば取引先から提案されたものをそのまま掲載しているとしか思えない三流雑誌になってしまった。
でも取り扱い商品そのものは一概に悪いというわけではないから、ちょっと参考にする程度で良い。買わずに立ち読みにすれば良かった、と。
この雑誌には「こだわり」というものが無くなってしまった。


雑誌にしろ、飲食店にしろ、小手先ではダメなんだなぁと思います。
ジローラモ×レオンの成功で一躍脚光を浴びた男性向けファッション誌というジャンル。その後類似の雑誌は山ほど増えてゆきました。
景気の回復とともにこの手の雑誌の売れ行きも多少回復してゆくでしょうが、一方で今後は淘汰も進むことでしょう。

飲食店でも雑誌でも、「どのような価値をお客様に提供するのか」にかかっているのは言うまでもありません。
それが味なのかサービスなのか機能なのか。雑誌なら新情報なのかセンスや感性なのか、もしくは生き様なのか。

独自の世界観がそこにあって、熱狂的なファンが育つと、飲食店ではリピーターになり、雑誌は立ち読みが減る。
でもいつも隣の店や本と見比べられている。

そう考えると、雑誌と居酒屋は似ているなと思ったりしたひとときでした。
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景気

2015年08月10日 20時55分25秒 | 鳥良日記
この週末、ドライブをしているときに「最近派手な色づかいの車が増えたな」と感じました。
景気が良くなると色づかいも保守的から攻めに転じるものですので非常に良い傾向だと思います。


むかし耳にしたのは、景気が悪くなると無駄に陽気な曲が流行する、というものです。
具体的な曲名を挙げるのは遠慮しますが、過去にカラオケの定番になったような陽気な曲は、リーマンショックの後だったり、不景気と呼ばれる合間にリリースされた曲のことが多いようです。

カラオケは基本的に非日常のことですから、普段が暗ければ、非日常は明るいものを求める、ということでしょう。

車は日常、であることが多いでしょうから、これに明るい色や派手な色を求める機会が増えたということは、心理的な状況は少なくとも悪くはないのではないか、と。


街の中がこれからも華やかになり、本当の意味での景気回復が実感できるようになったら良いなと切に思います。





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