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日々のこと記してます。

ヒメジョオン

2017年07月17日 | 咲く花


瀬戸内海を渡って実家まで行って帰った週末明け〜ああ、実家の水は新鮮で美味しく、煮沸しなくてもそのまま飲めるし、髪を洗うとツヤツヤサラサラになる。

春先に草とりをしてもらって土が見えていた庭、もう草むらになってます。
ヒメジョオンの花の草むら、朝顔、昼顔、色の濃いオレンジ色の百合、どれも種が飛んで自然発生したゆらぎのある佇まいを見せてくれている。人間の手が入るとここまでいい感じにはならないと思う。

ヒメジョオン(姫女菀)、女菀は中国語で野草という意味なのだそうで神話などにはもち登場しない。
名もなくエピソードもなく忍者のようにいるかいないのかわからないけれどもいて成っているというものにそこはかとない憧れを感じる。そういうものでこの世がひっそりと成り立っているという様は誰にも知られることはない。


母はこの六月で90歳になった。
いまでも朝からお化粧をして午前中は毎日、スーパーへ買物に行く。
目と耳が遠くなって大きな声で話さないと聞こえないときもある。昔から気合が半端じゃないので、といいましょうか、それでももう90歳、側にいなければわからないことはたくさんある。

戦争体験者ですから捨てることは大変もったいないことで、賞味期限などは1週間やそこらではまず捨てない。
半年まえの物がまだ冷蔵庫にあると、わたしは勝手に捨ててしまう。捨てるとかならず「賞味期限というのは食べごろですよという目安に過ぎないから気にすることではない」という。半年もすると野菜などは干からびて小さく固まってしまっている。


満州事変(1931年)は小学校に上がるまえ、
支那事変(1937年)は小学校の頃、
大東亜戦争(1941年)は女学校時代に経験している。


映画「世界の片隅に」は、洋くんがブログでも紹介してて、見に行こうと思ってて行けなかった映画、うちの母、女学生の頃、呉に駆り出されて製造にたずさわってたみたいだ。
母が話す戦争体験はいまの日常にも生きていてわりとリアル、一人の人間の記憶を分かち合うことは記憶を反転さす行為なのかもしれない。

「ときはその上で流れているけれども同じ世界ではないのか」という監督のお話、その感覚をわたしも母という一人の人間をとおして感じることができるのはすごいことだと思う。


かけがえのない日常 (この世界の片隅に)

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