MIHOの旅

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ウズベキスタン旅行 その30 サマルカンド(9) グリ・アミール廟編

2011-10-09 05:20:54 | ウズベキスタン旅行
レギスタン広場からバスで5分ほどのところにあるグリ・アミール廟に行きました。
表記ではアミール・ティムール廟です。


グリ・アミールはタジク語で「支配者の墓」と言う意味。
ソ連時代に修復が始まり、1996年に修復が終了していて、とても綺麗でした。


中庭には石の台と、直径1.5m位の石でできた樽があります。
この石台の上でお料理を出したとか。


この樽のようなものはワイン桶。
戦の際に兵士の数を調べるため、桶から一人一杯分のワインを配り、残ったワインの量で
数を把握したそうです。
戦が終わるとまた出征の際に配った量のワインを桶に入れ、凱旋した兵士に一杯のワインを
飲ませ、何人の兵士が戻ってきたかを調べたとのこと。


廟の入口には説明が展示されていて、ティムールの時代がいかに凄かったかのガイドの
説明を聞きます。


そして廟の中の見学をします。


入口は落ち着いた雰囲気なのですが、廟内は豪華絢爛。


ここでも修復時に3kgの金が使われたそうです。


天井もとても綺麗です。




なんて書いてあるのか忘れました…


素晴らしいイスラム文様です。


ティムールの墓石は中央にある黒緑色のもの。
ティムールは自分の為にシャフリサーブスに廟を造っていましたが、遺言は実行されず
サマルカンドに埋葬されました。


ティムールの墓の右側がムハンマド・スルタンの墓、上にあるのがティムールの教師である
ミルサイード・ベリケ、手前にあるのが孫のウルグベク、左に息子のシャールフ、
孫、息子のミランシャーの墓。


実際の遺体は地下3mのところに安置されています。
残念ながら入れませんでした…。


1941年にソ連の学者達によって、ティムールの墓が開けられて、逸話通り
ティムールは足が不自由だったこと、ウルグベクは斬首され殺された事が証明されました。

尚、ティムールの棺の蓋の裏には「私がこの墓から出た時、最も大きな災いが起こる」という言葉が
刻まれており、学者が墓を開いた3日後に、ドイツ軍によるソ連の奇襲があり、第二次世界大戦に
ソ連も突入しました。
その後畏怖を抱いたソ連は蓋を鉛で溶接し、その後二度と開けていません。

廟の裏側。






中庭は面白い造り。


尚、中の見学はしませんでしたが、グリ・アミール廟の隣にあるルハバッド廟。
14世紀の建物。ルハバッドとは麗の住みかという意味だそうです。
ムハンマドの髪の毛が納められていることから有名になりました。

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