ななきたのご隠居~野崎 幸治

千葉市美浜区で行政書士をしています。
地元では「ななきた(磯辺7丁目北自治会)のご隠居」と言われています。

奥の細道旅行譚(武隈の松)

2017年08月08日 | 旅行

東北線岩沼駅で下車しました。常磐線との分岐する駅です。

駅前はきれいに整備されていて客待ちのタクシーが何台も止まっていてホッとしました。

最近ちょっとした駅でもポツンと一台しかいないような場所もあります。

陸羽街道に出ました。

「第一町びと発見!おじいちゃん何やっているの?」と声をかけたくなりますが誰もいません。

10分ぐらいあ歩くと竹駒神社の大鳥居の前に出ました。大きなお稲荷さんです。

奥の細道のいろいろ解説文を読むまではこの神社が日本三大稲荷のひとつで格式高い、というより神社そのものの存在も知りませんでした。

もっとも三大稲荷の候補地は沢山あるようです。伏見稲荷。祐徳稲荷。笠間稲荷。豊川稲荷。最上稲荷。など

奥の細道には竹駒神社の事は書いてありませんが当然寄っているでしょう。

社前の前に車が並び神官のお祓いを受けています。交通安全の神様なのでしょうか?

ご隠居もステッカー好きなので一枚いただきました。

1000円でした。今までの何処よりも高価です。

中央下のシルバーのものです。

ご隠居の車には山寺、瑞巌寺、那須神社など神社仏閣のステッカーガたくさん貼ってあるので追突されたことはありません。

下取りで売る時、はがすのが大変だと販売店の人が言ってました。

能因法師が陸奥の国を歴遊中、竹駒神社の神が竹馬に乗った童になって表れたと言われています。

社殿は平成2年に焼失しましたが平成6年位再建されたそうです。

さて裏手から4,5分も歩くと「武隈の松」が見えました。

生え際から二股に分かれていて独特の形をしていて平安時代から多くの歌に詠まれていました。

電線が邪魔ですね。

芭蕉にとっては歌枕を訪ねる旅ではがっかりする場所も多かったようですがここでは素直に感激しているようです。

芭蕉の時は5代目、現在は7代目、東日本大震災の影響もなくて良かったですね。

後ろに小さな公園がありました。ここで8代目の松を育てているそうです。

二木の松史跡公園です。二木(ふたき)は武隈の松の別名です。

芭蕉の句碑がありました。

奥の細道、本文中の

「桜より 松は二木(ふたき)を 三月(みつき)越し」

深川から旅立つ際に奥州出身の弟子、挙白から「師が武隈の松」を見られますようにという句をもらっています。

それに対してこの句は

桜が咲く季節から三か月も過ぎてしまったが君の言っていた武隈の松に会えたよ。

二つに分かれた昔ながらの姿にただただ見事だ。

 

武隈の松

岩沼宿す

武隈の松にこそ目さむる心地はすれ。根は土際より二木に分かれて、昔の姿失わずと知らる。

まづ能因法師思い出づ。その昔、陸奥の守にて下りし人、この木を伐りて名取川の橋杭にせられたることなどあればにや、「松このたび跡もなし」とはよみたり。

能因法師が「武隈の 松はこのたび 跡もなし 千歳を経てや 我は来つらん」と歌っています。

昔、陸奥の守に任命されて陸奥に下った人がこの木を伐って名取川の橋杭にしてしまい、能因法師が再度のみちのくの旅で「松はこのたび跡もなし」と詠んでいる。

代々、あるは伐り、あるいは植ゑ継ぎなどせしと聞くに、今はた千歳の形ととのいて、めでたき松の気色になんはべりし。

長年伐ったりあるいは植え継してここに何百年も経った松の木が端麗な形でみごとな景色です。

武隈の松見せ申せおそ桜

と、挙白といふ者の餞別したりければ

  桜より 松は二木を 三月越

 

今日はいろいろ愕然とすることがあって気持ちが動揺しています。

そこで芭蕉一行のしゃれた会話も思いつきません。あしからず。

また次回。

 

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